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インターネットで得たものと失ったもの

私がはじめてインターネットに触れたのは、今から20年以上前の中学生のとき。
当時の携帯は半パカ携帯で、32和音の携帯を持っている友人がとても輝かしく見えた。
友人が最新曲を自分で作り、それを着信音に設定したりしていた。

その後少しして、着うたを設定することができる携帯が誕生した。

まだwifiもパケ放題もなかった私たちは、よく「パケ死」をして、親に怒られていた。
ソフトバンクがパケ放題と無料通話を開始したとき、私たちは歓喜した。

我が家は貧困家庭だった。
それなのに、当時まだ珍しかったパソコンが、なぜか我が家にはもう既にあった。
母親が一生懸命魔法のiランドで日記を更新したり、掲示板で知り合った人とオフ会をしていた。
今思い返すと、母親は既に最先端を行っていたのかもしれない。

そんな環境で育ったからか、「インターネット」は私のなかの生活の一部であり、あって当たり前のものとなっていた。
その後一人暮らしをして、どんなにお金がないときでも、なぜかインターネットだけは必ず契約していた。

だって私にとっては、あって当たり前、携帯みたいなものだったからだ。

インターネットに救われる

今でこそ、ほぼ大半の人が自宅でwifiを繋ぎ、インターネットを楽しんでいる。

しかし当時1人暮らしをするものにとって、パソコンはまだ敷居が高く、持っている人と持っていない人に分かれていた。
そんななか私はなんの迷いもなく、インターネットを契約していた。

それから私は、インターネットを通じての出会いに救われてきた。
共通の趣味を持つ人、ネット恋愛、副業と、変化していく自分に合った知人を、ネットのなかだとすぐに見つけることができる。

金欠のとき、副業を検索し、実行し、幾多の金欠を乗り越えてきた。
ネット恋愛がリアルになり、素敵な時間を過ごすこともできた。
共通の趣味を持つ人と出会い、楽しい時間を過ごすこともできた。

インターネットがなければ、今の自分は存在していないと言っても過言ではない。

便利な反面、薄れゆく感動

私が携帯を持ち始めたのは、中学3年生のとき。
携帯を持っていない中1~2年生のときは、用事があれば相手の自宅の固定電話にかけるか、直接家に行くか、手紙かしか確認方法がなかった。

だから中1~2年生のときに交際していた彼とは、自宅の固定電話か手紙でやり取りをしていた。
固定電話の通話費用も高い時代だったので、今のように恋人と毎日やり取りをすることはなかった。

だけども、その空白の時間というのもまた素敵だった。

お互いが自分の時間を楽しみつつ、時折相手のことを思い出す。
連絡が取れたとき、会えたときは、空白の時間を埋めるかのように、全力でその時間を楽しむ。

とても奥ゆかしくて、初々しい時間だった。

携帯を持っていないときは、相手が遅刻したら何かあったのではと心配していたし、連絡がないと忙しいのか、体調が悪いのかと常に相手のことを気遣っていた。

それが携帯を持ち始めてからは、いつでも連絡が取れることが当たり前となり、数日返信がないと浮気を疑ったり怒ったりと、連絡が取れないことに私は一喜一憂するようになった。

知らなくてもいいことも知れるようになり、本来であれば、しなくていい喧嘩や争いが増えた。

私はいつからこんなに強欲になってしまったのだろう、とも思う。

インターネットの恩恵を私はたくさん受けているが、その反面失ってしまったものもたくさんある。

相手を信じる、待つ、思いやるということが、私にはいつしか欠けてきてしまった。

デジタルデトックス

最近私は、「デジタルデトックス」の時間を設けるようにしている。

デジタルデトックスとは、スマホやパソコンから一定時間離れ、自然や現実世界と繋がる時間を持つ時間のことだ。

暇さえあればSNSを見たり、スマホでゲームをしていたが、私にとって、とても大切なものを思い出させてくれる時間だ。

スマホを眺めながらだと気がつかないような、木々や風の揺れる音、鳥のさえずり、行きかう人々、自分の心の中など、スマホから顔を上げてみると、そこには美しい世界が広がっていた。

忘れかけていた何かを思い出させるような光景が。




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