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小説『シェルター』26回 第3章 4

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第3章 2 仲間 4

外は夜明け前でまだ暗く、空には星が残っていた。

目をこらすと天頂にはうっすら天の川が見える。どこからか明けガラスの声が聞こえる。その方向を振り返ると、ふいに涼しい風が頬をなでた。

タロウがすぐ前をぺたぺたとビーチサンダルの音を響かせながら歩いていく。わたしは転がるようにそのあとを追う。すると、しばらくして着いた先は、てっべんにあの展望台がある銀色のビルだった。

「...あの」
「なんだ」
「なんでもないです」

わたしは言葉を飲み込んだ。

ビルの中に入ると、内部は驚くほどメンテナンスが保たれていた。自家発電が生きているのだろうか、あかあかと照明がついている。館内にはうっすらとエアコンまで効いている。

もっとも、よくよく注意してみれば、やはりここも壁や床には細かい亀裂が入っていた。が、きちんと補修工事さえすれば、じゅうぶん現役で通りそうな感じだ。

入り口から少し歩くと、やがて吹き抜けのホールに出た。

その一角には古めかしいデザインのエレベーターがあった。近づいてみると、ドアの上には52階までの階数表示がついている。

「行くぜ」

タロウについてエレベーターに乗り込むと、タロウは最上階のボタンを押した。エレベーターは音もなくするすると昇っていき、やがて耳の鼓膜がポン、と気圧ではじけて音を立てた時、ふわっという風と共に目の前のドアがひらいた。

そこは2フロア分が吹き抜けになった、ドーム型の部屋だった。

天井近くにはたくさんのちいさな窓がつくられていた。そこから夜明け前の薄青い光がいく筋も射し込んでいる。部屋の中央には内側が空洞になった天球儀がゆっくり回転している。 それは水力で動いているらしく、涼しげな水音と共に規則正しくまわっていた。

「あれはなに?」
「星を読む機械だ。おれたちにゃなんのことだかわかんねえけど」

天井は青い塗料で塗られ、そこには数えきれないほどの星座が金色で描かれていた。星座にはあまり詳しくないが、なかには見覚えのある星座もあった。北斗七星やカシオペア座、そして、てっぺん近くの一番目立つところに、オリオン座の三つ星がきらきらと輝いていた。

わたしがぼんやり見ていると、タロウが急き立てるように言った。

「ボーッとすんな。急がねえと鐘を鳴らすタイミングを逃しちまう」
「急ぐって、どこへ?」

タロウは返事をせずにわたしを引っ張り、さらに奥のほうへ向かった。わたしは嫌な予感がした。わたしの記憶が確かならば、あの先にはたしか屋上の展望台に向かう階段があるはずだ。ーまさか。

「そのまさかだぜ」

タロウがいきなり振り返ったので、わたしは死ぬほど驚いた。

「鐘楼はこの上だ。その鐘を鳴らすのがおまえの初仕事だってさっき言ったろ」
「ごめんなさい、わたし、高所恐怖症で」
「聞いてねえよ」

とても行けません、などと言えるような雰囲気ではなかった。 わたしは震える足で階段を登り、重たい鉄の扉を開けるタロウに蹴り出されるように屋上に転がり出た。

途端にびゅうっ、とすさまじい風にあおられ、わたしは吹き飛ばされそうになった。

「わ!」

思わずよろけてタロウにぶつかる。タロウは嫌な顔をするでもなく、黙って前方を指差した。

目の前にあったのは、視界いっぱいに広がる廃墟となった東京の街だった。

薄青い夜明けの街がどこまでも続いていた。そのほとんどは緑に覆われ、自然に戻りかけていた。まるで、今まで地中に押さえつけられていた街じゅうの植物が、くびきを解かれていっせいに噴き出したようだった。

なんてこと。
わたしは目を見張った。
ほんとうに夢じゃないんだろうか。

遠くにはひしゃげてへちまみたいになったスカイツリーが見えた。反対側には植物に覆われ、緑色になった新宿副都心のビル群。右手には蔓性の植物がぶらさがって海苔の養殖場みたいになったレインボーブリッジが見えていた。

そして、海は海岸線が東京タワーのふもとあたりまで深々と入り込んでいた。街は倒壊を免れた高層建築物が無数に建ち、それが遠目には巨大な墓石の群れみたいに見えて怖かった。

「ねえ、どうしてこんな風になっちゃったの?」

わたしはたまりかねてタロウに聞いた。

「おまえはなんでそう変なことばかり聞くんだ」

タロウは怒ったように言った。「ここはずっとこんな感じだ。なにがあったかなんておれは知らねえ」

屋上のスカイデッキはいつか家族で来た時と同じ、フェンスがついただけの青天井だった。中央にヘリポートがあったが、どうやらもう使われていないらしい。

金属製のフェンスは低く、その気になれば地上まで真っ逆さまに飛び降りられそうだった。ときおり強い突風が吹き、そのたびにバランスが崩れて吹き飛ばされそうになる。

「...う」

高所恐怖症が発動していた。身体中から嫌な汗が吹き出し、足ががくがくけいれんしている。その場から一歩も動けず、ひとり静かに震えていると、次の瞬間、思いがけないことが起こった。

タロウがいきなりわたしを後ろから羽交い絞めにし、展望台の端っこぎりぎりのところまでわたしのことを追いやったのだ。

「なにすんの!」

わたしはパニックに陥った。すぐ足下に、気の遠くなるほど小さくなった噴水広場が見えている。脚の折れた蜘蛛のオブジェが、米粒くらいの大きさしかない。一歩踏み出せば真っ逆さまだ。わたしは気が遠くなった。

「どうして...」

声をひきつらせながら抵抗していると、タロウが呆れたように言った。

「ちげーよ」
「え?」
「いいから落ち着け。いーか、こんなの、どってことねえんだよ」

タロウは真っ青になったわたしに、子供に言い聞かせるように言った。

「今から俺の言う通りにするんだ。いいか、自分の背中にでっかい羽が生えてると思い込んでみろ。ここじゃそれが第一歩なんだ。怖いとか落ちるとか、そういうのは全部思い込みだ。つべこべ言わずにオレの言う通りにしろ。そうしたら必ずうまくいく」

もうなにがなんだかわからなかった。「羽? なにいってんのあんた、ちょっと頭おかしいんじゃないの?」

「いいから黙って言うことを聞け。うしろで支えてるから落ちねーよ」

タロウの口調には有無をいわせないものがあった。ああもうどうしたらいいんだろう。わたしは泣く泣く従った。

「羽? 羽って、どうやればいいの?」
「羽は羽だ、なんでもいい、てきとうに好きなのを思い浮かべろ。なるべくでっかいほうがいい」

そう言われてとっさに頭に浮かんだのが青い蝶の羽だった。きらきらと光沢のある、美しい蝶の羽。もうどうにでもなれと思い、わたしは自分の背中にその羽が生えているところをイメージした。

すると、不思議なことが起こった。

その瞬間、両側の肩甲骨にもりっ、と変な感触があったのだ。

つづく
 

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