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クリスマスイブのリエさんの教え

20代のほぼすべてを接客業をして過ごしたので、12月24日といえばいつもより忙しい日、という記憶しかない。

それでも、赤坂の料亭でお運びをしていた頃、長崎から来たリエさんという先輩と2人でクリスマスを祝ったことがある。
リエさんは当時30代後半で、苦労人を絵に描いて額に入れたような人だった。お給料の半分を母親と弟妹のいる実家に送り、自分は風呂もない家賃4万円のアパートに住んでいた。早番なのは仕事帰りに銭湯に行くためで、毎日無遅刻無欠勤で働き、面倒な客の担当になっても愚痴一つこぼさなかった。

一緒に働いていた間、リエさんと同じ席につくと、私はなるべく彼女とはいろんな話をするようにした。それぞれの生い立ちや生活環境について話し、そのほとんどが人生経験の少ない私が聞く側だった。
それまで家族を養うことを人生の軸として生活する女性を見たことがなかったし、実際にどういう実態なのかを知る機会もなかったので、本当にたくさん話を聞いた。
リエさんの話でいちばん印象に残っているのが人生についての話だ。

たしかその日はちょうど12月24日か25日で、私は手が足りなくて残業となった早番のリエさんと同じ部屋についていた。
お見送りが終わって片付けをして着物を脱いで店を出たのが11時過ぎ。どちらからともなく一杯だけ飲んで帰ろうという話になった。

長崎出身の九州女であるリエさんは酒が強く、もちろん一杯では終わらなかった。酔いが回ったリエさんは別人のように陽気になって私の膝をバシバシ叩き、あんたいつまでもこんなとこにいるんじゃないわよ、といきなり言い出した。

「こんなとこ、ってどういう意味ですか」

ものすごく違和感があった。なぜなら、ようやく仕事を覚えて先輩たちによる「洗礼」も済ませ、馴染みの客もそこそこつき、やっと職場の居心地が良くなり始めていたところだったからだ。
もしかして私が邪魔なのか、と邪推しかけたところにリエさんは言った。

「あんたはねえ、あたしみたいな『定住者』とちがって、どんどんあっちこっち行く『旅人』なの。あたしそういうのわかんのよ。だから根が生えないうちにとっとと出ていきなさい」
「『旅人』ってなんれすか」
その時点で5杯は飲んでいた私はつい食い下がった。

リエさんの話を要約するとこうである。人には『定住者』と『旅人』のふたつの生き方があって、それさえ間違えなければ人はそこそこ幸せになれるのだと。

『定住者』
ひとつの場所に根を生やし、そこで築いたものを拠り所として生きる人
『旅人』
安住の地を持たず、自らを拠り所として生きる人

私はそれまで人はどこかに属していなければ社会人として失格だと信じていたので、自分がそれではないと言い切られたことはものすごいショックだった。

それまでは常に少しでも良さげな環境に身を置こうと努力をするうちに、自分が本当はなにがしたいのか、どうでありたいかがわからなくなってきて、なんだかわけのわからないストレスを長年のあいだ溜め込み続けてきたからだ。

そうして、他人の期待(そんなものはなかったんだけど)や目標に自分のありようがついていかないことにイライラし、思うように進まない自分や周囲の状況に焦りを覚え、そうして、少しずつ自尊心を失っていったところだったのである。

でも、リエさんに一刀両断されたことでなにかがパチンと弾けた私は、それ以降、職場に権威も華やかさも求めなくなった。そうではなく、派遣でもアルバイトでもいいから自分が本当にやりたかったことー文章を書くことーに役立つような職場を探すようになった。不思議なことに、そうすると自然にすべてが「書くこと」に向かっていったのだ。

私にとって「書くこと」は人生という「旅」のための乗り物であり、そこには家族や友人を愛すること、小説やエッセイ、脚本などの物語をつうじて表現すること、日々の触れ合いのなかに感動したりなにがしかのインスピレーションを受け、そしてそれをいろんなかたちでアウトプットしていくことだ。

リエさんと一緒に働いたのはほんの一年ちょっとだったけれど、私の人生の中では重要なターニングポイントとなった。人の生き方は人それぞれであり、皆が自分に合った道を探せばそれでよいのだということが、それまでロクな人生経験のなかった私なりに気付かされたように思う。

人生は生涯学習。
いくつになろうが、どれだけ人生経験を積もうが、社会でどれだけの結果を残そうが、人生、それでアガリなんてことは絶対にないのである。
その点では人類皆平等、それよりも自分を超えたなにか大きなものに対する畏怖の念を持ったり、同時に、隣にいる人への想像力と理解を忘れず、日々、心を配り手を差しのべられるかどうかのほうが大事なのだ。
私自身は欠点のバーゲンができるほどの人間だけれども、なるべくならそういうことはできる人でありたいし、いくつになってもバカなことにチャレンジし、「ああ、あの人またやってるー」と後ろ指さされるような人でありつづけたいのです。

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