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詩『ヒグラシ幻想曲』

作:悠冴紀

さざめく草木にいざなわれ
ヒグラシが奏でる不思議なメロディー

聖徳太子も聴いていた
夏の夜の幻想曲

暗闇に天井が溶け出し
満天の星空が視界に開ける

モノトーンの部屋から
コバルトブルーの宇宙へ

重力に縛られた身体から抜け出し
わたしは毎夜旅に出掛ける

銀河の泡を掻き分け
宇宙のヒモを探し歩く

今日こそは見つけられるだろうか
卑弥呼が見たかもしれない宇宙のヒモを

明日こそは証明できるだろうか
思考の迷宮に陥ってしまったあの友たちから
恐れを拭い去るかもしれない宇宙のヒモを

今こそ届け
彼らの元へ
夏の夜のヒグラシ幻想曲
銀河の旅へのイントロダクション

影を忘れて重力を解き
宇宙のヒモを探して泳ぐ

私は毎夜
時空の旅人

***********

※ 2003年(当時26歳)のときの作品。

ヒグラシは俳句においては秋の季語ですが、私の故郷の田舎では、どちらかというと真夏に勢いよく鳴いていた憶えがあります。また、夕暮れどきに鳴き始めて、けっこう暗い時間まで聞こえていたので、私にとっては、睡眠導入歌のようなイメージでした。なので作中では、「夏の夜の幻想曲」としています。

ところで、作中に度々出てくる『宇宙のヒモ』というのは、理論物理学において、誕生したばかりの宇宙に出来るとされている、ある種の“欠陥”を指す言葉です。(注:確かな証拠を提示することが困難な理論物理学の世界では、元の説が次々に覆されたり新たな解釈を加えられたりして、どれもこれもが不確かな仮説と言ってしまえばそれまでなので、私のインスピレーションの源となった理論も、あくまでこの詩を書いた当時は主流だった仮説の一つにすぎない、という点を踏まえた上で、続く解説をご覧ください。私のここでの話も、更新版の最新の理論は含めずに、あくまで作品制作当時に知り得た知識の範囲内でのみ、語らせていただきます▼)

以前投稿した詩「メサイアコンプレックス」の解説部分でも少し触れましたが、宇宙は、エネルギーが凝縮され混沌としたミクロの状態から始まり、みるみる膨張して、秩序立ったマクロ宇宙へ成長してきたと言われています。ですが、その際に莫大なエネルギーが失われるため、膨張すればするほどに、宇宙は冷えていく。そして、ちょうど水が冷えて氷に変化するのと同様に、宇宙の状態も変化する。

水からの変化を遂げた氷の結晶と言えば、必ず傷や割れ目などの欠陥(ヒビ?)があります。ならば当然、宇宙にも、状態を変化させた時点で何らかの欠陥が生じているはず。面状のものもあれば点状のものもあり、様々な形態が考えられますが、それらの欠陥の中でも特に線状のものを指す言葉が、『宇宙ひも』です。(※物質を構成する最小単位のものは ひも状である、という「ひも理論」あるいは「弦理論」と呼ばれるものが当時大いに話題になっていましたが、私が詩作品に盛り込んだこの『宇宙ひも』の話は、上述のインフレーション宇宙論の過程で副産物的に語られるようになったものであり、ひも理論とは別枠の話です。ひも理論の拡大版のような発想ですし、ちょっと紛らわしい名称ですが……💧🙇)

では、何故その『宇宙ひも』というのが、そんなにも注目されるようになったのか──?

『宇宙ひも』には、それ自体の質量が非常に大きいために重力効果をもたらし、ヒモの動いたあとに向かって物質が引き寄せられた結果、現在のような宇宙の大構造が形成されたのではないかとする説や、ヒモが作り出すループが周りの物質を引き付け”たね”になった結果、銀河が出来上がったのではないかとする説、更には、ヒモが振動した際に放出する電磁波によって大きな泡状の構造がつくられ、それが発展して銀河になったのではないかとする説など、様々な可能性が考えられるからです。いわば、この世のあらゆる事物の原点であり、宇宙に関する多くの謎を解明する重要な鍵、と言えるわけです。

そんな宇宙のヒモを見つけて証明してみたいという本詩中の表現は、当時、他ならぬ自分たち自身の思い込み(=臆病さや劣等感、依存心など)によって物事を必要以上に複雑化してしまい、己の迷宮に陥ってしまった旧友たちを、各々の謎と苦悶から解き放って安心させ、我に返らせることができればいいのに、という私の願望の表れだったのでしょう。(👈ちょうど同時期に、親しくしていた複数の友人たちが、自分を見失いボロボロに壊れていく姿を無力に見送ってきたもので……😔)

ちなみに、私は当時、どこぞの強制収容所のようなドス黒~い生家に、二度と永久に戻らずに済むよう、身辺整理のため一時的に故郷の田舎に帰っていた(👈ようするに、失踪・亡命の準備をするための最後の帰省だった)のですが、家庭の中の人間模様は相変わらずサイコでヤ◎ザでドロドロしていても、窓の外には、幼少時からずっと私の感性を育み、正気を繋ぐことを可能にしてくれた美しい大自然が広がっていました。自分の今いるこの場所も広大な宇宙の一部なんだ、ということを思い出させて、閉塞感を拭い去ってくれるそんな大自然のもと、久方ぶりに聴くカナカナというヒグラシの声には、大いに癒されたものです。

ただ、そうやって夢見心地な気分に浸る一方で、この地で巡り会い、成長とともに変わり果てていった旧友たちのことを、密かに気に留めて後ろ髪を引かれる思いにも駆られていたのが、この詩の制作動機に繋がったように思います。希望や喜びよりも、一抹の不安や心配など負の要素が創作に繋がった、という意味では、この詩作品の誕生経緯それ自体も、何らかの「欠陥」が銀河誕生の基になったという宇宙ひもの理論と、共通するところがありますね。

……というか、この詩だけに限らず他の詩作品や小説も含めて、私の作品という作品は、失敗や喪失、別離や過ちなど、人生においては傷や欠陥としか言えないような体験をもとに、創作物に落とし込んで昇華したものが大半です。たとえ著作者本人が、比較的に前向きで明るい無難な作風に仕上げたつもりのときでさえ、読み手からはしばしば「作品の背後に言い知れない哀愁が感じられる」とか「切ない、暗い、苦しい、重い」とか言われることがあるのは、そのせいかもしれません。ベースに常に闇があるんですよね、闇が😅

あ、ところで、作中に登場してくる『聖徳太子』とか『卑弥呼』といった有名どころの名前に、違和感を覚えた人も多いのではないでしょうか? この部分は実は、そう特に深い意味はないというか、ヒグラシの声って、なんか「和」な感じがするので、自然にその名が浮かんだだけなんです(^_^;) 人の世は大いに変化し、文明はどんどん進化・発展(あるいは退化???)していくけれど、ヒグラシたちの奏でる音色だけは、きっと古の時代から変わらず美しく、むしろ人工物だらけで環境破壊の進みすぎた現代よりも情緒深く聞こえていたのではないか……なんて思い馳せていたら、古代ロマンを感じさせる歴史上の有名人の名前がふと浮かんできたもので😅

(👆歴史的人物の中でも特にこの二人がイメージしやすかったのは、恥ずかしながら、漫画家 山岸涼子さんの影響かもしれません。『日出処の天子』に衝撃を受けて以来、ず~っとお気に入りの漫画家ですから。神秘的で不可思議な伝承が多く、聖人視されがちな太子や卑弥呼といった人物を、極めて異端な解釈で泥臭~く描写した斬新な世界観は、一度読んだら頭に焼き付いて離れません💦 山岸節恐るべし、ですね A^_^;))

──と、まあ、そんなこんなで、今回の記事は、来る七夕を意識してのセレクトでした☆彡 いかにも私らしく、ロマンス要素は皆無な一作ですけどね😅🙇

注)シェア・拡散は歓迎します。ただし、この作品を一部でも引用・転載する場合は、「詩『ヒグラシ幻想曲』悠冴紀作」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります!

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