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【万葉集】あをによし(巻三・三二八 小野老)

あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の
にほふがごとく今さかりなり
(巻三 三二八 小野老)

【解釈】

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奈良の都は、香り高く美しく満開に咲き誇る梅の花のように、今まさに隆盛を極めていることだ。

たぶん誰もが一度は耳にしたことがある、有名な歌ですね。
今まさに満開の花が開いているかのような、奈良の都。

奈良公園あたりの美しい桜が目に浮かびます。

とは言っても、時代背景を考えると「花」はまだ桜ではなく梅かもしれません。花と言えば桜、となるのはもっと後の時代の話です。

作者は小野老(おののおゆ)、正確な生まれ年は分かっていません。大伴旅人や山上憶良と同時代の人で、筑紫歌壇を構成していたメンバーの1人です。

詞書には、「太宰少弐(だざいのしょうに)小野老朝臣の歌一首」とあります。

春日山あたりから桜と都の様子を見下ろして詠んでいそうな雰囲気ですが、実際に作者がいるのは九州、太宰府の役人をしていた時代の歌なのですね。

自分が奈良の都に帰れるのかも分からない中、なつかしい都を思って、気心の知れた仲間たちとの宴の席で詠んだ歌。手放しで奈良の都をたたえたものではないところに、この歌の奥行きがありますね。

美しい花と都の情景が目に浮かぶからこそ、ひとさじの切なさや淋しさが際立ちます。

ちなみに藤原氏が台頭してきた時代、ここでいう「花」は梅でも桜でもなく「藤」だと見る向きもあるのだそうですが、それはうがちすぎかも。

梅の花であるという現代語訳にしていますが、都のあちこちに咲いていた花をすべてひっくるめて、生命力にあふれた春の奈良を表していたのかもしれません。

1300年経っても今なお美しく古びない、素敵な歌だなと思います。

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