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【万葉集】人言を(巻二・一一六 但馬皇女)

人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)みおのが世に
いまだ渡らぬ朝川渡る
(巻二・一一六 但馬皇女)

【解釈】

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人の噂があまりにうるさいので、誰にも見つからぬよう
生まれて初めて早朝の川を渡って、あなたのもとへ行くのです

作者は但馬皇女(たぢまのひめみこ)。穂積皇子(ほづみのみこ)へ贈った歌とされています。2人は天武天皇のみこにあたる異母兄弟です。

当時は異母兄弟の恋愛・結婚は特に問題なかったようですが、但馬皇女はすでに別の異母兄である武市皇子の宮に住んでいた、と詞書に書かれています。道ならぬ恋だったようですね。

明け方の川を渡って、恋しい人に逢いに行く。
当時は男性が女性の元に通うものだとばかり思っていたけれど、但馬皇女は自ら動いています。じっと待っているだけではない、ぐいぐい行くタイプの女子。

奈良県桜井市、初瀬川のほとりにこの歌の歌碑があると言いますから、渡ったのは初瀬川だったのでしょうか。

こんな情熱的な歌を贈ったのに対して、直接的な返し歌は万葉集には収められていません。そしてその数年後、但馬皇女は亡くなってしまいます。

とは言え穂積皇子がひどい人だったのかと言えば、そういう訳でもないのです。

万葉集巻二には、大雪の日、但馬皇女のお墓を遠く眺めた穂積皇子が詠んだ歌が残されています。

ふる雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の
猪養の岡の塞(せき)なさまくに
(巻二・二〇三 穂積皇子)

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雪よ、あんまり降らないで。吉隠の猪養の岡に眠っているあの人が寒いだろうから。その冷たい雪を防ぐすべを、彼女は持っていないのだから。

泣ける歌です。
雪の降りしきる寒い日、恋しい人をあたためてあげることはもうできない。

あれほど激しい相聞歌に対して、アンサーになるのが挽歌というのは、あまりに切ない結末ですね。


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