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【万葉集】旅にして(巻三・二七〇 高市黒人)

旅にしてもの恋しきに山下の赤(あけ)のそほ船沖にこぐ見ゆ
(巻三・二七〇 高市黒人)

【解釈】

旅先にいるので何となくもの淋しく、人恋しい。そんな時に高台から海を眺めていると、赤い船が沖へと漕ぎ出していくのが見える。どこへ向かっていく船なのだろう。

万葉集から、旅の歌です。

おさめられているのは巻三、「高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の羈旅(たび)の歌八首」という詞書がついています。

旅を題材に詠まれた八首にはストーリー性があって名歌ぞろいなのですが、オープニングを飾るのがこの歌。とても美しい響きです。

大海原に赤い船ひとつ、それを遠くから眺める視点。旅の途上ゆえの淋しさ。絵画のような美しさと、豊かな余韻が魅力的な歌です。

「山下の」は「赤(あけ)の」を引き出すための枕詞と見る向きもあるようですが、文字どおり山の下、遠くに船が見えていると解釈しても問題はないように思います。

「赤のそほ船」は赤土を塗料に使った船のこと。役人が乗る官船がこの赤い船だったとも言われています。都へ帰るであろう船を見て、望郷の念にかられたのかな。

もの恋しき、と言ってはいるけれど決して悲壮感はなく、気ままな旅の途上でふと里心が芽生えたような、ふわっとした雰囲気なのがまたおもしろいところでもあります。

勝手にバックパックひとつで世界一周の旅に出たのに、コーカサスあたりで急に淋しくなってポエムを紡ぎだす男子、なんていうのは現代でもわりとたくさんいるような気も。

旅は、いつの時代も感受性を豊かにしてくれるものなのかもしれません。

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