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金八先生に会いたい

最近、ふと「今、もう一度、『金八先生』を観たいなぁ」と思いました。

私がリアルタイムでドラマ『3年B組金八先生』を初めて観たのは、1999年から2000年にかけて放送された第5シリーズ。風間俊介さん演じる兼末健次郎による教師いじめがセンセーショナルなシリーズだったけど、その行動の根底にあった、兼末健次郎が抱える家庭内でのストレス(家庭崩壊・引きこもりの兄)とか誰にも開けない心の闇を描いていました。

その次は、2001年から2002年にかけて放送された第6シリーズ。上戸彩さん演じる鶴本直が、性同一性障害に苦しむ姿、そして東新良和さん演じる成迫政則が「犯罪者の息子」である自分を受け入れられずに苦悩する過程が丁寧に描写されていました。

そして、2004年から2005年にかけて放送された第7シリーズでは、八乙女光さん演じる丸山しゅうが、薬物に手を出してしまうということをメインの題材として取り上げていました。

どれもこれも、今現在もこの社会で目の前に起こっていることで、新鮮に感じられることに驚きます。性同一性障害はもう18年も前に、そして薬物中毒は15年も前に、全国区の高視聴率ドラマで取り上げられていたなんて。しかも設定は中学生。当時、社会的には目を背けられていたであろうテーマに真正面から挑んでいた制作の方々を本当にすごいなと思うと同時に、この世の中は、亀の速度で進んでいるのかもしれない、とも思ったりします。

それぞれのシリーズで忘れられないシーンがあります。
第5シリーズでは、家庭崩壊の末に家族を刺してしまった兼末健次郎が、血だらけの手のまま身を隠した真っ暗な建物の中で、金八先生に抱きかかえられながら泣くシーン。
第6シリーズでは、性同一性障害で苦しむ鶴本直が、自分から女性の声が出てしまうことが許せなくなり、自分の喉をフォークで刺すシーン。
父親が人殺しをしたという事実・トラウマから離れられず、「自分の身体には、人殺しの血が流れていると思うと、自分が怖い」と語る正則。
第7シリーズでは、薬物に身体を侵された丸山しゅうが、身体中に虫がまとわりつく幻覚を見てしまったり、急激に喉が渇き床にこぼれてしまった水を這いつくばって舐めるシーン。

どれも、小学生~高校生にかけて観たものでしたが、今でも鮮明に覚えているほど、衝撃的なシーンで。でも、全部、素晴らしいシーンだったと思うのです。すべて、当の本人にしかわからない感情や行動を描いている。だから、当事者ではない私には、衝撃に感じる。こういうものを家族で観て、あーだこーだ言いながら、「怖いねぇ」でも「けしからん」でもなんでもいいと思うけど、自分の中で咀嚼することも、良いことだったのかもしれない。

私はたまたま、現時点では、家庭崩壊していないし、家族を刺したこともないし、性同一障害でもなく、家族に犯罪者もいないし、薬物もやっていない。(全部、「たまたま」であり「現時点では」なんだよね。みんなにその可能性は、ある。)
最近の報道とかを見ていて、ぼんやりと「なぜ、自分は薬物に手を出さないのか」を考えてみたんだけど、まぁ人生で苦しいことはいくらでもあるし、それから逃げたくなるときもあるのだけど、一番最初に思い浮かんだのは、『金八先生』で、丸山しゅうが見た幻覚と、床の水を舐めるシーンだったんだよね。それが、あまりにも怖く、衝撃的なシーンだったから。あんな恐怖は自分は味わいたくない、と、本能レベルで強く思ったから。たぶん、それが本音だと思う。

ニュース(らしきもの)をみて、すぐ外野にまわるって卑怯な気がする。どんな出来事にも、その根底に流れる問題が必ずある。それは、個人ではなくて社会や仕組みの問題だったりする。全員が社会の一員であるはずなのに、それを無視して批判側にまわるのって、どうなのでしょう。明日には、自分事になっているかもしれない。語弊があるかもしれないけれど、せっかくの機会だから、「自分は、どうして薬物をやらないのか(≒やらない、と言える自信はどこから来るのか)」を考えてみても、よい、のでは。。。。

今日は東京は良い天気ですね('ω')ノまだ雪が降ってたりする地域もあるんだよね。早く穏やかな春が訪れますように~!色んな意味で~!

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。