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#キナリ杯 を終えてかんがえた、私にとっての「書くこと」

作家の岸田奈美さんが主催されたコンテスト「キナリ杯」が終わりました。とてもとてもありがたいことに、「愛とパンク賞」をいただきました。

「未来をつくるため、愛とパンクの精神で、社会の不条理に負けず突き進んでいく文章に贈る賞です。arca代表の辻愛沙子さんをリスペクトしました。」と説明されたその賞は、あまりにも素敵な賞で、私は「愛とパンク」という言葉が大好きになりました。「愛とパンク」なんて言葉をこんなにも近くに感じたのは初めてのことでした。ずっと遠くにあったはずの、視界にすら入っていなかったものが目の前に転がってきたこの感覚、このときめきは、まるで恋のようです。

私が文章を書き始めて1年数ヶ月ほどが経ちましたが、ざっくりと分けると「文章を書くのが好きで好きでたまらなかった時期」と「文章を書くことがよくわからなくなった時期」があります。ちなみに、今はそのどちらでもないような気がしています。

2019年1月31日にnoteをはじめるまで学校の読書感想文もまともに書かなかった私は、なぜか365日間毎日欠かさずnoteを書くことになりました。誰に強制されたわけでもありませんでしたが、書き始めたら楽しくて楽しくてしかたなかったのです。

それは、文章を書くのが好きだったというよりも、話したいことや伝えたいことがたくさんあって、その欲求を一番簡単に満たせるのがこの場所だったというだけかもしれません。とにかく、書きたいことがたくさんあった。話したいこと、伝えたいことがたくさんあった。その想いのままに書いていて、そのうち、文章を書くことそのものも好きになっていきました。

当時の私は「書くこと」が生活の大事な大事な一部として君臨していて、「noteを書いたら、今日の私はもう100点」という気分で日々を過ごしていました。少し、いや、かなりキモいことを言いますが、自分の書く文章が好きでした。(キモいですね。私も書いていてキモいです(震)もう少しだけ我慢してください、もうじきキモくなくなります)

タタターン、ターン!!!と気持ちよくキーボードを叩き、あっけらかーんとnoteを更新しては、更新した後も何度も読み込む。空で言えちゃうくらい読んでいた時もありました。今の私には、考えられないことです。



そんな時期が終わりを告げたのには理由があり、おそらくこの2つだと思います。一つは、コンテストに落ちまくったこと。もう一つは、書くお仕事をしだしたこと。

noteにはたくさんのコンテストやお題企画がありますが、私はそのほとんどに応募してきて、そして落ち続けてきました。「ほとんど」というのは、本当にほとんど、ほぼ全てです。属性や生活があまりにかけ離れていてどうしても書けないものは応募しませんでしたが(例えば、私はお酒が飲めないので、お酒をテーマにしたものは応募しませんでした)それ以外のものは全て応募したと思います。いくつ応募したのかもわからないほどです。そして、ことごとく落ちました。落ちた理由はとてもわかりやすく、私の応募作品がめちゃくちゃつまらなかったから。

note以外のコンテストにも、ちょくちょく応募していました。それも、全部落ちました。毎日こんなに書いているけど、笑っちゃうくらい落ちる。毎回毎回「今度こそは」と取り組み、そして真正面から落ち、新鮮に凹みました。人間、落ち込むときはなんでこんなに新鮮な気持ちで落ち込めるんでしょう。


そして、コンテストに落ち続ける一方で素敵なご縁もあり、お金をいただいて文章を書くこともちょろっと始めました。著名人の方のインタビュー記事を書かせていただいたり、コラムを書いたり。それは素晴らしいお仕事だと思いましたが、それと同時に、自分で好きに書いていたときとはまるで違う感覚も覚えました。

お金をもらって文章を書くからには、自分の文章をものすごく客観的にみることになります。この文章は誰にむけて書くべきものなのか、誰が読んだら面白いのか。この表現は私にとっては普通だけれど他に人にはそうじゃないかもしれない。私が面白いと思うものが、面白いとは限らない。

それはとても勉強になるのと同時に、「自分が好きで書く文章」と「仕事で書く文章」をうまく自分の中で整理できない当時の私にとっては、しんどいものでもありました。

自分の書きたいことを書き殴っていた日々とは、まるで違う。キラキラの飴玉を見つめて「うわぁ!」と頬を赤くする少女のような気持ちでパソコンに向かっていた私は、いつの間にか深刻な顔でキーボードを打つようになりました。



「文章を書くのが好きだ」とずっと言ってきました。文章を書くのは、好きです。でも、「好き」の種類はどんどんと変わっていきます。

「文章を書くのが好きです!」と無邪気に書き殴っていた私は、「文章を書くのがしんどい」という人をみると、なんでしんどいんだろう、と本気でおもっていたし(うざいな)、「文章を書くのが好きだ、と無邪気に言える人は本気で文章を書いていないのでは」みたいな言葉を見かけた時にショックを受けたりもしました。

文章を書くことがよくわからなくなってからは「文章を書くのは好きですか?」と聞かれたら「うん、、、まぁ、好きですね、はい。色々、好きの種類はあるけれど」と答えていたと思います。好きではあるんです。でも、そこには苦い思いも産みの苦しみも全て存在しているから、手放しの「好き」ではない。


ちょっと前に「cakesクリエイターズコンテスト」の中間発表がありました。賞をとると「cakes」というメディアで連載をできる、というコンテスト。

これは正直、とても受かりたかったものでした。が、例によって箸にも棒にもかからず、落ちました。(なんかこのnote、「落ちた」ばっかり言っているのでよくないですね。受験生のみんな、ごめん。私が代わりに落ちてきたから大丈夫だぞ。)

これがダメだったのは、結構ショックでした。スランプではあったけれどそれでもなんとか受かりたくて、毎日内容を考えて、でも無理で、でも考えて、なんとか書き上げたnoteだったから。


あー、これダメだったか、とおもって、ちょうど大学院の授業も忙しくてなかなかnoteを書く時間を十分に取れなくなったようなタイミングで、キナリ杯の締め切りが近づいてきました。毎回コンテストに応募してきたような人間ですから、存在はもちろん把握していました。でも、如何せん自信がない。時間もない。どうせ受からないし、という気持ちもありました。

締め切り2日前になり、あー、今回は出せないかなぁ、何も考えていないし、と鬱々と考えながらお風呂に入りました。うーん、どうしようか、と思いつつ、別の脳味噌では、数日前にあった大学院の授業でモヤモヤしたことを考えていました。そして、もういいや、これを書こう、とおもったのです。

昔、失恋して、もう恋なんてできねえよ、とドラマの如く落ち込んでいた私に先輩が言ってくれた言葉が「バッターボックスに立て」でした。恋愛については置いておいて、これは私の中で、文章を書く上でのモットーになっています。失敗してもいいから、恥かいてもいいから、とにもかくにもバッターボックスに立つ。話はそれからぁ!!という熱血ノリです。

そんで、これまでバッターボックスに立ち続けてきたのに今回は立たなくていいんか!?という囁きが聞こえて、お風呂を出てからガーっと書いて深夜にキナリ杯に応募しました。それがこれです。

正直、一般的に思う「面白い」とは毛色の違う文章だと思います。これに賞をくださった岸田奈美さんはマジすげえと思います。他の作品を見ればわかりますが、皆さんの作品は抱腹絶倒の嵐です。超面白い。文字通り、面白い。私の文章は、文字通りの「面白い」ではありません。でも、選んでもらえた。それが超うれしかったです。本当に。自信になりました。



私なりに挑戦したたくさんの日々と、好きになったりしんどくなったりした「書くこと」との距離と、今回のことと、並べて考えてみると、思うことがあります。

それは、文章は「自分自身」と切り離せない、ということ。

とても当たり前のことではありますが、心から感じることです。私の場合は、特にそれが強い、というのもあるのかもしれません。

私は、根本的に「伝えたいこと」が強くないと、納得のいくものが書けません。こう書いたらいい感じかな、とか、こんなものが好まれるかな、とおもって書いたものがあっても、それがびっくりするほど人に伝わらないのです。コンテストに「寄せて」書いたものが評価されないことで、それを痛いほど感じてきました。誰かに媚を売って書いたものは、全く光ってくれない。そして何より私が、楽しくない。

「書くこと」は私にとって手段なのだ、とも思います。自分なりの想いがあって、それを「書くこと」で表現したい。その中心は「書くこと」ではなくて「自分自身」や「自分の想い・考え」です。

文章を磨くこと、それはすごく大事におもっています。いつも、自分の筆力のなさに愕然とします。磨こうと、こうして数を重ねたりして、努力もします。けれど、それ以上に私にとって大事なのは「自分自身」の想い・考えを紡ぐことだと思いました。今回、とても強く思いました。

自分の頭で考えて、自分の心を動かすこと。それが、私にとっての「書くこと」への第一歩かつ、一番大事なステップだと思っています。

「愛とパンク」という賞は、まさにそんなメッセージをくれたような気がしているのです。巧みな表現ができるわけでもない。独特な感性を持っているわけでもない。ただただ、真っ直ぐに、自分を持ち、表現すること。それを大切にしていきたい。それが私の持つ「色」だと、初めて気付きました。

「愛とパンク」。大事な言葉を胸に、これからも自分を磨いていきたいと思いました。


あー、うれしかったです。長々と失礼しました。改めて、いつも読んでくださっている方、そして岸田奈美さん、素晴らしい体験を、ありがとうございました。心からの感謝を込めて。

また新鮮な気持ちで、バッターボックスに立ちたいと思います。

Sae

キナリ杯、後夜祭も開催中です!私も参加します!


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