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私は頑張れなかった。〜10年前の挫折に今思うこと〜

ちょうど10年前の今頃、私は終電に飛び乗って
周りの人の目も気にせずわんわん泣いた。

他人の目を気にしている余裕なんてなかった。

当時していた仕事で、心も身体も疲弊しきっていて
毎日どの瞬間にも「自分がどれだけダメか」を突き付けられている気がしていた。

「こんな簡単なこともできないの?」
「みんなできてるのになんであなたは失敗するの?」
「本当に無能。低レベル」
「こんな生き方で恥ずかしくないの?」

上司も同僚もとても仲が良かったし優しかったから、
誰かに責められたという事はない。

自分で自分にずっと、そう言っていたのだ。


私は必死だった。
全くの未経験で入社した会社。社風にひかれて、仕事内容は正直なんでもよかった。できるでしょ、そう思ってた。

実際入社してみて、いかに自分が「わからない」かを知ることになる。

だけれど、なぜか私は「よくやっている」ように見られていたと思う。

プレゼンテーションは得意だったし、テストもいい点が取れた。
性格的に周りを引っ張っているようにも見えていたかもしれない。
ずっと一緒にやってくれていた上司は、本当に頭がよく機転が利く人で
高い成果をあげていたし、その数字を私にわけてくれたりもした。

だから、周りの人は私の変化にどれほど気付いてくれていたのかわからない。

やってもやっても仕事が終わらなくて、次から次へとクレームの電話がかかってきて、やらなければいけないことリストは膨大なやれていないことリストに代わり、ただただ期日だけが恐ろしかった。

信じられないミスで私がとんでもないことをしてしまったときも、上司は私を責めなかった。

誰も言わない代わりに、私は私の心の中でたくさん叫んだ。

「バカバカバカ」
「最低」
「迷惑ばっかかけてどういうつもり?」
「ここにいてもあなたは何の価値もない」
「足手まとい」

つらいとかしんどいとか、誰かに心の内を話せなかったの?と思うかもしれないが、それは、言っていた。

会社も当時いろいろと大変な時期で、忙しいのもギリギリなのもわたしだけではなかった。先輩も、後輩も、同期も、皆早朝から深夜まで働いて、信じられない量の仕事に向き合っていた。

だからこそ、「つらい」「きつい」「おわんないー」「やめたいこの仕事」なんて言葉は日常飛び交っていて、あいさつみたいに気軽に口にしていた。

言葉にはしていても、本当の心のうちは話せなかったかもしれない。

なかなかほかの仕事についている友人と話が合わなかったし、何より社員同士の中はとても良かったから、休日もほぼ同期と遊んでいた。
私がどんなにつらかろうがしんどかろうが、みんな一緒だった。
「つらい」の後はやっぱり「みんなつらいの一緒だもん、頑張ろうね!」だったように思う。


そして私はある日、頑張れなくなった。

本当に簡単なことも、全然できなくなって、意味不明な質問をするようになって、私の上司は別の部署に「〇〇が変な質問してきても、え?て思わず答えてあげて」と根回ししてくれていたほどだった。(優しさからだとはわかっているのだが、これも私にとっては相当屈辱だった)

起きれないし、寝れない。動悸がとまらなくて、呼吸困難にもなったし、全身に湿疹ができたし、涙が止まらなくなった。

あの時の私の何がいけなかったのだろう。
10年たって、改めて考えてみる。


今となれば、もっとうまくやれたのになあ、と思う。

早い段階で人を頼ればよかった。
プライドなんて捨ててわからないとちゃんと言えればよかった。
他の環境にいる友人にでもいいからちゃんと弱音を吐けばよかった。

目の前のことで必死で、視野はとてつもなく狭かった。

頼っていい人も、支えてくれる人もいたはずなのに、私は周りの何も見えていなくて、ただわんわん泣いていただけだった。



私は頑張れなかった。

事あるごとにこのフレーズが頭に浮かぶ。

どんなに理由をつけたって、自分が挫折を味わったことに変わりはない。
今でもそのことを思うと、悔しくて、情けなくて、今も書きながら涙が出るほど。

でも私は、頑張れなかった自分を受けいれている。

頑張れなくても、それでよかったのだと思っている。

その時のベストを尽くしたし、そのおかげで見られた景色がたくさんある。

挫折を経験した私は、心も壊すほどの苦しさが、どれだけつらいものか知っている。自分の限界を知っている。何を大切にしていきたいのか知っている。心も身体も健康でなければ何も始まらないことを知っている。立ち直るために、どれだけの年月や支えがなければならないか知っている。自分に懸けてはいけない言葉を知っている。人に懸けてほしい言葉を知っている。


カウンセラーを目指そうと思った理由はたくさんあるけれど、一番大きいのはやはりこの経験だった。身内にも親しい人にも言えないで自分で自分に罵声を浴び続ける当時の私のような人を、救いたいと思った。

実際カウンセリングを始めて人を癒すことで、自分自身も癒されていくのを感じている。

カウンセリングの後、「心が軽くなった」「やっと抜け出せた」そういってもらえることが何よりも嬉しく、何かに囚われて抜け出せずもがいていた当時の自分を思い返しては「大丈夫だよ」と声をかけている。


思い出したくもない挫折や苦しみを、きっと長い人生誰もが経験すると思う。

まじめに向き合って折れた心は、すぐに癒えることはないかもしれない。

でも、その経験がなければ導かれなかった出会いが必ずある。

そしてもし今苦しみの渦中にいる人がいるなら、その苦しさを、心からの叫びを、誰かにちゃんと打ち明けてほしい。

助けてくれる人は必ずいるから。抜け出せる道は必ずあるから。

揺れ動く日々の中で、あなたがあなたを大切に思う心だけは、変わらず持ち続けていて。

誰もが自分を尊び、敬い、愛することを願って。

Sae


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