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愛される努力をしよう

皆さんはいつも誰かを愛していますか。愛するのニュアンスは人それぞれかもしれませんが、誰かを想っていることに違いはありません。


その対象は家族かもしれませんし、友人かもしれませんし、あなたの恋人かもしれませんね。もうこの世にはご健在でない方も、これから生まれてくる新しい命かもしれませんし、自分自身かもしれません。愛するという行為はとても幅が広く、素晴らしい行為だと私は思っています。


そんな愛するという行為に関して、私が心掛けていることがあります。それは表題の通り愛される努力もすることです。果たして、その効果はいかほどなのでしょうか。

あくまで私の経験でしかないのですが、愛するということは何かを与えることです。それは好きという感情を与えること、食べ物を分け合うこと、足並みをそろえて一緒に歩いてあげること、肌を重ね合わせること。「愛したい」という感情をもとに、何かしらを自ら差し出して行われるものは、見返りを求めてすることではありません。

しかし、人間はおろかですから、見返りのない行動には価値を見出せなくなってしまいます。そこに「ありがとう」という一言でもあればいいのですが、特に恋人間の中では時間経過とともに減っていくものなのかもしれません、次第に何も反応がないことに苛立ちを覚えてしまうことがあります。愛するという行為は一方通行で、悪いニュアンスで言ってしまえば「エゴ」になりえる行為なのです。なんと恐ろしいことでしょう。たった一言の見返りが無いだけで「愛する」行為が「エゴ」へと変貌してしまうのですから、人間関係は非常に難しいです。

そこで、必要になってくるのが愛される努力です。さて、どんなことができるのでしょうか。決して正解はないので、愛されなくて悩んでいるような人は自分でも何ができるのかを考えてみましょう。

何も思い浮かばない人は、まず自分を愛することから始めてください。自分は今日よく頑張った。今日も乗り切った、ケガをしなかった、誰かに優しくできた、ご飯が美味しかった、朝に猫が伸びをしていた、そんな風に前向きな気持ちで布団に入るだけでも十分自分を愛せている証拠だと思います。自分を愛せない人間が、他人を愛することなんてできないはずですから。自分を愛せないままで他人に愛を注ぐのはきっと優しさじゃなくて奉仕で、それは愛とは呼べないかもしれません(もちろん例外もあります)。


自分を愛するために、きちんとお礼を言うこと、他人に流されすぎないこと、笑顔でいること、ちゃんと朝起きること、たまには花を買うこと、極端な夜更かしをしないこと、前日の夜に明日の準備を済ませること、人を大切にすること…できることは様々あって、しかしどれも少々ハードルが高いかもしれません。もしかしたらやっても愛されない可能性だってあるわけですから、難しいでしょう。


しかし、するとどうでしょう、ニコニコしていてきちんとお礼が言えて、前向きな気持ちの人間を、頭ごなしに嫌う人間をイメージできますか。私は少なくとも世の中の人々の一定数からはそういった人は愛されるはずだと思います。皆さんもそう思うでしょう。愛される努力で、自分を愛して、得た優しさを分け与えて、自分も周りもいい気分になれる、そんな素晴らしいことってなかなかありません。

私は今日、やらなきゃいけない片付けも、面倒だった風呂も、ごみ捨ても、服の片付けもやったので百点満点です。自分を褒めて自分を愛したので、恋人の「今日はサラダを作った」という連絡がとても愛おしく思えました。


「いいじゃん、健康的だね」

「ありがとう」


この二言のやり取りで、私は今日も誰かを愛せたのだと感じられたのでした。こんな夜中ですが、外の気温が気持ちいいです。皆さんは明日、どんな一日を過ごして、誰を愛しますか。


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