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赤い傘と遺伝子の音色

赤い傘の下で揺れるロングの黒髪
湿った雨音のなか歩むローファー
だんだん近づいてくる音色

高架下
トランペットの音色
壁に凭れて奏でる無精髭の男
雑音と雨音に溶け込んでいく
男の視界に入る
濡れたローファー
赤い傘
男は驚いたが気にせず演奏を続けた

「悲しい音色だね。何だか泣いてるみたい」
彼女の言葉に男の心臓が静かに反応した
「とても寂しい孤独な音色」
「……孤独か」
売れないトランペット奏者の成れの果て
荒れて廃れた生活破綻者の末路
男は少し動揺しながら演奏を続けた

「おじさんの音色やっぱり似てる」

男はひとりの観客のために心をこめて演奏した
彼女はじっと静かにその音色を聴いていた

雨音はいつの間にかやんでいた
全演奏が終わり男はずっと疑問に思っていた事を尋ねた

「君はどうしてずっと傘を差してるんだい?」
「……これは」
「ここは濡れる心配はないよ」
「これは……母の形見なの。母が大好きだった人からもらった大切な傘なんだって。そう言って私にくれたの」
「そうだったんだね」
「……そうだよ」
「………」
「………」
「あっ………」

思わず口に出してしまった
その赤い傘には確かに見覚えがあった

「私にとってトランペットの音色は遺伝子の音色なんだ」

そう言って彼女は微笑んだ

「え?……」
「おじさん……」
「…………」
「私の名前はお母さんが大好きだった花の名前だよ」

そう言って彼女は立ち上がり帰ろうとした
男は思わずその花の名前を叫んだ
彼女が立ち止まる

静かな雨音と涙の音色が優しく溶け合った

ー完ー
































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