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焼き物

前々職の事である。

同僚が「私子供に殺されるかもしれん、怖い」と言ったことがある。

子供が精神的に不安定で、引き籠っていて、この頃「私お母さんを殺してしまうかも。」と言い出したと言うのである。

即座に「しょうが無いよ、親ってそんなことをしているんだから。」と言った。

その同僚には大分引かれたが、これは私の持論である。

子供が4人もいて子育てをしている時、悩みが無かったわけではない、只その頃思っていたのは、親は子供を世間に合わせるように形作る作業をしているという事である。

子供は生まれてきたとき柔らかい粘土のようなものだと私は思っていた。

その粘土を捏ねながら、一生懸命世間の型にはめてゆく。

そんな事を親はいつもしていっている。

そも思いは今も余り変わっていない。

粘土に火入れして(世間に出して)焼き上げてできた作品が、人になる。

その作品は形が狂っていようが、美しくなかろうが、作品は作品だ。

私は子供の頃よく母に叱られた。

とろいと言う事らしかった。

とろいとはゆっくりしていて、なんにでも時間が掛り時間内に色々な作業を知ることが出来ない事に起因して言われた。

自分としては速くしているつもりだったので、なんだか解らない、感じがした。

何時までも早くできない私は、そのまま学校に行き、少しは速くすることを覚えた。

けれど、本格的に家事などが早くできるようになったのは、やはり結婚してからだった。

たぶん私の粘土はその頃まだ焼かれていなかったのだ。

結婚して子供が生まれ、ゆっくりでは立ちいかなくなった。

それにつけて、だんだん何をするのも、早いけど雑になっていった。

この頃では、娘にお母さんは速いけど雑、と言われている。

私は多分もう火入れが終わっているので、この部分は変わらないと思っている。

人間は心は大人に成っても少しずつ変えられると思うが、本質の世間に合わせてゆく部分は変えられないんじゃないか。

この頃そう思っている、そして以前もそう思って子供を育ててきた。

子供が親を殺す事件を知るたびに、その子供に言いたくなる。

「親なんて、あんたが人生掛けて殺すほどの価値もないんだよ。」

私はだから自分が殺されるかもと言っていた同僚に、親は殺されるようなことずっとしてきたんだから、しょうが無い。

でも、まだ火入れが終わってないのならこれからがあるよ。

そんな風に言ったりしたのである。

人は全て環境に左右される、だけどそれだけじゃない、火入れが終わっていない粘土はまだ作品にはなっていない。

全ての人が自分らしく、美しい作品になって貰いたいものである。




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