変質する記憶。
忘れられない記憶がある。
私が父の運転する自転車の後ろ乗っていて、何処かのお店の前で父が停めてお店に入って行った時、自転車が倒れた、その拍子に私がお店のガラスに突っ込んだ記憶である。
此の記憶が本当の事かどうかは解らない。
思い出については親とは薄っぺらな共有しかない為、確認はできない。
記憶には4っつのカテゴリーがある。
①感覚記憶
言わずと知れた五感の記憶である。
五感とは視角、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を指しています。
子供の頃、叱られた時に食べた卵焼きの味。
運動会の音楽が流れると体が動き出す感覚。
そんな感じの記憶(たぶん)
②運動記憶
これは技能の学習によって出来る記憶。
これは2つの段階を踏むらしい。
1つ目は神経回路を使って基礎的な動きを記憶する。
2つ目は意識しないでもその動きを思い出せる様に記憶すし、その動きを洗練させるニューロンが新たに追加される。
例えば音楽家になれる人と趣味で終わる人との違いはこのニューロンという神経細胞の違いらしい。
それで自分のピアノの腕が良くなかったんだ。
全てニューロンの所為にしておこう。
③視空間記憶
これは解りにくーい。
視角野の神経回路と空間的定位情報を結びつける記憶。
要するにもののなまえと空間情報とを結びつける。
物を認識できるのはこの能力。
④言語記憶
言語記憶は言葉を対象に結びつける能力につながる。
言葉は似たような対象のカテゴリーに分類されて収納される。
その中から取り出して蘇らせる作業を脳はしてるらしい。
思い出すプロセスで、何かを差し引いたり、付け足したり、入れ替えたりすることがあるらしい。
ましてや、心理学者の実験で、人間は偽りの記憶を創ってしまうことがあるというのは、解っている。
全ての人間共通で、記憶を見直して見ることが必要かもしれない。
そして、私の記憶である。
ガラスに頭を突っ込んでいれば、きっと大事になっていたし怪我もしていたはず、それが無のであれば、きっと偽りの記憶なのだろう。
何故そんな記憶を持っているのかは解らないが、自分の中に張り付いて離れない。
同時に親に遊んで貰った思い出も楽しんだ記憶も無くなっている。
脳というのは勝手なもので、変な記憶を残して、自分が欲しい記憶は忘れてしまっている。
大人になって、子供から幼少期の記憶は殆ど無いと言われて、もっともだと思った、勿論覚えて居てほしくないことも、言ったりしたりしているので、親としては好都合なのだが、良かった思い出は持っていて欲しいものだ。
何時までも記憶に惑わされず生活したいのだが、記憶というやつは中々しぶとく張り付く。
自分だけではなく、全ての人がいい記憶、いい思い出を失わないように、そう思う今日この頃である。
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