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他人の結婚式で泣く

大学生のころ、結婚式場で配膳のアルバイトをしていた。

ブライダル業界に興味があったわけでもなく、自分自身、結婚式に憧れもない。「ドレスを着た私を見てもらう」なんて恐れ多いし、お招きできるような友人も一握りしかいないし。ブーケトスとか地獄。余興なんてやるほうも見るほうも「つらい」の一言に尽きる。何百万もかけて数時間のお祭りをするなら、ちょっと贅沢な旅行するほうが断然幸せ。

ただ、とりあえずバイトしなきゃってなったとき、もともと引きこもり体質なので「人と話すのが好きな人、大募集!」とか「バイト仲間っていうよりダチ☆」みたいなノリのバイトは到底ムリで。

「金銭を扱わない」「高時給」「土日祝のみ」「1日でしっかり稼げる」「未経験歓迎」に惹かれて応募した。大学の授業の合間にバイトするなんて器用な時間のやりくりもできなかったから、いま思えば最高に好条件な仕事だった。機会があればまたやりたいなって気になるくらい。

でも、そのバイトで私がいちばん好きだったのは、条件が自分にあっていたことでも、楽に稼げたことでもなく、他人の結婚式で馬鹿みたいに感動してきたから。

結婚式というのは「結婚という人生の節目に、新郎新婦がお世話になった方々に感謝を伝える」セレモニーらしい。ただのアルバイトで、披露宴中に食事を運び、ドリンクを注ぎ、スポットライトを操作し、演出によってはカーテンを閉じたり開いたりしていただけの私は、新郎新婦にとって完全なる赤の他人だ。プランナーとか司会はもちろん別だけど、配膳なんて存在すら認識されてないかもしれない。

たぶん私の場合、他人だからこそ感動したんだと思う。

自分がゲストの立場じゃないから。
彼のこと好きだったのにな。あの子どうしても気にくわないのよね。私、数合わせで呼ばれただけだな。とか。思わなくていい。元彼と顔を合わせることもないし、好きだった人の子どもを見なくていい。かつての友人との間にできてしまった距離感にさみしさを感じることもない。同じ場所にいて、一緒に時間を過ごした仲間のなかで、「誰にも選ばれなかった自分」を、思い知らなくていい。

もちろん大学生だったころはこんなこと考えなかった。そして今も、私を結婚式に誘ってくれる友人たちとは、やっぱり「過去のいざこざ」なんてものはなくて、どれも私のほうが幸せな気持ちにさせてもらうばかりだったんだけど。

もし自分が、万が一にもありがたいことに結婚式をすることになったら、って考えてしまう。私、耐えられないと思うんだよね。

結婚式という、その人の人間関係の縮図において、純白のドレスに身を包む新婦。何の汚れも知らない少女のようでいて、己にまとわりつくすべての闇を白で殴り飛ばしているのかな、なんてことを考える。

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