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【ショートショート】 ポータブル終電

 嫌だ。最悪だ。嫌だ。悲しいとか悔しいとか、そんな感情よりも先に、嫌だと思う。その知らせは唐突に、僕のもとへやってきたのだ。
 統計学の講義の前、ちょうど教室に着いて腰を下ろした時だった。スマホにメッセージが入った。美和からだ。
「崎田くんと付き合うことになった。今、返事した」
 え? 同じゼミの崎田? 返事した? どういうこと?
 頭の中の言葉通りに返信する。
「付き合おうって言われてたんだけど、ちょっとだけ迷ってて、さっき返事したの」

 講義が始まった。どう返信したら良いのか分からなくて、そのままにする。講義の内容なんて頭に入ってくるはずがない。
 昨夜の記憶を反芻する。ゼミの飲み会があって、それぞれ適当な時間に帰っていった。下宿先が近い僕と美和が最後まで残り、最終電車に乗った。僕は、美和と付き合いたいと思っていた――いや、いる――。けれど、同じゼミということが邪魔して、フラれたあとの気まずさが怖くて、想いを伝えられないでいた。
 こんなことになるのなら、ふたりきりになれた昨日の終電で伝えておくべきだった。後悔が波のように幾重にも押し寄せてくる。目の前のホワイトボードに書かれた数式さえも、憎らしく思えてくる。

 講義が終わってすぐ、今度は新山からメッセージがきた。
「なあ、このアプリ、試験段階っぽいんだけど、やってみない?」
 添付のリンクを開いてアプリをダウンロードする。こう説明されていた。

『これは、あなたをポート(=移動)させることができるシステムです。ポート可能な範囲は、距離を問いません。世界中どこにでも、あなたが望むのであれば地球上をでることもできます。また、ポートは次元も問いません。四次元のポート、つまり時間の移動も可能です。なお、同じ時間に同一人物が複数人現れることはありません。あなたが存在している時間にポートする場合、もとの次元の身体と入れ替わることになります』
 
『使用法は簡単です。テキストボックスにポートしたい場所を入力し、【ポート】アイコンをタップするのみです』
『使用できる回数には制限があります。アカウントページから確認できます』

 そこを開くと、【五】と表示されていた。信じがたいとは思ったが、馬鹿馬鹿しいとは思わなかった。絶好のタイミングだ。ショックで興奮していた僕は、すぐに試してみたくなった。
 迷わず昨日の終電をセットする。焦る気持ちでアイコンをタップ。想像していたような時空を超える渦のようなものはなく、いとも簡単に僕はそこにいた。

 僕と美和は最終電車の長椅子に隣同士で座っている。車内は混んでおらず、僕らの間には三十センチほどの、ぎこちない――と僕は感じる――スペースが空いていた。
 美和が話していたのは、彼女の姉のことだ。いつも小さな喧嘩をしているけれど、とても仲が良いらしい。楽しそうに話す美和の手振りが大き過ぎて、可愛いと思った。この話を遮っていきなり告白するのは、一人よがりで格好悪い。そう思って、美和の話が途切れるのを待った。なんとなくタイミングが掴めないまま、美和の最寄駅の一つ手前に来ていた。あと数分しかない。話し始めて駅に着いたら、妙な感じで終わってしまうかもしれない。踏み出せないまま、チャンスが過ぎていくのを待った。

 やり直しだ。アプリを開いて、終電に乗ったところに戻る。また、隣に美和がいる。今度は適当な相槌を打って、話題を変えようと思った。それでもなかなか話が途切れない。どうやら美和は、あまり話さない僕のために、会話を続けようとしてくれていたようだ。
「あのさ」やっと僕から話すタイミングが来た。「美和と話すの、楽しいなって思って」
 そのあとが出てこない。肝心な言葉が出ない。ここからは一回目のポートの再現だ。美和と一緒に降りようかと思ったが、そうすると僕は家に帰れなくなる。これは終電なのだ。勇気のない僕は、彼女が降りた電車のドアがなかなか閉まらないことに苛ついていた。

 やっぱり終電の中で想いを伝えるのは難しい。あの短い時間で雰囲気を作るのは無理だ。別のチャンスを探そう。なんなら美和が崎田に返事した後でも遅くはないんじゃないか。今度は未来に行ってみよう。統計学の講義のあと、美和に会って話そう。僕はアプリですぐにポートした。そこはゼミ室で、美和を呼び出したあとだった。
「あのさ、崎田と付き合うって。でもさ、俺ずっと、美和と付き合いたいと思ってて。今まで言えなかったけど、まだ間に合うんじゃないかと思って。やっぱり俺と付き合ってよ、っていうか、付き合ってほしい」
 美和に遮られるのが怖くて一気に言った。言い始めたら言葉が止まらなかった。馬鹿らしかったし声も震えていた。すぐに居なくなりたかったけれど、そのまま逃げる勇気さえなかった。
「それって、私が崎田くんと付き合うことになったから?」
「あ、いや、そうじゃないけど! いいよ、全然! もしチャンスがあればって思っただけだし、ほんと」
 思っていない言葉が流れ出てくる。格好悪い。それに美和に失礼だ。ちゃんと美和に向き合いもしないで、自分を守ることに必死だった。
 困った表情の美和は次の講義に向かった。困ったけれど作り笑顔の僕はまた後悔に襲われた。そもそも、こんな近い未来にポートするんだったら、アプリを使わなくても待っていれば良かったんだ。

 四回目のポート。やはり昨晩の終電に戻ることにした。さっきの反省を踏まえて、できるだけ真っ直ぐな気持ちで美和に気持ちを伝えた。少なくともそうしたつもりだった。初めて会ったときから気になっていて、話すほどに好きになっていたこと。本当はもっと早く付き合いたかったのに、気持ちを伝えられずにいたこと。

 美和の答えはノーだった。「奥村のこと、良い友達だと思ってたよ」
 落胆と恥ずかしさと、少しの怒りが混ざった感情が、体内を巡っていた。
「そっか、まあ、また仲良くしてこうな」
 もっと話すべきだったのかもしれない。諦め切れないくせに、僕はあっさり諦めた。

 時間を戻せば、やり直すことができれば、変わるんだと思った。けれど過去に戻っても、僕は僕のままだった。自信はないくせに、プライドだけが高い僕だった。でも今、後悔はない。過去は変えられなかったけれど。

 最後のポートは、こんなふうに使った。またあの終電に戻って、美和に告白なんてしていないことにした。ポートなんてなかったことにした。フラれるんだったら、伝えなかった方が良いと思ったんだ。やっぱり僕は変わらない。自分の失敗に耐えられない僕のままだ。たぶん、まだ今は。



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ここまで降りてきてくださって、ありがとうございます。優しい君が、素敵な1日/夜を過ごされますように。