見出し画像

ブラジルに着いた直後に(2018年1月)


いとこからは、

「ジプシーみたいな格好で、ヨレヨレのでね。目をつけられたら危ないから」と言われたのでバッグもシャレたのではなく。
世界一周で使い倒した、このショルダーバッグを、持っていくことにしました。
財布にはびよーんが付いています。


ポケットがたくさんあるので、バッグごと引ったくられなければ、バスや電車などのスリ対策にもなります。でも、銃やナイフなどの脅し暴力系もあるみたいなので、基本バッグには大事なものは入れないっ!バッグごと、引ったくられても大丈夫なものだけを入れる。

これに限ります。

何かあったときは、バッグにお金を何枚か入れておいて、バッグごと渡すつもり。(その場合、ある程度大きな紙幣をいれておく、少ないと命にかかわります。)


宿にも強盗入るらしいので、油断とかそういう問題ではないかもな。

いつもは現金両替派なんですが、今回は、ほとんどのお店でクレジットカード使えるみたいなので、余計なものは持たず国際キャッシュカードとキャッシングで乗りきりたいと思います。

確か通貨はリエル?レアル???


さて、羽田からトロントまで

12時間っ!➡5時間トランジット


トロントからサンパウロまで

10時間っ!➡3時間トランジット


(サンパウロで一旦荷物をピックアップして、ブラジル国内線に乗り継ぐのですが、荷物預けカウンターで一時間半待ち➡さすが、ゆっくりゆっくりスッゴク時間かけてました。列、進まない、ススマナイ!)


サンパウロからサルバドールまで

2時間っ!


えーーっと、トータル32時間??



帰りもこの時間乗るかと思うと、若いうちに行っといた方がいいぜ!ブラジル。
サルヴァドールの空港には、いとこが迎えにきてくれました。
もう、寝たか寝ないか、何日かわからない状態で、気分はハイ!

いとこの旦那さんと「はじめまして」の乾杯をして、スマホを繋いでみたらLINEに娘から
「着いたら連絡してください」とありました。

「今、ついたよ!」とLINEに返事すると

「おじいちゃんが亡くなりました」とあり、思考が止まったことを、を今でも鮮明に覚えています。すぐLINE電話をしました。

92歳の義父は老衰で、私が多分カナダから飛行機を待ってる時にこの世を去ったということを知りました。

お通夜は翌日。告別式は翌々日。私が、とんぼ返りで帰っても告別式には間に合わない。私はそれでも帰国すべきだと思い、帰国便を探しましたが、いろんなルートでも翌日便は無理で日本の反対側に居る無力さを感じたのでありました。

夫が、
「こちらは、子どもたちもいるから、大丈夫だから、そちらに滞在しなさい。」

私の、この時の行動、決断が正解とは思っていません。
むしろ!帰りたかった。実はブラジルに行く1週間くらい前、実家に行って義父にも会って話をしていたのです。

私「おとうさん、私、来週からブラジルに行ってきます」
義父「ブラジルに行くのには、どのくらい時間がかかるのか?」

そんな話をしたのを覚えています。風邪気味なんだと、少し横にはなっていましたが。私の旅のことはすごいね!と応援してくれていたと思っています。そう思うと、私が出国する前に知らせを聞いたら、私はブラジルには行かなかったと思います。

ブラジルに着いて、訃報を聞いて
私の勝手な気持ちですが、義父は生きなさい、人生を
と応援してくれたような気がします。


告別式では、「嫁がいないけど、どうしたのかしら」とそりゃー大変だったようです。「おじいちゃんへ、私はすぐ帰るべきだったのかもしれません。」ブラジル、サルヴァドールのカーニバルに楽しく参加するという気分にはなれなかったけど、いまだに正解はわかりません。

ただ、いとこの旦那さんが、
「死者の供養は葬式に出るだけではないよ。こちらのカーニバルに参加することも供養になるよ。」と、必死に飛行機のチケットを検索する私に声をかけてくれました。

義父のこれまでの言葉少ないながら思いやりがあった姿を偲びながら、このまま滞在することに決めました。



日本は真冬でしたが
ブラジル サルヴァドールは夏。

いとこの家から海の見えるこのテラスの場所は、言葉に出来ないくらい綺麗で忘れられないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?