「ビックリせんでね」と、オクラが投げた線のこと #あの日のLINE

5年前の4月、青いスプリングコートを着て新しい街を歩いていた。気温は22度。チョコレート屋さんで働いていたとき、チョコレートの保存の適温は18度〜22度で、室温をいつもその温度に保っていたので、いつのまにか感覚で適温がわかるようになった。

その日わたしは、数日前に引越しをしたので、転入先の区役所に手続きをしに来たところだった。

窓口で待っている間、いつものようにスマホを取り出し画面をひらくと、アーティストの訃報が目に入った。「羊毛とおはな」のボーカルのはなさんが乳ガンで亡くなったのだと書かれている。

目から入った情報に感情がついてこないほどの驚きと、喉の奥がグッと閉じるような苦しさのあとで、トンちゃんのことを思い出し、LINEを送った。

「ニュース見たよ。びっくりしたね。悲しいね」

トンちゃんとは、引っ越す前の街で、近所に住んでいた友人の居候として知り合った。わたしの娘のあーちんも仲良しで、よく絵を描いて見せ合ったり、遊びにでかけたり、一緒にご飯を作って食べたりした。彼が東京にいたのはその居候期間の2年だけで、その後はまた地元の福岡に戻っていた。


福岡に戻ってからも、ときどきLINEでくだらないやり取りをしたり、近況を送りあっていた。トンちゃんがフェスに行ったよと報告してくれたとき、「羊毛とおはな」が好きで、とてもよかったよと自慢していたのを、今回思い出したのだった。

すぐにスマホが震え、トンちゃんから返信があった。
「わー、知らなかった。きついな」

「トンちゃんは健康診断行ってる?ちゃんと行かないとだねえ」
と、わたしもすぐに返信した。

トンちゃんは会社員じゃないし、きっと行ってないんだろうなー。わたしも数年行ってないし、ちゃんと健康診断に行く約束でもしよう。そんなやりとりを予想していたのに、すこしだけ時間をおいて届いたLINEは、想定した線からはるかに遠いものだった。

「サクちゃん、こんな話が出たので、言っておくね。ビックリせんでね」

「実は俺、末期ガンで闘病中なんだよ」
「もう手術はできないから、化学療法で、完治は難しいから余命を伸ばすって感じです」

ご丁寧に診断書と点滴の写真も添付されていた。

頭が受け入れを拒否したのか、瞬時にフリーズして動きと呼吸が止まった。脳が機械のごとく情報処理するのを眺めるように、バカみたいに放心しながら待ったが、心も言葉も機能しなかった。ぼんやりして何も言えず、手だけが熱くポケットの中でやっつけるようにスマホを握りしめていた。チョコレートならドロドロに溶けている。

***

トンちゃんはものすごく頑固だ。いつも自分の考えをつよく持っていて、他人に惑わされることがない。そして同時に、他人にとてもやさしかった。

クリスティアーノ・ロナウドに影響されて毎日腹筋を3000回やると言い出したら本当にやるし(ただし数年後にC・ロナウドがそれはただの噂でそんなにやってないと訂正していた)、あの店のメロンパンは絶対に世界一おいしいと言い張ってムキになっては、早朝に買いに行って「ほら食べてみて」と持ってきた。さつま白波(芋焼酎)を何よりも愛していて、野球観戦に行くときは水筒に入れて持っていき「どこでも飲めて、よかろう」と自慢しながらニコニコしてくいくい飲んでいた。

わたしが福岡の病院に会いに行くと言ったら、「筋肉が全部落ちて、髪もまつ毛も抜けてひどいから、見られたくないのでダメ」と言って、何度言っても断られた。トンちゃんがダメと言ったらなにがなんでもダメなのだった。一度、黙って福岡まで行ったけど、それでも会えなかった。「今度会うときは元気になったときだよ」とやさしく言って、わたしを黙らせた。あいつの意思はロナウドの腹筋より固いな、と思った。

***

トンちゃんとあーちんは、どこか「同じ星の人」という感じだった。ふたりとも絵が好きで、人にやさしくて、達観したような視点を持っていた。年齢も性別も越えてほんとうに仲良しで、たくさん話さなくてもわかり合っているように見えた。

あーちんは小学校で気があう友達があまりできなかったので、近所に友達ができて、わたしもうれしかった。

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入院中、「あーちんが前に作ってくれた本のしおりがボロボロになっちゃったから、新しいのがほしい」と言うので、作って送った。退院したら食べたいものを聞いて、あーちんが絵に描いて送った(チーズフォンデュと寿司だった)。

でも、あーちんには「トンちゃんが入院してるから」と説明はしたものの、病気のことをきちんと話せずにいた。

彼が病気のことをすぐにわたしに話さなかったのは、わたしではなくあーちんに言えなかったからだとわかっていたし、わたしがただ事実だけを伝えるのは、ふたりの関係に対して失礼だと思ったからだった。

***

LINEのやりとりは続いたが、返信が負担にならないか気になった。時間がかかってもお互いに気にならないように、と、ふたりで考えて「Q&Aをしよう」と決めた。

彼は、治療はすごくつらいけど、「お題」があると、調子がいいときに考えることがあっていいと言っていた。わたしは、ゆるく長くとぎれないうれしいやりとりが続きますように、と願った。

「子どもの頃うれしかったことは何?」「生まれ変わりってあると思う?」「忘れられない映画は?」など、お互いに質問を出し合い、答えあった。「お互いを食べ物に例えると何?」という問いには、わたしは彼をオクラにたとえ、彼は「サクちゃんはモンブランやね」と言った。

あなたがどんな人なのかもっと知りたいと質問をして答えてもらうのは、思い出を遺してもらうために楽をした抜け駆けのようで気がひけるときもあったけど、そのやりとりを彼は「時間をかけてゆっくり走る走馬灯みたいやね」と言うので、一緒にメリーゴーランドに乗っていると思うことにした。

とんでもないところに投げられた線をつかんで、切れないように丁寧にゆっくり丸く束ねていくような時間だった。

すべての治療を止め、ホスピスに入った頃、ずっと気にしていたことをどさくさに紛れて聞いた。「あーちんに、トンの病気のことを話してないのだけど、話した方がいいかな?トンちゃんとあーちんは友達だから、わたしが言うよりトンから話したほうがいいかな?」

すると「話さないほうがいいと思う」と返ってきた。「いつまで?」とは聞けなかった。

梅雨明けを待たずに、トンちゃんは亡くなった。湿度が高く蒸し暑い、チョコレートにも人間にも快適とは言いがたい日だった。

***


あーちんには、彼がいなくなってちょうど1年経った日に話した。友人が、遺品の中からあーちんの作った本のしおりを見つけて写真を送ってくれたので、それをどうしても見せてあげたいと思って、話すことを決めたのだった。

トンちゃんとのLINEを見せながら、「今日、話すかどうかものすごく迷ったよ。だって、トンが言うなって言ったら絶対でしょう」と言うと、あーちんは泣きながら「だろうね」と笑った。

今まで黙っていたことを謝ると、「トンちゃんは、あーちんが悲しむのがかわいそうだと思ったんだから、しょうがないよね」と言うので、この人たちはお互いに相手のことを気にして、やっぱり同じ星の人だなと思った。

今もトンちゃんとのLINEはわたしのスマホの中にそのまま残っていて、彼の実家の部屋にはあーちんの描いたチーズフォンデュと寿司の絵が飾ってある。

モンブランを食べるときはいつも思い出す。マロンクリームのゆるやかに細く絞られた線を見ながら「わたしをモンブランに例えたんじゃなくて、ただわたしの好物を言ったよね?」と。


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この記事は、LINE株式会社のオウンドメディア「LINEみんなのものがたり(https://stories-line.com/)」の依頼を受けて書き下ろしたものです。


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