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「ゲーテ診療所 とうさんのティラミス」を観て(カフェが映画をつくること)

渋谷と三軒茶屋にあるカフエマメヒコが作った映画「ゲーテ診療所 とうさんのティラミス」を観に行ってきた。

マメヒコはカフェなのに「マメヒコピクチャーズ」と名付けて映画を作っている。この作品は3作目で、カフェを舞台にし、脚本、監督、演出、編集、プロデュースをすべてカフェオーナーの井川啓央氏がつくりだしている。


なぜ、カフェが映画を作るのか。

何千回と聞かれている質問だろうけれど、たぶん井川氏本人も明確な答えなど持っていないのではないかと思う。それに、マメヒコでは映画だけではなく、他にもラジオ(しかも週4日)、舞台演劇、北海道の畑、料理教室(しかも作らない)をやったり、定期券制度というブッとんだことばかりしているからだ。

しかも、早い。やるのもやめるのも早い。ふと気がついたら、お店に舞台がついていたり、カフェがとんかつ屋になっていたり、中華飯店になっていたりする。追いつけないどころか、近頃では撒かれている気すらする。


今回の映画「ゲーテ診療所 とうさんのティラミス」は、ゲーテ先生という心療内科医(「聞いてあげる」だけの医者 ゲーテの言葉と歌で治してしまう)と、とあるいくつかの家族の話なのだけど、人間の細かなヒダ、かなしみ、ユーモアが、とても繊細に描かれていた。

また、劇中にでてくる表題にもあるティラミスが、物としてではなく、ひとりのキャストとしておおきな役割をもっていて、さらに、そのティラミスを食べながら映画を鑑賞できるという不思議な体験ができたのも、とてもおもしろかった。

北海道の畑の植物や川の流れの自然の大きさ、音楽のおおらかさに比べて見せた、人間の細やかな心の動きや、個による微差。そして、それが自然の大きさに比べて劣るわけではない。人は自分の力で、それでもダメなら他人の力を借りて、なんとかどうにかできる。それでも生きる。そんなメッセージをわたしは受けとった。

劇中の「わからないけど、どうにかなるって思ったのよね」という台詞をきいて、まさに井川さんらしい言葉だなと思った。



映画について井川氏が話したなかに「いまの社会は、人間なんて要らないよね、というメッセージがつよいんだと思います。だからかえって一人ひとりの人間に甘くささやく言葉がもてはやされる。カフエマメヒコも、すべて手作りだったり、手作業で畑をやったりと、そういう文脈のうえに成り立っているのだと思います。人間の魅力として必要とされたい。人間讃歌のメッセージが伝わっているんだと思います」とある。

この映画作りそのものも、そういうことなんだと思う。

あたらしく未来を作るには、かつて自分が心をうごかされた経験からしか生み出せない。

カフェが、こうやってだれかの人生の舞台になったらいいな と願うことが、きっと自分の今までの思いを外に出させたのだと思う。


井川さんと話していると、よく「ダメなものはダメで、しょうがないじゃん」と言う。なにもかも良くならなくていいのだと、ダメなままだからこそできることがあるでしょうと。

井川さんは、もう自分にしかできないことをやりつくす気なのだと思う。「わかってほしい」と共感を得てなんぼのカフェで「わかってたまるか」と猛スピードで自分の色を塗りながら、逃げる。

わたしは、このカフエマメヒコとは8年のつきあいになるのだけれど、これほど目まぐるしく、変わらないで続けるために変化し続けるカフェは他にないと断言できる。

ぜひ今後も逃げられても追いかけて、時代の変化を感じたいと思う。


なぜ、カフェが映画を作るのかは、「そこに井川氏がいるから」他ならない。


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