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仕事を、あなたとわたしの距離から考える。

ずっと、考えている。やりたいことがなくて、特別な才能もないので、じぶんがなにをしたら、だれがよろこぶかを、考えている。


わたしは長い間お店屋さんの仕事をしていた。ケーキ屋、チョコレート屋、クッキー屋と、並べてみるとウソみたいな仕事ばかりだ。

お店屋さんというのは、わかりやすくお客さんと直接的なやりとりをする。ほしいものを提供して、直接お金をいただく。カフェやレストランであれば、お客さんの反応も直接返ってくる。よろこんでほしいひととの距離がとても近いしごとだ。

そういったお店屋さんでよろこばれることは、商品のよさや美味しさは、期待というより前提で、よろこんでもらうためにいちばん相手(お客さん)に伝えるべきことは、シェフのこだわりでも素材の産地でもなく、「あなたを大事にしますよ」ということだ。

それが、焼きたてのパンでも、読書するのをほっておいてくれることでも、最高の技術でも、心地よい空間でも、方法はなんでもいい。お客さんが無意識にも「大事にされた」と思ってくれたらそれでいい。距離がちかいので、細かなことでも、それを察することができる。

また、お客さんがお店屋さんにがっかりしたり怒ったりするとき、その原因はどうあれ、そこには「大事にされなかった」という思いがある。大げさではなく、99%がそうだと言える。そう思わせるのは、言葉や配慮が足りなかったときや、他の誰かと差別された(ように感じた)とき、要求に応えてもらえなかったときなど様々で、単純なミスや能力不足はあれど、ほとんどにおいて双方に悪気はない。

たとえ「損したからお金を返せ」と言っている場合も、ほんとうにほしかったのは別にお金ではない。それをわからずに、お客さんが怒って、されてイヤだったことを話すのに対して「いったいどうしてほしいのか。お金か、商品か、謝罪か?」と対応してしまうひとも少なくない。言いたいことはただひとつ「わたしは大事にされなくて悲しかった」ということなのに。


こんなふうに良いときも悪いときも、直接ヒリヒリするような距離でひとと関わることができるかどうか、というのは、まさに才能の問題だと思う。できるひとはすこしの苦痛もなく、あたり前にできるのだ。


それでは、たとえば漫画家ではどうか。何千人、何万人の読者がいるとき、たくさんのひとがよろこんでいても、作者が直接会うのはそのうち何人なのか。どうやってそれを感じるのか。読者のよろこびと、出版社や編集者のよろこびの、どちらが近いのか。さらに、その編集者の仕事はだれがよろこぶことなのか。


そうやって、じぶんの仕事とだれかがよろこぶことの、方法と距離の両方の向き不向きについて考えていると、同じ職業でも、ひとによってその方向はちがうのかもしれないと思うようになった。

じぶんの仕事で、目の前のひとがよろこぶから。会ったことのないたくさんのひとがよろこぶから。いっしょに働くひとがよろこぶから。同業者がよろこぶから。その仕事につくことを望んでいたお母さんがよろこぶから。どれが正しいかなんて言えないよなと。


今までは「じぶんに何ができるか」だけを考えていたけれど、「だれによろこんでほしいか」から考えてみようと思う。そして、そのひととどんな距離だと苦痛がなくちょうどいいのか、というのと、じぶんの得意なことを照らし合わせたら、やるべきことが浮かんでくるような気がする。


それにしても、最近あたまのなかが今さら就活中の大学生みたいでおかしい。

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