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2017年7月の記事一覧

「卒母」するために必要なことを考えた。

先日、毎日新聞の朝刊で連載されていた西原理恵子さんの漫画「毎日かあさん」が終了した。その理由は「お母さんが終わったから」だ。娘さんが16歳になったタイミングで「卒母」宣言をしたという。 この先、私は学校に行かせたりするなど経済的な支援は必要でしょうが、それ以外はもう要らないなって。この子たちはもう絶対に大丈夫だと思っている。「後は君たち好きにしなさい。私も好きにさせてもらうので」って。(中略)私も十分お母さんやったので、後は自分の好きな人生を送らせてもらいます。子育

幼少期になにを浴びたか?英才教育について考えた。

先月、柳本浩市さんの展示を観に行ったとき、展示されていた彼の年表をみて驚いた。 柳本さんは、超人的なコレクターとして活動し、そのモノや情報から考察し、文脈を作り、未来へ社会へ再定義してひろげていく編集者として活躍していた。 年表によると、彼は4歳で神保町の古本屋巡りをし、6歳でアメリカから通信販売で洋服屋雑貨の買い付けをはじめ、ファイヤーキングの食器を集めはじめる。7歳の夏休みの自由研究ではビーチ・ボーイズの未発表のアルバムを自分で音源を組み合わせて完成させた。11歳でヴ

『ボクたちはみんな大人になれなかった』で、言葉はヒーローになった。

喫茶店で、となりのテーブルにいた5歳くらいの男の子が、右手になにかしらのヒーローを持ち、活字では表現しがたい男児独特の擬音語を発しながら、空を飛ばせたり敵と戦わせたりしていた。 わたしはその隣で『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ。 モノクロでもセピア色でもなく、気だるくぬるい紺色の映像が頭のなかで再生される。背景にはずっと音楽が流れている。小沢健二が、ジョンレノンが、ジャミロクワイが、バネッサパラディが、テレサテンが、UAがきこえる。匂いもする。エクレアの

お墓参りの言い訳

もしも父が生きていたら 毎年命日に、そう思う。 坂の上にある墓地で、乾いた墓石にお水をつるつるとかけながら思い出す。 16年前、蒸し暑い夜の深い時間にプルルと電話がなったとき、わたしも母もなぜかコール音の少し前に目が覚めた。きたね、と母は言った。きたな、とわたしも思った。父が倒れてから4年間の入院生活に終わりを告げる音だった。 脳梗塞をおこし、駅の階段から落ちて脊髄を損傷し、言語と身体のほとんどが不随になったまま、意識だけははっきりとある状態で4年をすごした。ま