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SAC about YODAN

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2016年8月の記事一覧

こどもの自殺について、わたしがあーちんに話したこと

「9月1日は18歳以下のこどもの自殺の数がいちばん多い」というニュースを、毎年夏休みの終わりに目にする。 自殺について、いじめについては、気軽に書くものではないとは思うのだけれど、わたしが自分のこども(あーちん)に今まで話してきたことを、ちょっと書き残しておこうと思う。ある親子の会話の記録として。 家にテレビがあって、夕方のニュースをこどももいっしょに観ているというシーンはよくある。そして、こどもは案外それをよく観ている。 こどものころ、テレビのニュースというのは「絶対

SNSに会話は存在するか、メガネは顔の一部になってはいないか問題

わたしが個人的にSNS上でいちばん気をつけていることは、「書くことと自分が近くあること」だ。わたしがだれかと会って話すことと、SNSで書いていることの間に、なるべく差やちがいをつくらないようにしたいと思っている。 それはわたしが勝手にそうしたいというだけで、もちろんSNSだからできるキャラ設定や、SNSだからできる発言、SNSでは言えないことなどもあるだろう。ただ、わたしは書いていることと本人が同じ(近い)ひとがすきだ。 SNS上のキャラと実際に会って話す本人とのギャップ

自信があるとか、ないとか。

「自信があるからできるんですね」と「どうしてそんなに自信がないの」両方とも言われることがある。そして両方ともに「むぐぐ・・・」となってしまい、ちゃんと答えられない。 たとえば、わたしはシングルマザーなので、こどもを育てることと仕事をして生活費を稼ぐことをひとりでやる。どんなにグズってもやらなければいけない。はじめから自信があったか?と言われると「ないよ!」と言い切れる。 自信がなかったら誰かが助けてくれるわけではない。自信があってもなくてもやらないといけない。というか自信

もっと、つよくなりたい。(怒りと嫉妬について)

オリンピックを観ているからか、ここのところ「つよさ」について考えている。わたしは、もっとつよくなりたい。 自分で言うのもなんだけど、わたしはけっこうつよい。だけど、もっとつよくなりたいなと思うのだ。それはどうなりたいということなのか、それにはなにが足りないのか。 わたしはほとんど怒らない。 怒っているひとは一見つよそうに見えるけれど、「怒り」は「つよさ」とつながらない。ひとはどんなときに怒るかというと、自分が大事にしているものを脅かされて阻止したいときや、なにかが理解で

食べものと言葉でのこしたいもの

あーちんはひとと食べものをセットでおぼえている。 彼女が2歳のときに友人と行った沖縄で、暑くて汗をたくさんかいて、話し声も聞こえないくらい蝉がジャンジャンと鳴くなかで食べた塩せんべいをあーちんはとても気に入って、朝起きたらひとりでちびちびと食べていた。その時の友人のことは今でも「いっしょに塩せんべいを食べたよね」とおぼえている。 先日、昨年の初夏に亡くなったともだちのトンの話になったときも、たこ焼きを山ほど焼いて食べたこと、わたしがつくったトマトソースのペンネのこと、お花

わすれたり思い出したりわすれられなかったり

23時すぎにマンションのエントランスからきこえる父の咳払いで毎晩目を覚ましていた。父はお酒を飲んで帰宅すると、いつもマンションの敷地に入ると大きな声をあげた。ばかやろう、このやろう、あのやろう、となんの意味も持たない言葉を怒鳴りながら自宅へ続く階段をあがってきた。こわいのとはずかしいのとで、夜がだいきらいだった。 そのせいか、わたしはお酒を飲んで怒るひとがとても苦手だ。そして、今でもねむるのがヘタだ。夜と怒鳴り声をセットでからだがおぼえているのかもしれない。(ただの体質かも

スズメになりたかったあーちんと、子育ての「わからない」について

まわりのひとよりすこしだけ早く子育てをしたので、時間差で、今子育て真っ最中のともだちに、あーちんがちいさいころのことについて「こんなときどうしてた?」などと聞かれることがある。 今ふりかえって思うことと、当時のわたしに見えていたものには差があって、「今思うとそうだけど、そのときはよくわからなかった」ということばかりで、当時も「今はわからないけど、これはどういうことなのかいつかわかりたい」と思っていた。 たとえば、あーちんはちいさいころから6歳くらいまでずっと「とりになりた

公開ラブレター

朝から5回くり返し読んだ吉本ばななさんのnoteに、いてもたってもいられず書きはじめている。 中学生のときにばななさんの本をはじめて読んでから、20年以上ばななさんの書いた文章を読み続けている。そのなかでも特別に、娘のあーちんを妊娠中にはじまった、ご自身のウェブサイトに掲載されていた日記がほんとうにもうだいすきで、すきすぎてすっかり他人の気がしないほどだった。 その日記は年に一度文庫になって出版されていたので、まとめて紙の本で読めるのもうれしかったのだけれど、数年前にサイ

「考えるってどうやるの?」(読書感想編)

「じぶんがどうしたいかわからない」 「考えるってどうやるの?」 そう問われて思い出したことがある。 こどものころ、「読書感想文」が書けなかった。 ある本(物語)を読んで感想を書くときに、望まれているのが「文章の一部抜粋」「それについての感想」「自分の体験」「読んだときの気持ち」などを書けばいいということはわかっていたけれど、わたしはそんなふうに本を読んだことは一度もなかった。 まず、その感想文を誰に向けて書くのかがわからなかった。その本を読んだことのある人に向けている