マガジンのカバー画像

シングルマザーのクッキー屋の話

20
シングルマザーの貧困や苦労話じゃなくて、こうやって楽しくやってきたよという希望の話。
運営しているクリエイター

#コラム

シングルマザーのクッキー屋の話 【はじめまして 書いてもいいですか?】

某出版社より「ちいさなお菓子屋さんのはじめかた」的な開業実用書のような本の取材のお話があり、企画書を拝見したのだけど、迷っている。 こんな私(貧乏、技術なし、シングルマザー)でもお店を開けたから、誰にでもできるヨという希望の星になりたいという気持ちはある。 でも、でもだ。同時にわたしの話は何の参考にもならない。 偶然に次ぐ偶然で出来上がったし、そもそも別にお店をやりたかったわけではない。 時間を作りたかっただけ。 大工の同級生に偶然再会したり、熊本に引っ越したは

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと①】

中学2年生のときに「将来の夢」についての作文を書くという課題があった。 小さい頃から「大きくなったら何になりたいの?」と大人に尋ねられたとき他のこどもたちがお花屋さんとかお嫁さんとか野球選手とか何かしら答えることができるのを、本当にそう思っているのではなくて大人へのリップサービス的な 子供たるものこうでしょ を演じているのだと思っていた私は、14歳になってまだ演じることを望まれるのかと驚いたが、今後の進路が、などどうやら先生が本気で「将来」と言っていることに気がつき本当

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと②】

製菓の専門学校で勉強した先にケーキ屋さんで働くには、技術的な修行の場として味やセンスで選ぶだけではなくて、どんな規模の会社があってその仕事内容がどんなものか、業界の中の仕組みがどうなっているのか知りたかったけれど、先生は先生という職業であって業界の仕組みについて詳しいわけではないから、納得するほど知ることはできなかった中で、周りの同級生が個人店希望とかホテル勤務希望とかなぜ選べるのか全くわからなかった。 しかし父が倒れ、最短距離で仕事への道を探さなければいけなくなって、そも

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと③】

胃潰瘍と胆石の治療を終え、元気になってきたけど働くのが怖いなと思っていたとき、友人が働く某チョコレートショップからとにかく誰でもいいから手伝ってほしいというお呼びがかかり、リハビリだと思ってお手伝いに行った。 そのお店は開店一年目のバレンタインの時期で、とにかくグチャグチャで混乱しているところにポンと飛び込んだ。 そのときにわたしがしたことは、都内のデパートのバレンタイン会場で出店中だった各店の不必要な派遣やアルバイトを整理して勝手に帰したり、在庫を把握できる仕組みを作って各

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと④】

23歳で結婚、出産。その後1年で別居、離婚をした。 産後8ヶ月で仕事に復帰したのだけれど、当時わたしの周りに子育てと仕事の両立の見本がなくて、シングルマザーの見本はもっとなくて、それでもとにかく働いて生活費を稼ぐ以外の選択肢はなかった。 見本はなかったけれど、同時に子育てと仕事の両立ってこんなに大変!という情報も今のように溢れていなかった。なんせまだiPhoneのない時代だったから。 わかっていたことは保育園に預けている時間帯しか働けないということと、最低限の生活費を

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑤】

産後復帰から8年間働いた会社(某チョコレートショップ)は、その間にすくすく規模が大きくなり、年商5億円強の会社になった。 バレンタインデーの売上げが年間の3分の1をしめるので、1年を通してそこに向けて動く。 年間の製造数と製造場所と人数とペース配分、材料と包材の手配、保管場所の指示、新商品の企画とPR、全国の百貨店60社との商談交渉、受注集計、出荷管理、商品在庫の管理、人事、イベント時アルバイトの面接200人斬りとシフト管理、その全てをどういうわけかひとりで行った。 企業と

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑥】

退社を決めてからの2年間、会社では今まで好き放題広げた風呂敷を、後任に渡せるように全てのことをデータ化していく作業をした。PCを見ればとにかくなんでもわかるように数字にして表にしてグラフにしてリスト化した。 普段の仕事と平行してやったので、2年かかった。 同時に自分のこれからのことについても考えた。 将来のことを考えるとき、ケーキ屋さんで働くパティシエのひとたちは「自分のお店を開きたい」という目標を持っていることが多い。入社の面接でもうすでにそう言っている人も多い。 わ

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑦】

さて「アイシングクッキー屋さんをやる(でもまだ作ったことない)」と決めたら、その後はそこから広がる選択肢と向き合う作業を重ねた。 お店屋さんというのは、どんなものを扱うお店でも決めることは同じで、「どこの、だれに、なにを、いくら分売るか」だと思う。 変幻自在のそれを、譲れない優先順位や、逆に変えられないことから逆算していく。 たとえば実家など場所が決まっている場合は、その場所で何ができるか考えなければいけないし、全国に店舗展開をしたい場合はそれ相応の知識や資金が必要だし、

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑧】

やることが決まって、規模も決めて、必要な面積もわかった。 売上げから妥当な家賃も決まっているけれど、自宅の近くでは高いしどうしようかなと思って近所の不動産屋さんに相談に行ったら、賃貸には出していないのだけれどちょっと見せたい物件があると言ってくれた。 自宅兼店舗の建物で、2階が住居で1階の店舗部分でトンカツ屋さんを営んでいたが、旦那さんが亡くなってからお店を閉め、その後は倉庫として貸したりしていたという。 大家さんが2階に住んでいるので、1階であまり毎日騒がしくされるのも大

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑨】

具体的なお店ができるまでのことをとりとめもなく書いてきたけれど、根本的な考え方をちょっと書いておこうと思う。 別記事で「ほんとにそれで委員会」について書いたように、もともとある仕組みや方法に、なんでその方法なの?本当にそれしかないの?と問いかけるクセがあり、お菓子屋さんについても常にそういう問いかけの視点で見ていた。 15年間業界を見てきて、パティシエブーム(企業やイベントとコラボや雑誌の特集など)、百貨店の特設会場での催事ブーム(はなまるマーケットおめざフェアなど)、お

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑩】

わたしは専門学校を卒業してから、お菓子の業界でばかり働いていて、友人や知人の職業もお菓子屋さんや飲食店のひとばかりだったので、いざ独立して自分で何かをやろうと思った時に、さてどうしたらいいのか、一個もわからない状態だった。 会社で働く以外のやり方があることは知っていたけれど、近くにそんなひともいないし、何もわからなかった。 会社を辞めることが決まってから、退社まで2年間の猶予があるとはいえ、途方に暮れていた。 そんなとき、わたしがよく通っていたカフエマメヒコで店員さんとおし

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑪】

個人店や小さな規模のお菓子屋さんで働いているとき、パティシエという仕事の、その労働時間の長さや力仕事の多さに、体力勝負の仕事だなあとつくづく思っていた。 女の子がなりたい仕事だけれど、その過酷さに、女性で長く続けられている人は少ない。数年間必死で頑張って、力つきてしまう。 お菓子屋さん(洋菓子)の仕事は、夏はヒマで、冬はクリスマスにバレンタインデーにホワイトデーと立て続けに忙しく、その差がとても激しい。 わたしが働いていた当時は、バレンタイン前の3週間は、睡眠時間3時間の

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑫】

お菓子屋さんの苦労はたくさんあるけれど、もちろんよろこびもたくさんある。 わたしが会社(某チョコレートショップ)を退社すると決めてから、さて何をしようと考えていた時期に、仕事でフランスへ行くことになり、その時にご一緒したのが、六花亭の小田副社長と開発の石田さんだった。 もともと大好きなお店だったけれど、道中、六花亭のいろいろなお話を聞いて驚いた。 同業者同士の話だと思ったらとんでもない。それはお菓子への愛だけでなく、北海道へ、スタッフへ、歴史へ、そして未来への愛の話だった

シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと⑬】

高校3年のとき、進路を製菓の専門学校に決めると、当時の家庭科の先生に呼び出されて、ものすごく反対された。 「お菓子の世界は洋菓子も和菓子も縦社会で修行の世界だから、あなたには向いていない」と。 どうして修行ができないと思うのか、わからなくて質問すると、「あなたは納得しないと人の言うことが聞けないでしょう。人の下で働くのは無理よ」と。 このことは最近まで忘れていたのだけど、思い出したときは笑ってしまった。実にそのとおりだから。 しかし、結果的に17年間、お菓子の業界で続ける