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黒髪へんろ道52番∼61番札所の参拝

令和4年5月8日、17回目のModel遍路が開催されましたので参加しました。 
有田役場駐車場に9時集合。同運営協議会代表の案内で西有田町内の札所を廻りました。参加者は13名でした。

昨日北部九州は梅雨入りしましたが、この日はカラっとした遍路日和でした。周辺は田植え準備水張りが進んでいます。

黒髪連山を見ながら歩きます。
国見山方面の眺め

52番札所 山本観音堂

有田町役場から25分ほどで観音堂です。

ガイドブック写し

北西に見える楠木巨樹は「狩場のタブノキ」と呼ばれ、狩猟の祈願所との言伝えが残っています。遺跡から発掘されたどんぐりの実が発芽してアラカシが育っています。

代表の案内を聴きながら進みます。

県境の山・国見山

53番札所 桑木原山ノ神

更に20分ほどで山の神札所に到着です。

この後、大樹神社、54番札所龍泉寺と続きます。

54番札所 龍泉寺

大樹神社から龍泉寺は直ぐです。
開基は1532年、唐船城の裏鬼門として平瀬に建立され、火災にょり1674年に現在地に改築され今日に至っているそうです。毎年8月18日の夏祭り「十八夜」は雨乞い浮立が変化して今日まで続いているそうです。

龍泉寺本堂
龍泉寺山門

この後、松浦鉄道を潜り大木宿を歩きます。

昔の雰囲気がある雑貨屋

唐船城が秀吉の山城禁止令により廃止になってからは大木宿の方が反映したそうです。この雑貨屋も歴史があり、ご先祖には代議士、日銀副総裁を務めた方も。

55番札所 大道薬師堂

ここ大木地区にある札所です。

水田地帯を抜け唐船城址を見ながら有田大観音に向かいます。

有田大観音で昼食休憩となりました。多くの参加者はお店でチャンポンやラーメン地元の味を楽しまれたようです。

56番札所 有田大観音

いつもは閉っているようで特別に開館いただき大菩薩画軸を鑑賞できました。これだけでも収穫です。

高さ17m 横6mの大画軸です。

松浦党一派の居城 唐船城

有田大観音の裏山となりますが、源栄が居城とした中世の山城です。五代目城主:給の後は、その7人の兄弟(7重臣とも)によって、豊臣秀吉の出現まで守り継がれています。

58番、59番の山谷・切口地区を望みます。
伊万里市街地方面。出城:吉武城方面です。

直ぐ東側には出城:千代亀城が望まれます。唐船城は周囲七つの山城に守られていました。

本丸があった北側く下ります。

57番札所 円満寺跡

本丸の鬼門として円満寺が建立され、城が明け渡しされた天正年間には廃寺となり、その後は真言宗の山伏が逗留したそうです。円満寺後に石仏が並んでいます。

本丸跡地です。
本丸跡地の奥に円満寺後があり57番札所です。

山田神社の天上絵

円満寺跡の長い石段を下ると山田神社です。参拝する前に代表の唐船城への熱き想いを聴きました。代表の想いを聞くのがModel遍路参加の楽しみの一つです。今回は、唐船城分家時に宗家から有田郷に派遣された武士団「唐船城七竈」の話がメインでした。お殿様を護衛した家臣の話です。

4年前の築城800年祭りでは山田神社を中心にイベントが開催されました。

真刀による平戸神楽の舞

58番札所 山谷大師堂

再び松浦鉄道を横断して山谷地区に入ります。

59番札所 切口地蔵堂

15時、参加者はもうかなりお疲れモードです。残り3札所です。

60番札所 福寿庵

下山谷地区に下ります。残念ながらお堂は閉っており千手観音菩薩は拝めませんでした。

61番札所 二ノ瀬観音堂

いよいよ本日最後の札所、腰岳山麓の二ノ瀬地区に再び松浦線を越えます。

お疲れ様でした。夫婦石駅手前で踏切遮断機の音、待ち時間もなく列車の乗り込みました。役場駐車場に戻り解散。20,000歩も歩きました。

ここまで長くお付き合いいただきありがとうございました。
 

 





















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