私と推しの健全な距離と考え方
明らかに父の遺伝子で、物心がついたときからオタクとして生きている。
悪くない。むしろ、良い。
初めての推しは嵐の大野君で、休止に伴い友人からの布教で推しの対象が渡韓し、現在は3個下の韓国人をもの凄い情熱で推している。幸せだ。
でもアイドルに限らず、何かを推すということを良くする。
それは短期集中パターンもあるし、弱火でコトコト長期パターンもある。
イラストレーターさんとか、あの歌手のこの曲、いつ食べても変わらず旨すぎるお菓子、私の肌を守ってくれるスキンケアなどなどその対象は様々である。
少し話が逸れるけど、何かを推す、いわゆるオタク気質(と私は呼んでいる)って先天性だと思う。オタクは生まれた時からオタクだし、非オタクの人とは一生分かり合えない。
突き放すわけではなく、分かり合う必要も分かってもらいたい気持ちも全くないし、そこに熱量を注ぐのなら推し活につながることをやりたい。
私が圧倒的に熱量を注ぐのはアイドルなのだけれど
やはりアイドルとファンという関係がたまらなく好きだ。
まずときめく要素があって(ビジュアル、歌、ダンス、性格など)
自分が表現したいもの、グループとしての目標に向かって
たゆまぬ努力をするその姿、どれだけ忙しくてもファンとの交流を大事にする姿を見て、自分も頑張って一生懸命生きようと思えることが大きい。
大人になると努力って孤独だし、学生時代のように周りと同じ目標に向かって並外れた熱量で頑張ることってない。みんな一人ひとりの人生を、自分のペースで生きているから、自分を鼓舞するのって結構大変だ。
でも私の場合は、推しの新曲とかそれに伴うビハインドを見て
元気をもらって、それが次の日のエネルギーになる。
推しに対する考えも人それぞれだと思うけど
私はあくまで商品と消費者だと考えている。
彼らの活動を遠くから、適切な距離で、お金を払って楽しむ。
推しに認知されたいとか、同担拒否とかそういうのはない。
推しは私のものではないし、そこには距離があると思う。
推しは私の生活に介入してこないから良いのだ。出会いも別れもないところで活力になっていることが最高なんだ。生活にどれだけ疲れても、友達や恋人に傷つけられても変わらずにそこで輝いていることに救われる。
(逆にこの考えだから推しの公私混同は許せない。
プロのアイドルとしてアイドル像を崩してはいけない。
私が日頃見ているアイドルとしての彼が、
実際の彼と乖離があったっていいし、恋愛をしていてもいい。
でも絶対にそれが公にならないようにするべきだ。
これがアイドルとしてあるべき姿だと思う。
異論は認めるけど、私はこの考えに基づき
一個前の推しが数年にわたりSNSでにおわせを続けていたことを知り、しばらくその推しのコンテンツが見れなくなり現に担降りしている。
本当に悔しかったし、プロとしての意識の欠如に絶望した。
私がかけたお金と時間は、
お前の自己満足に使われていたのかと吐き気がした。)
アイドルを推す中でのこういったリスクももちろん存在するけど、やっぱり享受できる幸せと喜びのほうが大きいので、これからも良い距離感で幸せになるために推し活をしていきたい。
推しの言ってることが分かりたいから韓国語の勉強を頑張っているし、推しが公演をするからヨーロッパに行くことが決まったし、それに伴ってフランス語の勉強も始めたいし、早く就職してお金を貯めたい。
こうして推しが、私には想像もつかないほど多忙なスケジュールの中で歌を歌いダンスを踊り様々な舞台に立つことを通して、自分の様々な方位へのモチベーションを上げて新しい挑戦をして、こんな感じでず~っと生きていきたい。
推しよ、たくさん食べて寝れるときに寝てね。
いつでもあなたは最高で世界一ですよ。