見出し画像

老爺が柔らかく若者をカツアゲする現場に遭遇した話

 東京からの帰り道、ほぼ満席の飛行機に乗った。これから遊びに行く人、帰る人。私もその一人だった。

 単独で飛行機を利用する場合、私は絶対に通路側に席を確保することにしている。

 短時間のフライトであればあまりないが、お手洗いに行きたい時に「すみません…」と声をかけるのが気まずいからだ。言われる分には全く問題ないし、言われた側もたいして気にしていないとはわかっている。
 ただ、人によっては全く席を立たずに足だけ引いたり、協力的なんだかよくわからない人にも遭遇するので、通路側を確保したい気持ちになるのだ。
 今日も例に漏れず通路側を確保した私は、自席の頭上に機内持ち込みの荷物を収納し、席につこうとした。

 その時、窓際に座っていた白髪のお爺さんが「すみません」と声をかけてくる。

 スーツを着ているから、仕事に行くか帰るかするのだろう。もちろん、完全に初対面の人だ。
 お爺さんは柔らかな調子でこう言った。

「すみません、通路側の人ですか。席を変わって欲しいんですけど」

 一瞬席を間違えたのかと思って手元のスマホを見た。間違ってた。通路を挟んで反対側の、中央列の通路側が自分の席だった。
 後ろから人も来ている。焦る。

「あ、席違います」

 私はそう返して、荷物を入れ替えて正しい席に座り直した。お爺さんはなんとなくこちらを見ていたけど、何でかなと思いつつ普通に無視した。
 これよく考えたら、「通路側」であることがお爺さんの希望だったわけだから、別に通路を挟んだ私の席でもお爺さん的には良かった話なんだろうな。私は嫌だけど。

 だって、おかしな話である。
 ここは電車じゃなくて飛行機だ。
 窓際を予約したのは、お爺さん本人ないし縁者のはずだ。
 予約がギリギリだと、通路側が取れないというのはJALに限らずある。LCCだと席で料金が違うこともあるし、そもそも予約した席を勝手に交換するのは推奨されていない。
 これが友人や知人なら「いいよー!」となる。
 大して知りもしないお爺さんで、しかも飛行機。なぜ…?

 このお爺さん、本当の通路席の人が来たらどうするんだろうなぁと思っていたら、20代くらいの男性が現れた。チノパンにポロシャツという、ラフな格好をした青年は、お爺さんが狙っている席に座ろうとしている。

「あの、すみません」

 やはりお爺さんは話しかけた。相変わらず調子は柔らかい。男性は感じよく「はい?」と首を傾げている。

「通路側の人ですか。席を変わって欲しいんですけど」
「え? あ、あ〜良いですよ」

 うわー賢い。断った時のお爺さんの反応までしっかり考えて了承している。
 だって絶対めんどくさいもんね。

 仮に私がこの男性の席に座ることになっていたとして、お爺さんから要望を受けたら「私もこの席を楽しみたいので!」と訴えを退ける(お爺さん視点だと既に断ったことになっていると思うが)。
 理由としては、自分が心地良いのは予約した自分の席で過ごすことだから、一回は自分の気持ちに従おうと考えるからだ。
 よくわからないお爺さんに絡まれる時は「引く気はないし、私に危害を加えた場合は絶対にお前に前科をつけるが?」という気持ちと面構えで目を見つめながら理由を問うと、たいていはそのまま逃げていく。
 ヤバい奴にはヤバい奴を演じろ理論だ。

 ただこれは、世間一般には悪手。
 理不尽に抗いたい自分の気持ちに従って、余計なリスクを追うことは推奨されない。
 譲るほうがトラブルなく済むので、その方が楽だし結果的に心地良いからだ。

 お爺さんは自覚していないと思うが、これはカツアゲに等しい。見ず知らずの他人に、予約していた席を譲れという、この柔らかい意味不明なカツアゲ。
 それは地上係員か、客室乗務員に言えば良いのでは?と思う。場合によっては要望を受け入れてくれるかもしれない。
 なぜ同じ乗客に言うのか?

『こんなことを言い出す人間と関わることを考えたら、譲った方が楽である』
『だってこのお爺さんと、最低でもフライト時間中は関わらなきゃいけないのだから…』

 となることを、自覚があるかどうかわからないが、お爺さんは知っている。だからするのではないかと思う。
 まあ何も考えていない可能性もあるけど。

 さて、件のお爺さんは席を譲った男性に向かって、満足そうに笑いかけると、手荷物を片手に通路側へと立ち上がった。
 男性はにこやかに続ける。

「窓際、お嫌いですか」
「歳をとるとねぇ、落ちるんじゃないかと怖くて」

 ご自分もしくは縁者が予約したお席ですのに?
 などと私なら普通に聞いてしまいそうになるが、しかし男性はお育ちがよろしいのでしょう、そうですかと優しく返答して席を譲っておりました。まともすぎる。営業をやったら優秀な成績をおさめそう。

 なるほどこんな風に老爺はカツアゲをするのだなぁと、大変勉強になりました。
 あとお爺さん、着陸後にシートベルト着用サインが消えた瞬間に立ち上がって荷物取ってたから、これ普通に早く外に出たかっただけだな。

 自分も歳を取った時「これくらいなら良いだろう」で他人の善意をカツアゲしないように本当に気をつけたいと思いました。
 気付かないでやってる時あるかもしれない。
 脳が萎縮しても、世間の常識の範囲内で人生を謳歌する老人でありたいものです。

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?