愛と恋の違いを言語学的に考える

一番最後に簡単なアンケートもあるので、よかったらそれだけでもどうぞ。

はじめに

 愛と恋の違い。色々なところで話題になる。漢字を見て、下心があるのが恋、心が中心にあるのが愛などとも言われる。私はそんな憶測だけで語ることはしない。論拠をつけて科学的に愛と恋の違いを示そうと考えた。そこで、言語学的観点から愛と恋の違いを探ることにした。理由は簡単、大学時代に日本語学を専攻していたから。ただそれだけ。

 言語学的観点から愛と恋の違いにを探るうえでことわっておかねばならないことがある。残念ながら学類卒なので、修士も博士もない、素人に毛が生えた程度の人間である。学術的価値はないようなものなので、気楽に読んでください。こんな考えもあるんだな~くらいで。

 論文でもないので先行研究とかなく、ただ単に自分の疑問を思うがまま、欲望のままに調査してみただけのものです。肩の力を抜いてごらんください。

愛すると恋する

 愛と恋の違いを名詞のままではなく、動詞「愛する」と「恋する」の違いから見ていく。その理由は次の通り。

 まず、名詞「愛」と「恋」で対照するのは難しいと考えたためである。名詞の場合、使用の幅が広くとても個人が趣味で研究できるようなデータ量には収まらないと予測した。そのため、使用場面がある程度絞られる動詞に焦点を当てることにした。

 また、「愛」と「愛する」、「恋」と「恋する」それぞれ名詞と動詞で感情としての大きな差はないと考えたのも理由の一つである。ただし、これはあくまでも内省による判断である。

仮説

 実験の基本は仮説である。論文にするならここで先行研究したり予備調査したりするのだが、何度も言うようにこれは論文ではなくただの趣味。知的好奇心を満たすだけの趣味。だから、仮説は内省判断で立てる。

 内省判断による愛すると恋するの違いは、第一に前接する助詞の違いが大きな違いだ。「~を愛する」「~に恋する」と、前接する助詞は必ず異なり、「~に愛する」「~を恋する」のような用法は認められないだろう。 

 続いて、「愛する」と「恋する」で動作の対象となるものが異なるだろうと予測する。「愛する」は人に対しても物に対しても使えるが、「恋する」は物に対しては許容されない。また、どちらの動詞も対象に代名詞を用いるよりも固有名詞を用いた場合の方が許容度は高くなると予測する。物に対しても使えると予測した「愛する」だが、抽象的な名詞よりも、具体的なものが対象である場合の方が許容度は高くなると予測する。

 また、「愛する」は、能動的・自発的な用法にも、受動的な用法に使えると予測する。一方「恋する」は、能動的・自発的な用法には使えるが、受動的な用法には使えないと予測する。受動的な用法とは、受身形や、「テクレル」のようなものを指すことにする。これによって、「愛する」は視点人物、受け手のどちらからでも、さらには相互通行の表現も可能であろう。一方「恋する」は視点人物からの一方通行の表現のみ容認されるであろう。

 そして、非意図的な用法では、「愛する」が使用できないと予測する。一方「恋する」は、非意図的な用法も許容されていると予測した。非意図的な用法とは、「テシマウ」「チャウ」のような用法を指すことにする。

 以上が、内省の判断による仮説である。内省による裏付けのない仮説なので、このnoteに学術的価値はない。悪しからず。

調査方法

 今回はGoogleフォームによるアンケート調査を行った。例文を提示し、文章の違和感を5段階で評価するというものだ。1-5の数値で違和感を判断してもらい、数字が大きくなるほど違和感が大きくなるという方式で行った。アンケート結果は以下のような基準で評価した。1,2の回答は容認できる。3は中立。4,5は容認できない。

例文作成①

 ここからは、例文の作成について記述する。まず、対象によって容認度か異なるという仮説に基づき、「愛する」「恋する」の対象を設定した。人間で代名詞、人間で固有名詞、物で抽象物、物で具体物の4パターンを設定した。そして、助詞の違いでの容認度が変わるという仮説に基づき、対象それぞれに「~を愛する」「~に愛する」「~を恋する」「~に恋する」を当てはめた文を作成した。これを元に以下の文を作成した。括弧内は、(代名詞・を愛)なら対象が人間の代名詞で「を愛する」の文、(抽象物・に恋)なら対象が抽象物で「に恋する」の文というようなことを簡略して記したものである。

私はあいつを愛する(代名詞・を愛)
私はあいつに愛する(代名詞・に愛)
私はあいつを恋する(代名詞・を恋)
私はあいつに恋する(代名詞・に恋)
私はもえちゃんを愛する(固有名詞・を愛)
私はもえちゃんに愛する(固有名詞・に愛)
私はもえちゃんを恋する(固有名詞・を恋)
私はもえちゃんに恋する(固有名詞・に恋)
私は料理を愛する(抽象物・を愛)
私は料理に愛する(抽象物・に愛)
私は料理を恋する(抽象物・を恋)
私は料理に恋する(抽象物・に恋)
私は皿うどんを愛する(具体物・を愛)
私は皿うどんに愛する(具体物・に愛)
私は皿うどんを恋する(具体物・を恋)
私は皿うどんに恋する(具体物・に恋)

 これに関して、一つこのようなコメントがあった。「もえちゃんって誰ですか? あと、これ「はい」か「いいえ」の二択でもよいのではないですか?」まず、二択でもよいのではということから。日本語の可否を判断するのは人間であるということを念頭に置いてほしい。すると、人間の感覚では、「どちらでもない」「こっちよりだけど、言い切るのは難しい」というような声を拾いにくくなってしまう。そのため、中立な3や、中途半端な2,4を用意してある。それによって、より正確な言語感覚を拾えると思ったからだ。これに対する論理的な批判はお受けします。

 次に「もえちゃん」だ。これは、名前を使っても怒らないであろう友人の名前をお借りしただけである。「桜井さん」とか「侑斗」とかでもよかったが、より名前で違和感を覚えにくくするためにひらがな表記のちゃん付け表記となっている。また、「皿うどんたべたくなったやんか」とのコメントもいただいたが、もえちゃんは皿うどんが嫌いである。

例文作成②

 続いて、「愛する」「恋する」の意思の方向や、意図性に関する例文を作成した。受動的な表現として、「サレル」「シテクレル」の2種類を選定した。一般的な受動態である「サレル」と、主語が相手に設定されるような「シテクレル」を選定した。例文は以下の通りである。

あいつに愛されたかった
あいつに恋されたかった
愛してくれるのは嬉しいけどその気持ちに応えられない
恋してくれるのは嬉しいけどその気持ちには応えられない

 また、相互通行をする表現として「シ合ウ」を選定した。例文は以下の通りである。

あいつと私は愛し合う関係だ。
あいつと私は恋し合う関係だ。

 次に、意図性に関する項目である。意図性がある表現として、意図的に否定する「愛さない」「恋さない」、義務を表す「ベキ」を選定した。非意図性の表現として、過失・完了の「テシマウ」とその口語体「チャウ」を選定した。例文は以下の通りである。

あんなやつ絶対に愛さない
あんなやつ絶対に恋さない
彼は愛すべき存在だ
彼は恋すべき存在だ
気付かないうちに愛してしまっていた
気付かないうちに恋してしまっていた
知らないうちに愛しちゃった
知らないうちに恋しちゃった

 本来ならばここで回答者の母語や年齢、出身地などで絞っていくのがセオリーだと思うのだが、今回は特にそのような絞り方はしなかった。特別な意味は何もないが。

結果

 アンケート調査の結果、29件の回答が得られた。結果を見るにあたり、調査上の不手際によりデータを多く集められなかったものがある。「もえちゃんに恋する」の項目と、「愛する」「恋する」の対象が人以外の物であった場合だ。29件のうち、14件分しかこれらの分のデータをとることができなかった。そのため、他の項目よりはやや大雑把な結果となってしまう。でも、論文とかじゃないから許してほしい。


 前述の通り、1と2の回答に関しては容認、4と5の回答に関しては非容認、3は中立と判断して結果をみていく。

結果1.を、に

 前接する助詞の違いを見ていく。それぞれの結果を以下のグラフに示す。[代名詞]は「あいつ」、「固有名詞」は「もえちゃん」、「抽象物」は料理、「具体物」は皿うどんを指す。1~5の回答割合をグラフに示した。1,2の割合が多いほど容認度の高い表現となる。また、4,5の割合が多いほど容認度の低い表現となる。

 全体的な結果としては「愛する」には「を」が前接し、「恋する」には「に」が前接する傾向が強くみられる。前接する助詞は愛すると恋するで異なる。これは、対象が人間であっても物であっても共通の結果となった。

 続いて、対象が人間の場合の「~を愛する」をみていく。対象の人間が代名詞「あいつ」で表されている場合と、固有名詞「もえちゃん」で表されている場合とで容認度は大きく変わらない。しかし、「もえちゃんを愛する」の方がわずかに容認度が高くなっている。人間であれば「~を愛する」は問題なく使えるが、固有名詞で愛した方がわずかに容認されやすいだろう。

 対象が人間の場合の「~に愛する」をみていく。固有名詞と代名詞、どちらを対象にしても容認度は非常に低い。愛するはヲ格をとる動詞であるといえよう。

 今度は、対象が人間の場合の「~を恋する」をみていく。どちらにせよ「~を恋する」は容認度が低い結果となった。しかし、「~に愛する」のときと比べ、容認している人がたまにいることがわかる。愛するよりも恋する方が、前接する助詞の縛りがやや弱いかもしれない。これに関しては、地域別、年代別など、条件を変えて調べてみると面白い結果が出るかもしれない。というのも、『現代日本語書き言葉コーパス』通称BCCWJで「を恋す」と調べてみると、8件ヒットし、そのどれもが1900年代前半に書かれた書籍であった。過去には「~を恋する」という用法が容認されていたかもしれない。個人的には面白い結果だった。

 対象が人間の場合の「~に恋する」を見ていく。どちらも多くの人が容認している。しかし、「もえちゃんに恋する」の場合、3~5で答えた人がいない。したがって、言語表現のうえでは、特定の誰かに恋することは定着しているといえる。「あいつに恋する」の場合は、どちらでもないような3や容認できない5で答える人もいる。恋をするときは固有名詞で恋する傾向があるようだ。

続いて、対象が人間でなく物であった場合をみていく。「愛する」の場合、抽象物「料理」をとったときも、具体物「皿うどん」をとったときも、結果はほぼ同じであった。どちらも「~を愛する」の容認度が非常に高く、「~に愛する」は容認しないという結果であった。

 物を対象とした「~を恋する」では、対象が人間であった場合と同じく容認度は低くなる結果にあった。「そうだね。」以上の結果は「~を恋する」では得られなかった。しかし、物の場合「~に恋する」の結果は少し奇妙な結果となった。

 「~に恋する」の結果を見ていく。前述の通り、人に対しては「~に恋する」という構造は容認度が高い。しかし、物である場合はやや異なる結果となった。抽象物を対象とした「料理に恋する」の場合、1,2含めた容認度は55%程度にとどまっている。対象が具体物、「皿うどんに恋する」である場合、1,2を含めた容認度は75%と、抽象物よりはやや高いが、容認度が8割を下回る結果となった。同じ「~に恋する」でも人か物かで容認度に差が見られた。

結果2.方向

 ここでは、受動的な表現と、相互通行表現の容認度をみていく。受動的表現として「サレル」「テクレル」、相互通行表現として「シアウ」の容認度の結果を以下にグラフで示す。

 受動的な「愛する」「恋する」をみていく。「愛されたかった」「愛してくれる」と、「愛する」ことを受けるような用例はいずれも容認度が90%を超える結果となった。「愛されたかった」の容認度を見ると、違和感もなく容認できる1で回答した割合で93%であるのに対し、「愛してくれる」となると1の回答割合は76%に下がり、2の割合が21%に増えている。「愛してくれる」という表現は、大きな違和感はないが、何か引っかかる要因があることが推測される。

 「恋されたかった」「恋してくれる」の容認度は他の愛と恋の違いを探る用例に比べて解答が分かれる結果となった。受動態「恋されたかった」の場合、1,2を合わせた容認度は28%で、4,5を合わせた非容認度は52%となっている。一方、同じく行為の授受を表す「恋してくれる」の場合、1,2を合わせた容認度は55%で、4,5を合わせた非容認度は21%となっている。同じ受動表現でも、サレル形では容認度は高くないが、テクレル形では容認度がやや高い傾向にある。

 続いて、「合う」に接続する場合をみていく。「愛し合う」の容認度は非常に高く、3~5での回答はなかった。一方、「恋し合う」の容認度は低く、その中でも回答には多少のばらつきが見られた。違和感があるとして5を選択した割合は38%であるが、4を選択した割合も35%と高い割合で出現していた。「恋し合う」という表現は、基本的に容認されないものの、間違いだと言い切るのにも多少の抵抗がある表現といえる。

結果3.意図的、非意図的

 最後に、意図的な表現と非意図的な表現についてみていく。意図的な表現として義務「スベキ」を、意図的な否定として「サナイ」を調査した。また、非意図的な表現として「テシマッタ」とその口語表現「チャッタ」を調査した。その結果を以下にグラフで示す。

 意図的な否定として「愛さない」「恋さない」の結果をみていく。「愛さない」は容認、「恋さない」は非容認と顕著な結果となった。しかし、「愛さない」では2の、「恋さない」では4の回答が多少あり、容認にせよ非容認にせよ引っかかるものがある可能性がある。

 義務を表すスベキ形を見ていく。「愛すべき」は1,2を合わせた容認度が96%と非常に高い結果となった。4,5の回答はなく、「愛すべき」は容認されている用法と言える。一方「恋すべき」は容認できる回答が17%であり、それも2での回答であった。4,5を合わせた非容認度は76%という結果となったが、4での回答が35%であった。容認されていない表現だが、否定するにも違和感のあると推測される。

 続いて非意図的表現の結果を見ていく。完了や後悔をあらわす「テシマウ」への接続を見ていく。「愛してしまっていた」も「恋してしまっていた」も容認度は高く、「恋してしまっていた」の1,2を合わせた容認度は97%であった。「愛してしまっていた」の4,5を合わせた容認度も83%であり、こちらも容認度が高い。

しかし、「テシマウ」の口語的表現である「チャウ」への接続では結果にやや差が見られることとなった。「愛しちゃった」「恋しちゃった」の容認度は「愛してしまっていた」「恋してしまっていた」の容認度よりも下がる傾向にあることは共通している。おそらく、口語的表現を文語的表現と同じように判断したからであろう。「恋しちゃった」の1,2を合わせた容認度は「テシマウ」より多少下がったものの、90%である。それに対し、「愛しちゃった」の1,2を合わせた容認度は66%と、「恋してしまっていた」「恋しちゃった」の容認度の低下よりも大きく低下していることがわかる。

 ここで一個反省。お気づきの方もいるかもしれないが、「愛してしまっていた」「愛しちゃった」微妙に比べる対象としては不適当である。というのも「愛してしまっていた」という「テイタ」の形を用いてしまっていたのだ。単純に比べるのであれば「愛してしまった」「あいしちゃった」で比べるのが妥当であった。

考察①:助詞と対象の意識の有無

 「愛する」と「恋する」の大きな違いは、前接する助詞の違いによる。「愛する」は「を」が前接する。「恋する」は「に」が前接する。さらに、対象も異なる。一部、「~を恋する」が容認されていたのは、時代によっては「~を恋する」という表現が一般的であったためだと推測される。

 「~を愛する」は対人でも対物でも使える表現といえる。さらに、人の場合は代名詞でも固有名詞でも問題なく使用でき、物の場合も抽象物でも具体物でも使用できる。一方、「~に恋する」の場合、人の場合は代名詞でも固有名詞でも問題なく使用できる。一方、物に対しては使用しづらい。具体物にはある程度容認されているが、抽象物に対しては違和感を覚える人が増えていく。「~を愛する」は、対象に関する制約が非常に弱いことがわかる。一方、「~に恋する」は対象に関する制約がある程度あることがわかる。

 これは、対象の意思の有無によると推測される。一般的に、人には明確な意思や感情がある。しかし、物には意思や感情というものはない。この意思や感情が関わっている可能性がある。おそらく意思や感情がない具体物では、「~に恋する」が対象を人間とした場合よりも容認しづらくなる。もっと意思や感情を想定しづらい抽象物では、具体物よりもさらに「~に恋する」を容認できなくなる。このような可能性だ。

 対象が動物であれば?対象が架空の人間であれば?まだ調べる余地があるため可能性を提示するにとどめる。さらに言えば、今回物に対しても代名詞を用いた調査を行うべきであった。反省。

考察②:意識の方向

  はじめに、コメントを以下に引用する。

愛する、は『〇〇を』なのに、恋する、は『〇〇に』って自然と使い分けてる感はあるよね。(?)恋だと一方的な形もあるからあくまで矢印方向の表現で、愛するだとお互い丸々そのものを大切にしているイメージがあるから全体を包み込むような表現になるのかなーと。ふと思ったことなので言葉まとまってなくてごめん。🙇‍♀️

 こちらのコメントでも指摘されているように、恋は一方的であるような結果であった。「恋する」に比べ、「恋される」「恋してくれる」の方が容認度が低くなったことや、「愛される」「愛してくれる」よりも「恋される」「恋してくれる」の方が容認度が低くなったことから、視点人物からの一方通行がより自然であるといえる。しかし、特に「恋してくれる」の容認度が過半数以上であったことから、視点人物からでなくとも一方通行であれば恋は成立しうるといえる。

 一方、愛は一方通行も相互通行も可能であるといえる。一方的な愛も、相互の愛も成立する。コメントに「お互い丸々そのもの」とあるが、これに関しては今回の調査では立証ができない。しかし、愛と恋は似て非なるものである可能性を示したい。

 これはかなり個人的な話ですが、もえちゃんに「愛されたかった」か「恋されたかった」かって言われたら「愛されたかった」です。

考察③:意図非意図

 結論から述べてしまうと、恋は非意図的で愛はやや意図的である。今回の調査で意図的な表現として扱った「サナイ」「スベキ」では「恋する」の容認度は低い結果であった。一方非意図的な表現として扱った「恋してしまっていた」「恋しちゃった」では、容認度が高くなる結果であった。このことから、「恋する」ということは非意図に行う動作といえる。自分の意思とは無関係に、対象に対して恋という感情を抱くことが「恋する」といえる。この恋という感情はまだ謎ではあるが、非意図的なものであることがわかった。

 それに対し「愛する」では、意図的な表現も非意図的な表現も容認度が高い結果であったため、意図的にも非意図的にも他者に向けることのできる感情を示すものであるといえる。さらに、人にも物にも使え、相互通行が可能であることは前述のとおりである。そのため、「愛」は幅広い好意を示す感情であることが予測される。しかし、様々な場面で用いることができるため、このような感情だと断言できるものではないようだ。

まとめ

 愛と恋の違いについて調査した結果をまとめた。恋については、非意図的に、基本的に人に向ける何か感情を示す動作であることがわかった。おそらく好意的な感情であるが、この調査からでは特定できない。一方、愛は人にも物にも意図的でも非意図的でも向けることが出来る感情と言える。こちらもおそらく好意的な感情だと予測される。

 また、助詞の違いについては「愛する」はヲを、「恋する」にはニをとることが一般的である。しかし、時代によっては「~を恋する」という表現が認められていた可能性が大いにある。

 ここからはロマンの話なので、すっ飛ばしてもらった方がややこしくなくていいのだが、恋は愛から派生した感情であるかもしれない。確かに内省では愛と恋は別物である。もちろんその違いは明確ではないし今回の調査で立証できるものではない。どうしても、ある特定の人に無意識に好意を向けてしまう、なんとも愛とは違った感情が恋かもしれない、みたいな。そのため、現在では前接する助詞がをとにで異なるが、分岐した名残で過去に「~を恋する」という表現が見られたみたいな。

 さて、ここからは反省タイム。仮説が非常に甘かった。先行研究とか予備調査解かないとこうなるのね。とはいえ内省を調査するっていうスタンスでやるから、自分の内省をもっと鋭くさせなきゃいけないんだけどね。あとは、調査をするなら比較対象の選定はもっと慎重に行うべきだった。「愛してしまっていた」「愛しちゃった」比べるのには「テイタ」が邪魔であろう。微妙に条件が異なってしまう。やっぱりこれは学術的価値はない。

 ここまで長々とお付き合いいただい本当にありがとうございました。

次回アンケート

 まだ自分で思う疑問は残っています。個人的に解決したいです。そのため、調査をします。よかったら答えてください。あまり難しく考えずにできるアンケートなのでお願いします。回答は下記リンクからお願いします。

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生きることは辛く、美味しい。 そんなスタンスで思ったことをつらつらと書いています。 決して斬新な発想ではないかもしれない。でも、何か死に向かって突き進む我々の糧になれば。

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