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タイでの日本料理店経営から学んだこと

スコータイ県サワンカローク郡で日本料理店を経営しておりましたが、1年半の営業をもって、地元のタイ人に事業譲渡致しました。

「こうすれば勝てた」という決定的な要素は見い出せていないのですが、いくつかの反省点はあります。

家計で利益を出すまでがファミリービジネス

お店は、開店当初より、一貫して利益が出ていました。

しかし、タイ人パートナー(以下、T氏)の「家計」では赤字が生じていたのです。

つまり、お店の利益の分配金ではT氏の家計をまかなえなかった、ということです。

T氏は、自分はサワンカロークで働き、奥さんと2人の子どもをバンコクに住ませ、学校に通わせています。

一家の大黒柱が物価の安い地方で商売をし、物価の高い都会に住む家族に送金をするという、筋の悪いパターンです。

奥さんと子どもさんは、よくサワンカロークに遊びに来ていました。

交通費や移動時間のロスは、度重なると、ボディブローのように家計をむしばみます。

家族で生活拠点をひとつにしていれば、T氏の「家計」はかなり改善されていたと思います。

配偶者の協力がファミリービジネスでは不可欠

奥さんがバンコクに住んでいるため、お店の運営は、実質的にT氏のワンオペでした。

年中無休で、仕入や仕込みを含むと、毎日12時間以上の重労働です。

T氏の過労は、今回の「撤退」の最大の原因のひとつです。

家族の生活拠点をひとつにし、奥さんにお店を手伝ってもらっていれば、また別の展開もあったと思います。

マーケット規模はいかんともしがたい

数年前、日本のビジネススクール『グロービス』がバンコク校を開校しましたが、現法責任者を代えて何度仕切り直しても、利益を出せません。

人様からお金をとってビジネスを教えるはずのビジネススクールが、自分のビジネスで利益を出せないとは、とんだお笑い種ですが、バンコクに日本人は「10万人」しかいないのです。

1クールで37,500バーツ(VAT別)の学費を支払う意思のある「日本語話者」の生徒を集めるのは容易ではありません。

魚のいない釣り堀で、ヘラブナを釣っているようなものです。

サワンカロークの人口も「10万人」ですが、昼食または夕食に100バーツ以上支払う意思のある人は、5%いないとみています。

メニューの価格帯を下げるか、じっくり時間をかけて、固定客を増やしていくしかなかったように思います。

あるいは、バンコクでの日本人向けビジネススクールのように、サワンカロークでの日本料理店は誰がやっても無理だったのかもしれません。

撤退条件は事前に決めておく

「お店をやめたい」

T氏からの申し出は、唐突でした。

T氏はタマサート大学経済学部の出身なのですが、先輩の女性が日本の発電機メーカーで働いていて、月15万バーツ以上の待遇で自分を日本に呼んでくれた、というのです。

職務内容はコーディネーター職です。

当時、心身ともに疲労を隠せなかったT氏が飛びついたのも無理はないと思います。

ただ、先輩のタイ人女性の一存で、そこまで決められるかは疑問がありました。

実際、T氏の日本での就労ビザは現在まで発行されておらず、この話は社内で立ち消えになったと推測されます。

つまり、先輩の女性とT氏が「突っ走った」だけ、ということです。

事前に撤退条件を決めておけば、T氏がこのような「うまい話」に飛びつくこともなかっただろうと思います。

エクスペクテーション・コントロール

本業の「日本料理店」から浮気して、「日本料理学校」に色気を出したのも失敗でした。

T氏は「ボクのすべてを教えるんだから、15万バーツもらうんだ」と言うのですが、価格は【需要】と【供給】の市場原理で決まります。

YouTube時代、たいていの情報はネットで手に入るのに、15万バーツも払うタイ人がいるとは思えません。

しかも、T氏は「3日で全部教える。それ以上は店を閉められない」と言います。

今思えば、どこまでも顧客視点と真逆の、自己都合だったように思います。

結局、生徒は集まらず、「一撃15万バーツ」の夢を見てしまったT氏は、地道な料理店経営に嫌気がさしてしまったようです。

私の方から、もう少しきちんとエクスペクテーション・コントロールをするべきでした。

勝機はあったか?

実は、T氏のお姉さんが、同じ通りで大手フライドチキンチェーンの『FIVE STAR』を経営しています。

こちらは、お姉さんの息子さんと、お姉さん(とT氏)の母親が手伝っています。

つまり、3人がかりです。

T氏が生活費捻出のため、他の家族を入れずに利益を丸取りしたかった気持ちは分かりますが、彼らに手伝ってもらえばよかったと思います。

日本料理店のワンオペはいかにも無謀でした。

「たこ焼き」は、利益率が高く売上も多いことがわかっていたのですが、仕入や仕込みが忙しい日は、焼いていませんでした。

お弁当は、国立病院や裁判所の上客をつかみながらも、デリバリーがおろそかになっていたのも惜しいです。

一人ヘルパーを入れれば、たこ焼きを毎日焼くことも、デリバリーをすることも可能でした。

お姉さんの『FIVE STAR』に隣りに移転して来てもらっていれば、労働力の融通だけでなく、『フライドチキンカレー』のようなココ壱番屋ライクなメニューを提供することもできて、面白い展開があったと思います。

あとは、つくり置きのメニューを増やすことは、T氏に再三言っていたのですが、「この店はずっと続けるつもりなので、そのうちね」とはぐらかされていました。

なとど、のんびりやっていたものの、「終りの日」は唐突に訪れてしまい、今思えば、すべてがちぐはぐでした。

最後に

初期投資を極力抑えたのは、正解でした。

投資した時間とお金は戻って来ることがありませんが、この経験を次回に活かしたいと思います。

幸い自宅ビルが、セブンイレブンの隣りにあるので、次回は『トイレ付・店外イートイン』みたいなフードビジネスを考えています。

※タイのコンビニにはトイレがありません

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