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最高のアイデアを逃さない「キャッチタイム」の使い方 発想力には発想の時間が大切という話

はじめに

ボードゲームデザイナーのSaashi(サアシ)です。京都でSaashi & Saashiというレーベルを運営しボードゲームを制作・出版しています。

このテキストは「Board Game Design Advent Calendar 2021」の記事として投稿しています。さあ、何を書こうかなと思って記事のストックを見ていくと、発想・着想についての書きかけのテキストがあったので、それを手直しすることにしました。

2015年にSaashi & Saashiとして活動を始めて、2016年の冬からボードゲームを作ることが生業となっているわたしにとって、新しいアイデアを掴まえることは仕事そのものの成否に直結する大切なことなので、アイデアの作り方、育て方には意識して考えてきました。やはり物作りの各プロジェクトの初期の段階で直面するのはアイデアのとっかかりをどう出すかということで、せっかく「出てきたアイデアを逃さない方法」というのが大切なんだなということを改めて感じます。なので、今日はそれについてのお話をしたいと思います。(ボードゲームに特化した話でもないので、他のクリエイト全般に興味のある方にも有用なものではないかなと思います)

時間確保の難しさ

忙しく送る1日の中で、ある目的に沿った有意義な時間を確保することはなかなか難しいですよね。それは「着想につながる思索の時間」という高尚なものでなくても、たとえば「音楽をゆっくり聴きながらコーヒーを飲む」というだけの時間であっても確保するというのはなかなか簡単ではないと思います。

では、なぜ簡単でないのか

物理的に時間や場所がないから、ということではないように思うのです。たとえば緊急のトラブルが発生したとしましょう。そんな緊急事態の中で、ただ「コーヒー用の時間」だけを用意しても、気もそぞろでゆっくりコーヒーを飲んだり、音楽を聴いてリラックスする気分にはなれないはずです。ただ時間だけは用意したつもりなのに、コーヒーを飲んだ気になれず、音楽を聴いた気にもなれない。

でも仕方がない。忙しい時は忙しいし、コーヒーをゆっくり飲むなんで瞬間はリラックスできる休日、もしくはなんにも予定のない日と時を選んで得るほかないのかもしれない。

………と思っていました。ある日それに気がつくまでは。

コーヒーと音楽からの発見

ある雨の夜でした。まだ仕事が残っていてメールを数件書いて送らねばと思いつつも、買っておいていた読みたい本もあるし、ちょっと休憩したいと考えつつ作業していました。いつもなら、なんとなくそのまま続けてしまいます。コーヒーを淹れてから飲むにはそれなりの時間がいるし、ゆっくり本を開いて読書もしたかったからです。でもこの日は今すぐに休憩をとっても良いのではないか、と思い立ちました。一日頑張った自分をねぎらうために、ほんの少しの時間でもいいから、今すぐに、音楽を聴きながら本を片手にコーヒーでも飲むのも良いじゃないか、と。

コーヒーを淹れるためにキッチンへ行き、戻ってみるとPCの画面には新たな新着メールが届いているのが見えました。いま取りかかっている件の続報であることは間違いなく、すぐに返信をしなければならないものであることは確実でした。

いつもなら、ここで「コーヒーを飲みながら返信を書くこと」を選んでいただろうと思います。

でもこの日はどうしても「ゆっくり音楽を聴きながらコーヒーを飲む」ということが、その瞬間にしたかった。

その行動のために、20分や30分も確保できないだろうことは最初からわかっていたましたが、「ほんの数分でも良いから」と自分に言い聞かせ、わたしはソファに座ったのでした。

ターンテーブルにレコードを載せ、プレイボタンを押すとビル・エヴァンスのピアノが流れ始め、淹れたてのドリップコーヒーを口に運んで香りと味を楽しむと、読みたくて置いていた本のページを開きました。

「これがしたかった」という良質な憩いのひとときです。

コーヒーを何口か味わい、しばらくして本を閉じると充分に休憩ができた気がしていましたし、気持ちの切替にもなったという感慨がたしかにありました。仕事に戻ろうと思い、カップを持ってレコードを止めようとプレイヤーの前に立った時、ふと気づいたのです。

たった3分半しか経過していなかったことに

それは流していた曲目の長さから判明した時間でしたが、おおよそ3分半しかわたしはその「憩いの時間」を味わっていなかったのです。にも関わらず、充分にそれを味わった心地がしていて、休憩したいという気持ちは充分に満たされていたことにまず驚きました。まだカップにはコーヒーは残っていて、冷めてさえいませんでした。休憩したいと願っていた自分は、今からほんの3分半前の自分なのだということが意外ですらありました。

もし、3分半前の自分が、時間を惜しんで休憩をとらず、コーヒーを飲みながら仕事を続けるという選択をしていたら、どうなっていたでしょう。おそらくわたしは「休憩したい」という気持ちを抱えながら何時間かまだそこで作業を続けていたのだと思います。

しかし、しっかりと休憩できた今なら改めてリフレッシュした気持ちで作業に戻れるはずです。この違いに思い至った時、これに似たなにかがあることに気がつきました。これに似た喪失や機会損失を実はたくさん被ってきたのではなかったかということに。

それは主に「アイデアについて考えるための時間」でした

「キャッチタイム」とは何か

アイデアを発想・着想しようとする時間を確保するのは、コーヒーを飲もうとする時間よりさらに難しいものです。「コーヒー」と「時間」と「リラックスできる状態」さえあれば実現できる休憩時間とは違って、新たなアイデアを考えるための時間では、さらに「気力」や「活力」「フレキシブルな状態の頭」も必須になってくるからです。

つまり、休憩をするためには要らなかった頭や身体のエネルギーが必要になります。それらがすべて備わった状態に加えて、何かを思いつきそうな「予感」も大切です。予感とは、インスピレーションを得られると思える瞬間を自覚するような気分のことです。その瞬間を自分のために用意・確保するのはとても難しいように思えるかもしれません。

でも、安心してください。

それらが自然と備わった瞬間というものは、広い目で観測しようとしてみれば、忙しい日常の中でもいくつも見出せるものなのです。その瞬間がそれほど大それたものではないのだと知ることで、きっとあちらこちらにそれが細切れとなって点在していたことを見つけ出せるようになるでしょう。

・フレキシブルな状態の頭
・今こそ何かをひらめくという気分(予感)
・物理的な時間

これら3つを備えたものを便宜上「キャッチタイム」と呼ぶことにします。

それは「活力に溢れて、頭がフレキシブルで、ある程度の思索時間がある状態」を指します。

そして大切なことは、実はこの「キャッチタイム」というのは、人がイメージするよりもかなり短い時間で効力を発揮するものなのではないかということです。おそらく音楽を聴きながらコーヒーを飲んで満足感を得た「3分半の休憩時間」を体験したことでうっすらとそのことに気づいたのでした。

キャッチタイムは、短い時間で効力を発揮するのではないか

この着想を元に、その日から幾度も検証してみましたが、その結果キャッチタイムは長ければ良いというものでないことが実感としてわかりました。むしろ短くても問題はなく、ほんの数十秒もあれば充分なことも多いのです。ゆっくり休憩するには「3分半では足りない」と思い込んでいたコーヒータイムが、実際には3分半である程度の満足感を得られたように。キャッチタイムも同様に、たとえ短い時間であっても効力を発揮します。肝心なのは、考えるために最も良いタイミングを逃さず考える時間を続けるということです。

キャッチタイムの使い方

たとえば、駅のホームにいる時に、ふと今が「キャッチタイム」であることに気付いたとします。

ここでのポイントは、この瞬間に、もし電車が来ても車内に乗り込まないという点です

乗り込んだ車内が空いていれば「座ってゆっくり考えることができる」と思うかもしれません。あるいは、車内の端に立って、ゆっくりメモ帳にペンを走らせることもできるかもしれないと思えるかもしれません。

しかし、今から何かアイデアが出てきそうなひらめきの瞬間、その「キャッチタイム」に、それをむざむざと逃すような行動は厳禁なのです

そこでもしも電車に乗り込んだとしましょう。
着想を得られる予感がある中、電車がホームに滑り込んできて停車。ドアが開いて乗客が降りてきます。ホームにいた新たな客が順番に車内に乗り込むのを見ます。続いて自分の番が来て車内に入って空席を探し………などの行為を無意識に行なうことで、どうしたわけか、ついさっきまであると思っていた「キャッチタイム」がどこへやら、自分は全然違った気分でそこに立っている人になってしまっているのです。そして振り返れば、何かが出てきそうに感じられたあの貴重な「キャッチタイム」はすでに失なわれてしまったことに気づくのです。

思索家が警戒するべききわめて明白な危険とは、〈予兆〉の感覚によってつぎに起こると示される連想が、ほとんどの夢や白昼夢がそうであるようにふっとそこから離れ、関連性を失って忘れ去られるか、あるいは他の連想が割り込んできて途切れてしまうことだ。思索家は誰でも、有望な〈予兆〉のさなかに電話のベルが鳴り出した時、誰かが実務的な質問を抱えて入ってきたときの影響をよく知っている。
『思考の技法』グレアム・ウォーラス

キャッチタイムで最も大切なのは、「今こそ何かをひらめくという気分(予感)」をしっかりと感じて確保することです。この気分を大事に扱わなければなりません。その気分はふとしたことで容易に変化してしまうものだと認識するのが先決で、もし他の行動に移ったり、他に意識を飛ばしたりすれば、たちどころになくなってしまう危険性があることを踏まえておかなくてはいけません。

ちょっとした意識の変化で、少し前の良い状態は失われ、別の気分の別の状態になってしまうのです。

ある夕暮れ、あなたが陽の翳る窓の外の景色を眺めていて、そこからなんらかの情景を思い出しかけた時に、ふと声を掛けられて振り向くと、数秒前に思い出しかけていた気分をもう思い出せなくなっている。こんな状況に似た着想の失われ方は誰しも経験があるだろうと思います。

着想の瞬間とは、それほど淡くぼんやりした儚いものです。そのため、ひどくデリケートなものなのだとしっかり認識してあげることが大事になります。

繰り返しますが、何かアイデアが出てきそうなひらめきの瞬間、その「キャッチタイム」には、それをむざむざと逃すような行動は厳禁です

もし駅のホームに立っている時に「キャッチタイム」が訪れたと感じられたなら、電車がホームに入ってきて乗るはずだったその電車にも乗り込まずに「キャッチタイム」をそのままの状態で維持することに専念するべきなのです。

つまりそのままの状態で考察を続けてみるということです。立っているなら立ったまま、上を向いているなら、上を向いたままを保つのです。そうしておいて宙を舞うアイデアの種を追い、逃さないように掴み取るための考察を続けます。

やがて宙をさまよっていたアイデアを頭の中で掴まえることができたら、ようやく「キャッチタイム」の終了です。ここに至ってあなたは場所を移動したりする行動に移行できます。最も良い一定の時間に考察を続けて、なにかしらの着想を得たと確信できたあとでなら、電車に乗り込んだり、席を探したりしても、着想の時間そのものがすっかり失われるということはすでに避けられているといった寸法です。

つまり、思いつきそうな発想の手がかりだけでも考察または意識(メモ)できたなら、その後ゆっくり繰り返し考察することだってできるのです。発想の種さえ得られれば、あとはゆっくり育てることができるけれども、種を失なってしまえば、その先は何も生まれません。良い発想をまず掴まえてから、その発想を磨く時間にその後を当てるというのが肝です。

キャッチタイムはごく短時間

この電車待ちの瞬間の例では、ほんの数十秒のことだったかもしれません。「キャッチタイム」とは、それほど長い時間の話ではないのです

そのため「キャッチタイム」は、たとえば教室や職場、街の雑踏にいる時でも利用可能です。意識さえすれば、あなたは廊下を歩いている時に、ふとそこに立ちつくしたまま、その「キャッチタイム」を活かすことができます。トイレでも、階段の片隅でもそれは可能なのです。そして良い発想が生まれたあと、席に戻って続きを考えることもできるのです。

「キャッチタイム」とううのは、そういった時間を無理矢理作ってアイデアを捻り出す、というものではありません。あくまでも着想できそうな予感が訪れた時に、それを最優先にして扱いましょうということです。

重要なのは、「今ここ!」という機会を逃してはいけないということ
その時間は30秒でも2分でも5分でもかまわないのです。あとで過ごせるゆっくりとした1時間よりも、たった今の1分間のほうが大切な場合がある、ということを認識しておくことです。ゆっくりと考察できる時間には、「キャッチタイム」で掴んだアイデアの種を元に、いくらでも深く考えていくことに使っていくことができます。でも種がなければその時間も始まりません。

自分の頭がフレッシュな状態で、ふと、ひらめきかけるような気分が醸成された瞬間、いかにそれに気づいて、そのままの状態を保ち、続けてあげることができるかが勝負となります。ほんの短い時間でも「キャッチタイム」には何かを得られる可能性が常にあるので、短い時間でも効果を発揮します。そうした中で少しでも糸口を掴んだら、また他の行動に戻ってかまいません。

もう一度、キャッチタイムの3原則
・フレキシブルな状態の頭
・今こそ何かをひらめくという気分(予感)
・物理的な時間

わたしたちが気をつけるべきなのは、上記の3点がたまたま整った瞬間に対して敏感になってあげること。そしてそれを察知したら、できるだけそのままの状態でそれをほんの短い時間でも維持してあげること、です。

他の物事に意識を向けないまま集中する、と言えば難しいことのように思いますが、それよりも「いま何かをひらめくかも!」という予感を察知してあげることのほうが難しいものです。あなたが何かを創造するクリエイターなのであれば、ご自分の中から生まれてくるその動きに気を配ってあげてください。

もしかすると、それはあなたが映画を見ている最中や、友人知人との楽しい会話の中で唐突にやってくるのかもしれません。何か別のことをしようと思った瞬間や、急いでる時、電話やインターフォンが鳴った瞬間かもしれません。でも、着想の予感が少しでも感じられたのなら、ほんのひととき、ごく短い時間でも考察する姿勢を維持することを意識してあげてください。

わたしたちは明日から別人になれるわけではありませんし、別人の才能や発想をトレースして得られるわけでもありませんが、せめて自分の中から飛び出すかもしれないさまざまなアイデアの種を、自分だけはしっかり捉えて逃さずにいたいですよね。自分が得るはずの(自分の中での)新鮮な着想を飛躍的に増やすには、キャッチタイムを無駄にしないことが一番の近道なのです。

私たちが創造すべきものは、自分のなかにすでにあるものであり、それは自分なのです。ですから創造的な仕事というものは、何かあるものをつくりだすという問題ではなく、自分にある邪魔ものを取り去り、流れを自然にすることなのです。
『フリープレイ』スティーヴン・ナハマノヴィッチ

わたしたちは日常の生活の中で、さまざまな活動を行ないつつ、いろんなことを脳で考え、1人の時にも脳内で無数の自己対話を無意識に行なっているのだと聞きます。自分の中から生まれてくる最高のアイデアを邪魔しているのは、インスピレーションが訪れる「予感」に気付きにくくさせてしまっているのは、実はそういった自分の行動や環境のあり方なのかもしれません。

というようなことを考えていました。着想の予感、それを考察する時間を意識して確保してあげるようにしてから、アイデアを失なったような気にさせられる機会は自分の中で減ってきたと感じています。この「キャッチタイム」を利用することで、これを読んでくださったみなさんがそれぞれご自分のアイデアを逃さずに捉える機会が少しでも増え、クリエイティブなご活動を発展されることに繋がれば、このテキストの書き手としてとても嬉しいです。

Saashi


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