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八甲田山を今日も行け

【表裏一体】

作業の合間の息抜き

先日、私より二回りほど上の男性が目の前の女性に「え?あなたはその人の上司か何か?」という感じの上から目線で威圧的な態度で話しかけているのを見かけてのけぞったのですよ

ちなみに女性はその方の部下でもなんでもなく、むしろ普段の献身に感謝すべき対象でありさえしたのです

その男性は自分より年下で女性だという判断からそのような対応をしたのだろうと思うのですが立場的にも状況的にも昨今の風潮的にも「いや、それはないでしょう」という感じだったのですよ

でも、その後

その人が書く散文を目にする機会があって

あ、これは
この人はそのスタンスを崩しちゃいけないと
少なくともおもねりによってこのスタンスを曲げない方が
作品性は高まるなってめっちゃ思ったんですよ

たった一つ「年上の男性と言うのは敬われるものだ、なんであれ」というパンドラの底の希望、いやさ、それは翻せば男性と言う幻想のプライドを演じ続けなければならない己への呪い、その呪いに取り殺された亡霊に縋りつき、風雨の中を小石を受けながら擦り傷だらけになってその概念を守り八甲田山を行くと良いのだ

とひどい事を私も思った物ですが

散文という作品を通すことで、私はその失礼千万な態度にエールさえ送ったし、そのもはや惨めささえ感じる空虚な権威に拍手さえ送りたかった

ところが、その後多分どなたかのアドバイスでしょう
さらりとおもねった文章に書き換えられ、八甲田山を一人行く孤高の初老男性は作品の中で姿を潜めました

一般的に見ればそれがいいのかもしれません
「共感」って大事ですもんね

時代の風潮に合わせて、ひっかかりのない、食べやすいお料理を提供されると良いのかもしれません

ただ、私は、その人の中に残る凸凹していびつな、取り残された孤高の存在こそが、時に人の胸を打つのではないだろうかと、思ったりして

なんともはや、私と言う読み手は勝手なものだなという自戒

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