「お星さま、たくさんついてるね」


「ちゃんと座ってなさい!さっき消毒したでしょ!触らない!あーもう!舐めないで!」


2月のとある土曜日。長引く鼻炎のせいで咳が治らず。息子を夫に任せてひとり私は耳鼻科の待合室にいた。座っているのもやっと。寝不足でだるい。目を閉じて順番が来るのを待っていたら、怒鳴り声が聞こえてきた。


「そこの誰かさん、お願いだからもう少しボリュームを下げてほしい。頭にガンガン響いて敵わない」


壁に頭と体を預けながら心の中で呟く声は届くはずもなく。その間にも絶えずヒステリックな声が響く。

そっと薄目を開けて、確かめる。

そこには一歳ぐらいの男の子を抱っこするお母さんと、思いのままに歩き回る2、3歳ぐらいの女の子の姿が見えた。

女の子とお母さん。それぞれの気持ちを想像してみたら、どちらも胸が苦しい。

元々の子どものタイプにもよるけど。その年齢の子どもにこちらの指示が通ることはほぼない。
座って待とうね、うん、と答えた次の瞬間には立ち上がり、座ろうね、うん、のやりとりが延々と繰り返される。
口に入れて欲しくないものも何でも、気になればまだまだ舐めてしまう。自分の手だってそう。



大きな声で怒鳴っても、なんの解決にもならないんです。あなたの鬱憤が少しは晴れるかもしれないけど、その子にとって取り返しのつかない傷になるかもしれない。怒ったり叱ったりするのはやめて、他の方法をいっしょに探しましょう。
そう声をかけたい衝動にかられる。

でも。その女の子を自分の息子に置き換えたら、お母さんの気持ちが全くわからないでもない。
ひとり病院に連れて行くのだって大変なのに、2人の幼児。体調の悪い人たちが待つ中を、こんな風に子どもが騒いだり歩き回ったりしていれば、あからさまに嫌な視線を向けられることも少なくない。

私もそうだ。顔に出さないまでも、同じような苦労を知っているはずなのに、心の奥底では疎ましく感じてしまう。体調が悪い時にその人の本質が見えるというけれど、やっぱり私は全然優しくなんかない。


極端に怒鳴り声に怯えるのは父親を思い出すからだ、と最近気づいた。
まだいっしょに暮らしていた頃のこと。それまで楽しく食事をしていたはずなのに、突然何かに引っかかり大きな声を出して私を責め立てる。そうなると冷静な話し合いは無理だから、理不尽だと思いながらも謝る。なのに相手は満足せず、謝っても謝っても全然終わりが見えてこない。噴火が収まるまで、とにかく待つしかない。
怒鳴られている間もすごく嫌だったけれど、一番嫌だったのは、少し経つと何もなかったかのように普通に話しかけてくることだった。嫌だと思いながらそれに応える、何も伝えられない自分のことも。


とにかく。今にも胸が張り裂けそうなこの状況をなんとか解消したい。女の子さえ椅子に座っていてくれたら。そのために、私のために。何をしようか。悩みはじめた矢先に私とその女の子が呼ばれた。診察室の前に移動する。


私の左隣にちょこんと座る女の子。
もぞもぞ。ぶーらぶら。
そうだよね、退屈だよね。でもいまは私のために座っていてほしい。協力してくれたら嬉しいな。


「お星さま、たくさんついてるね。かわいいね」

女の子の着ていた黄緑色の上着を指差しながら話しかけると、ニコッと声を出さずに笑ってくれた。

「ここにも、ここにも、ここにもあるよ」と、次から次に笑顔が咲いていく。

「座って待ってるんだね、すてきだね」
「うん」
「お名前呼ばれるまでお話してもいいかな」
「かみのけ、かわいいの」

頭のてっぺんで結んでもらった髪の毛を触る女の子。
お気に入りなのかな。お母さんにやってもらったのかな。私には年中バリカン使いの息子しかいないから新鮮。さらさらの髪の毛。たくさん動くからか、少しゆるんでる。それがまた可愛い。

女の子は私の隣に座ったまま、話し相手になってくれている。さっきまでとはまるで別人。
灰色のズボンの柄とか、ピンク色の上着についていたリボンとか。たまに聞き取れない内容もあったけど、一生懸命話してくれた女の子との会話はそれなりに続き、名前を呼ばれるまでとうとう席を立つことも手を舐めることもしなかった。

診察室に入るために立ち上がったタイミングで「二人連れてくるの大変ですよね」とお母さんにも声をかける。
一気に表情が和らいだ。3人の姿が診察室に吸い込まれていく。

あんな表情を見てしまうと、もう怒鳴り声は聞こえてこないのに、さらに胸が痛む。効果的な声かけについての知識や適切な支援から生まれる余裕をどうかこのお母さんに、と祈ることしかできないけれど。

また会えたら。まず自己紹介をして、それから話し相手になってくれた今日のお礼を伝えて、次は何を話そう。