見出し画像

おおきなシナノキの下で|満を持して修行開始

新しいnoteのマガジンを始めました!

その名も、「おおきなシナノキの下で」。

シナノキとは、菩提樹の別名のこと。
釈迦が悟りの境地に至ったときにいたのが、菩提樹の下だったのだとか。

つまり、わたしも釈迦のように悟りを開きたい!ということなのだが、あまり直接的にいうと引かれてしまいそうだったので、ぼやかしてこんなタイトルにしてみている。

なぜこんなマガジンを始めて、noteを書いていこうと思ったのか。

以前、こんなnoteを書いていた。

それからというもの、ずっとこの「社会が決めた『幸せのかたち』」つまり「恋愛」や「結婚」や「子育て」が果たされない自分に対し、頭では認めているものの、心ではまだ完全に受け入れられておらず、メンタルがブレブレであることをこれまたnoteに二回も書いた。

そして挙げ句の果てに、これだ。

もうずっと、一貫してもやもやしている。

いろんなことを学び、自分の人生に集中していて、充実した毎日で、今の自分はハッピー!最高!と思っていても、ほんの些細な出来事(友人からの言葉とか、ドラマでのワンシーンとか、SNSの投稿とか)ですぐにもやもやに引き込まれてしまう。

今読んでいる東洋哲学の本でも書いてあった。

仏教は、「真理の知識を得る」だけでは、真理を本当の意味でわかったことにならないのだと。

「ああ、そうか!」といった体験(=悟り)を伴っていない限り真理を本当の意味で「知った」とは認められないのだということ。

わたしの状態はまさにこれだと思った。

頭ではわかっている。結婚が、恋愛がすべてではない。

毎日充実していて、自分に向き合える時間もあり、友達もいて、そんなものがなくたって幸せに生きられる。

そうやって生きている人もいる。

でも、まだ、本当の意味で、「パートナーがいる幸せ」の執着から逃れられていないのだ。

だから、わたしは悟りを開くための修行をすることにした。

本当の意味で、そのおかしな執着から開放されるその日まで、わたしは鍛錬を続けたいと思う。

それがいつか、わたしと同じように、他人の決めた幸せを疑いつつももやもやしている人たちの助けになれたら嬉しい。

この修行の中で、わたしが学んだことや感じたこと、実践したことなどをnoteに書いていきたいと思う。

ぜひ、わたしの修行を見守っていただけたら嬉しい。

早速、明日からの三連休は、地震が心配とのことで母親と甥っ子に会いに行く旅行の予定が吹っ飛び、寂しさとの戦う試練が舞い込んできた……!

修行に励むことにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?