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口当たりのよい希望を語るより、大切な人の痛みを抱きしめたい。

会社で取り組める案件が減ってて、俺だけ休業になっちゃったんだよね。同僚は変わらず働いてるのに。
あーあ、なんかしんどいなぁ。役立たずって言われてるみたいでさ。生活には困ってないから、俺のしんどさなんて甘えなんやろうけど。

「オンライン飲みしようぜ」となり、友人と話していたとき、こう言われた。

僕はなにも言えなかった。

甘えなんかじゃないよ、元気出して。そう言うのは簡単だったけれど、空虚に響く予感によって、その言葉は喉元へと押し返された。

代わりの言葉を探しているうちに、「こんなこと言っちゃってごめんな」と言われた。友人に気を遣わせてしまった。

友人は今でも、抱えるしんどさを甘えと思っているのだろうか。あのとき、僕はなんて声をかければよかったのだろう。

僕は、何故なにも言えなかったのだろう。

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口当たりのよい希望が転がっている世の中だ。

「いつか良いことがあるから、みんなで頑張ろう」
「みんな苦しい。でも、絆の力で乗り越えましょう」

たしかに、希望が持つ力は強い。その反面、暴力的な強制力を持つこともあると思う。その強制力は、”苦しいのに前を向かせられるしんどさ”を生み出してしまう。

希望が語られると、ポジティブのベルトコンベアーに乗せられたかのよう、無理やり前を向かせられる。前を向くことこそが善なのだと、弱音を吐くこと、苦しみを抱くことは矯正すべきなのだと、そう思わせられる。

しかし、暗闇の中にいる身にとって、未来は眩しすぎる。

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僕は、昨年末うつ病になった。治るのか分からない、まるで先の見えない暗いトンネル。心も身体も押し潰されていた。

そんなとき「いつかは治るものだからさ。良いこと考えて頑張ろう」と言われたことがあった。この、口当たりのよい希望は僕を苦しめた。

いつか、っていつ?頑張るってなにを?
前を向けていない俺が悪いの?頑張れていない俺が悪いの?
今感じているしんどさは、持ったらいけないものなの?

うつむいている首根っこをつかんで、前を向かせる。それはときおり、今の感情を否定することにつながる。

”いつかを信じる力”がなくなったから、苦しんでいるのだ。
なのに、その”いつか”を見させられるのは、苦痛でしかない。

その苦痛は、前向きになれない自分が悪いんだ、と、負の連鎖を生みだす。

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この体験があったから、友人のしんどさに対して、安易な励ましをためらったのだと思う。

言葉と心が乖離する。
この口から零れ出る言葉の何と整然と美しいことか。
整然と美しいがゆえに偽りを含んでしまう。自分の言葉が自分の心を欺く。
唇をかむ。強くかみしめる。
ぼくはまだ、こんな言葉でしかしゃべれないのか。
(『No.6』あさのあつこ)

胸にぐさりと刺さる。

僕が話そうとする言葉は綺麗で、偽りを含んでしまう。

口触り・耳触りがよい希望を、言葉として投げかけるのは簡単だ。でも、その言葉に責任を持てている人は、一体どれほどいるのだろう。
自分が苦しみ抜いたからこそ、その責任には敏感でいたいと思っている。

とはいえ、大切な人になにもしてあげられないのなら、その覚悟は意味がない。

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希望を語ることができない。そんな自分に、なにができるのか。
考えるなかで、ふと思い出したのは、スピーチライターをテーマにした小説『本日は、お日柄もよく』の一節だった。

ほんとうに弱っている人には、誰かがただそばにいて抱きしめるだけで、幾千の言葉の代わりになる。
(『本日は、お日柄もよく』原田マハ)

言葉の力が語られる小説のなかで、唯一と言っていいほど”言葉を超えた力”を描いた一節。

あぁ、そうか。暗いトンネルの中にいたとき、僕もただ抱きしめられたかったんだ。
苦しんでいる自分でも、しんどさに潰されている自分でも、僕は僕なのだと。そう認めて欲しかったんだ。

どんな一歩でも、今の自分からしか生まれないのだから。

だったら、僕も友人のことを認めよう。しんどさも苦しさも合わせて、抱きしめよう。

僕はまだ、自分の言葉で希望を語ることはできない。けれど、大切な人のそばにいることはできる。

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無理に前を向かなくていい。しんどさも苦しさも、大切にして欲しい。持ったらいけない感情なんてない。その感情を味わい尽くして、そこを足場にして動くしかない。

直接この言葉を伝えるには、僕の精神はまだ未熟だ。でも、想う気持ちを持って抱きしめることはできる。

今は、それで十分だ。

希望を語らずとも、前を向かずとも、人生は続いてゆく。どんな変化でも、今の自分からしか生まれないのだから。


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<勝手に編集後記>
このnoteは、文章大好き人間が集まるコミュニティ「sentence」内で行われている、希望をテーマにしたリレーコラムの1つです。

(希望と聞いて「希望を語りたくはないな」と思った天の邪鬼さは内緒。)

そんなこじらせた僕に、すてきなバトンを渡してくださったのは、まさよふさん。

変わることは怖い。誰もが今までと変わらないでいることを選びたくなる。
それでもなお、まずは自分から変わることができれば、周囲も自ずと響きあう何かがある。

この、痺れる一節が印象的でした。だからこそ、僕は”変化”を違う観点で書きたかった。

変化は、自分の現在地を抱きしめないと始まらない。
どんな変化でも、今の自分からの連続的な変化でしかない。

このことに気付けたのは、まさよふさんのバトンのおかげです。
すてきな文章をありがとうございました。

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「書く」を学び合い、「書く」と共に生きる人たちの共同体『sentence(センテンス)』にて実施中のコラムリレーに参加しています。今回のリレーテーマは「希望」。希望をつなぐ次なる走者は おたる さんです。お楽しみに!
#書くと共に生きる #sentence #希望

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