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生きづらさは断じて甘えじゃない。

どんな些細な形でもいいから。理解されない形でもいいから。生きづらさを抱えている人に言いたい。

生きづらさは甘えなんかじゃないと。

このことを数か月前の自分に伝えてあげられていたら、と心の底から思っています。

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11月末の月曜日の朝、仕事にいこうとしてもいけなかった。

いきたくない、とは全然違う感覚で「準備しなきゃ。遅刻しちゃう」と頭と心は焦っているのに、身体が動かない。

個人の目標達成目前だったし、初めてチームでの達成も見えていたタイミングだったから、いかなきゃ、いきたいとも思っていた。けれど、気付いたら始業10分前。仕方がないので、欠席連絡を会社にいれた。

ちょっと無理しすぎてたのかな。申し訳ないけど1日だけ休んで、明日から今日の分も取り返そう。そう考えて月曜日はゆっくりしていた。夜も「よし、明日は頑張ろう」と思って布団に入った記憶がある。

そして火曜日の朝。身体が動かないどころか、涙が止まらなかった。

正体不明の不安と自己嫌悪で頭がいっぱいになり、会社にいかなきゃとも考えられなかった。布団の上に座ったまま、ただひたすらに涙を流していた。

自分が自分じゃないみたいだった。そんな自分に混乱しながらも、涙だけが止まらなかった。どうしたらいいか分からなかった。

そこから1ヵ月。だいぶ落ち着いたけれど、僕はまだ会社にいけていない。

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ここ1,2年、何とも言えない生きづらさが常につきまとっていた。

仕事をして、お金を稼いで、休日に疲れを癒して、たまに遊びに出かける。その繰り返し。
仕事が辛かったわけじゃない。ちゃんとやっていた自信はあるし、努力もしていた。その中で結果も出していた。

プライベートも含め、客観的に見ても充実している方だと思う。

それでも、閉塞感は消えなかった。なぜか生きづらかった。
労働商品として、自分の価値を追い続けないといけない社会システムがしんどかった。

頑張ってどうするんだろう、仕事で成功して何が待っているんだろう、人生100年も何のために生きていくんだろう、と本気で悩んでいた。

「言ってることも分かるけど、仕方ないでしょ」「皆それでも頑張ってるんだから」「若いねぇ、きれいごとだけじゃやってけないよ?」

モヤモヤしたものを親や先輩に伝えるたび、こう言われた。自分でも甘えだと思って、いつか出口があるはずと思って努力を続けていた。

考え込んで止まりそうになるたびに「いや、そんなこと考えてどうするんだ」「ここで変わらなきゃ」と自分を説得して、頑張れない自分を極端なほどに毛嫌いして、騙し騙しやっていた。

けれど、自分を説得しているだけで、”納得”はしていなかったんだと思う。「頑張らなきゃ」と言い聞かせ、違和感そのものからは目を背けていた。

何のために生きているんだろう。いや、そんなこと言ってる場合か。周りは頑張っているじゃないか。そんなんじゃダメだ。前も同じだっただろう。変わったんじゃないのか。頑張れ。でも、何のために?頑張ってどうするの?いや、甘えている場合か。頑張れよ、俺。どうした、そんなんでどうするんだ。頑張れよ、何で頑張れないんだよ。何でだよ。。

自分を否定しては、重い足を何とか1歩ずつ進める。そんな日々が1年以上続いた。

出口があると思って必死に進んだ先は行き止まりだった。
僕が潰れたのは、まぎれもなく”僕自身”によるものだった。

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感じている生きづらさは自分だけのもの。断じて甘えじゃない。

ここまで読んでくれた人の中でも、単なる甘えじゃないか、と言う人がいると思う。

じゃあ、確かに生きづらいと感じている自分の感情って何なんだ、と考えていたとき、村山由佳の『すべての雲は銀の…』の一節を思い出した。

「幸福とか不幸って、ものすごく個人的な問題だってことなの。確かなのはね。まわりの99人が全然たいしたことないって思ったって、本人が不幸だと思ったらそれは不幸なんだっていうことよ。その反対に、はたから見てどんなに救いのない状況でも、当人が少しでも満足できるなら、それは立派に幸福でありうるんだわ。」

感情はどこまでも主観的なものであり、他人が決めていいものじゃないんだと、ハッとさせられた。

弱いことを甘えだとする人は、いまだに多くいる。でも、どんな形であれ、当人が辛いと思ったら辛いんだ。その感情を自分で否定しちゃダメだ。誰もその感情を認めてあげられなくなる。

僕は、抱える生きづらさを甘えだと思い、違和感を感じながらも、努力を止めることが怖くて走り続けてしまった。そっちには行き止まりしかないのに。

今回潰れてしまって、自分が感じている”生きづらさ”は、自分だけのものなんだと思うようになった。
社会や他人の物差しに当てはめなくてもいい。この感情は自分だけのものなんだと。

生きづらさは甘えじゃない。だからこそ、解決してあげられるのは自分しかいないんだと。

そう考えると、めんどくさいなぁと嫌になることの方が多い自分も、大切にしてあげようと思える。

正直、これからどう生きていくかの答えは見つかっていない。
今までなら、きれいごとで説得し、誤魔化して一歩を踏み出していた。けれど、それじゃダメなんだと今回で痛感した。

自分を偽ったままだと、どこかで限界が来る。

まずは自分の感情を大事にしてあげることを始めよう。方向は分からないけど、社会や他人じゃなくて、自分を土台とした道を歩きたい。

そう思うようになった年の瀬です。


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