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黎明の蜜蜂(第14話)

いつものようにシャワーを浴びて髭を剃っている時に、スマホ・ニュースの着信音がした。

「M銀行が不動産取引で詐欺か」という見出しが画面に映し出されている。章太郎は右手に電動シェーバーを持ったまま、スマホ画面を急いでタップした。

M銀行の大阪浪速支店で、富裕層向けアドバイスの一環で不動産物件を紹介する際、価格が不正に吊り上げられた物件の販売に加担した、という内容だ。

銀行には「他業禁止」のルールが課され、今でも不動産業を営むことは許されていない。しかし、富裕層へのアプローチがしやすい銀行としては、不動産情報をつなぐことによりローンなどの新たなビジネス開拓に結び付けることを模索してきた。

銀行の業務は銀行法により定められているが、2021年の改正で、デジタル化や地方創生などの持続可能な社会の構築を実現するために、限定されていた「銀行本体」および「銀行の子会社・兄弟会社」へ業務範囲の緩和が発表された。

その中に、銀行本体が参入を認められた業務として、幅広いコンサル・マッチングと言うのもある。それ以来、不動産市場の活況もあり、銀行も預金の多い富裕層のニーズを掘り起こすことに力を注いできた。

詐欺とは、どういうことだ? このようなニュースが出るような事件があったとすれば、企画部内部ではとうの昔に噂が出回っていたはずだ。しかし、自分はスマホでニュースを見るまで何も知らなかった。

一体どういうことだ? 内部の人間も知らないうちに、すっぱ抜かれたのか? それとも、自分が噂のネットワークに入っていないということか?

章太郎は髭を剃り終えるのももどかしく、朝食も食べずにアパートを飛び出した。出がけにポストから新聞を取り駅のプラットフォームで広げてみたが、ざっと見たところ該当する記事は出ていない。ニュース掲載の速さでは、やはり新聞はネットに後れをとるな、と章太郎は思った。

電車の短い乗車時間の間も、スマホの検索を続ける。ニュースは次々と上がってきた。売られた不動産はアパート一棟。そのアパートの賃料は、相場では一室3万円くらいであるところを、一室5万円として算出した一棟価格で売られたのだという。

アパート一棟の価格は通常、期待する収益率からはじき出す。アパート一棟の年間収入は、各部屋の賃料の合計×12カ月で得られる。 
 
仮にそれが200万円だとして、そのアパート一棟の不動産価格が5,000万円なら単純計算では、200万円÷5,000万円で4%の収益率となる。それを表面利率と呼び、投資用不動産の広告などではこの収益率が示される。

表面利率を目安に、詳細を調べてその収益率に反映させ、投資判断を行うのである。逆に言えば、年間収入÷期待する収益率で不動産価格を算定していくのが、不動産業者の仕事でもある。

しかし、なぜ相場で一室3万円の賃料が5万円となっていたのか。販売当時の実際の賃料に虚偽申告があった訳ではない。実は、入居者は生活保護を受けており、生活保護の住宅補助が5万円であるのを知った斡旋人により、賃料を5万円にしたアパートに紹介され、入居していたとのことである。

しかし、当該不動産の売却後、入居人は三々五々退出してしまい、そのような特殊条件のなくなったアパートは、賃料を相場の3万円に下げなくては貸せなくなってしまったのである。つまり、不動産価値が本来の倍近くに吊り上げられて売られたということだ。

衝撃的なニュースであった。これは詐欺罪が成立する出来事なのだろうか、そしてその場合、M銀行はその値付けトリックをどこまで知っていたのか、関わっていたのか、という疑問が章太郎の頭の中でぐるぐると巡った。

M銀行本店の高層ビルに吸い込まれるように入っていく人々の顔には、特に動揺は見られない。皆無表情でエレベーターに乗り込んでいく。

企画部の部室に足を踏み入れる。既に何人か来ていたが、一見普段と変わった様子はない。同期の佐々木が席を立ち給湯室の方に向かったのを見て、後を追った。

自動販売機でコーヒーを買っているところに後ろから声を掛ける。佐々木は振り向いて、おう、と小さく挨拶した。
「あれ、知っていたのか?」
「ネット・ニュースに出ているやつか?」
「ああ、僕は今朝、ニュースで初めて知ったよ。アンテナ低いの丸出しだな」

自虐をしてみせる章太郎に、佐々木は「飲む?」と言って今買ったコーヒーを差し出した。
「みんな同じさ、少なくとも企画部の若手の間ではね。ニュースで初めて知ったんだよ」
「一体どういうことなんだ。うちが詐欺なんて。本当にあったのか」
「うーん、まあな」
佐々木は歯切れが悪い。

章太郎はかぶせるように聞く。
「ネット・ニュースで読んだ限りでは、生活保護の住宅手当に目をつけた詐欺だとか、嫌な事件だ。うちがそんなことに関与しているなんて、あり得るのか?」
「実際の値付けや売買にどこまで関わっていたか細かいところまではまだ分からないんだろうけど、M銀行がビッグ・ネームな分、世間では大々的なニュースとして扱うんだな」

「M銀行がお客さんにこんな物件を情報として紹介しただけでも、詐欺罪はともかく、道義的責任を問われるだろう」
「そういうところだ。それに、行内ではもっと騒ぎになっていることもあるんだ」
「騒ぎ?」
「ああ。高島さんって、櫻野が入行してから三年ほど上司だったよね、当時主任だったけど」

「高島さんが、どうかした?」
「彼女が関わっていたらしいんだ。それも何かのレベルの決済印まで押すくらい。それで、彼女は関連地銀に出されたのじゃないかって、もっぱらの噂だよ」
「あり得ないよ、そんなこと。そもそも彼女がゆうゆう銀行に転出したのは、何カ月も前だろう? このニュースは今出てきたんだぜ」

「まずいことがあったのが分かって、当事者を関連地銀に飛ばしてから調査をしたとか? その辺りのことはまだ分からんよ。お互い入ってきた情報は交換しようぜ」
そう言って佐々木は結局コーヒーも飲まず、足早に行ってしまった。

章太郎の手に残った缶も冷えている。横の給湯室に入り、涼子に「お会いできますか」とショート・メッセージを送った。

席に戻る。スマホを気にしながらもPCに向かってレポートの続きに取り掛かる。

臨時朝礼の声がかかった。部長から、章太郎がスマホ・ニュースで読んだものと佐々木から聞いた内容と同じような話がなされた。高島涼子の名前は出ないが、最後に今調査中のことであるので、外部の人には今回の件ついての話やコメントをしないこと、との注意で締めくくられた。

席に戻ってスマホをそっと見るが、涼子からの返信はまだない。打ち合わせやミーティングの合間に席に戻りチェックをして一日が過ぎた。

午後6時過ぎになって返信音を聞いた。「すみません。一日中返信をする機会がなくて。遅くなりましたが、お話しできれば」とあったから、いつものスナックに7時半で、と指定した。

そそくさと帰り支度をして外に出る。昼間はメディア関係の人間と思われる人たちがいた道路は、もう通常の都会の夕方である。人波に乗って駅に急いだ。
                       (第15話へ続く)
黎明の蜜蜂(第15話)|芳松静恵 (note.com)

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