相模原殺傷事件・死刑判決から、対人支援者は何を学べば良いのか

こうなるしかないのですが、どうしようもないやるせなさを感じます。

しかも、

裁判で弁護側は事実関係を争わず、事件当時の植松被告の刑事責任能力の有無や程度が最大の争点となっていた(朝日新聞

ので、本質的な部分に全くスポットが当たらない、もどかしさを覚えます(なので、判決の要旨を読み解くことには、あまり意味がないので、追記で対応しようと思います:3月17日追記、Twitter投稿参照ください)。

「障害者は人の金と時間を奪い迷惑なので、死ぬべきだ」という植松被告の主張について、ほとんどまともに検証されることがないまま、「差別的な発言」などとスキップされてしまう報道にも、苛立ちを覚えました。

被告は、量刑に関わらず、控訴しない旨を表明しているので、「これで終わってしまう」可能性が濃厚です。我々は、こと対人支援者は、この事件から何を学べば良いのか、わからないまま、ことの終息を見守るしかないのでしょうか。池田小事件と同じような、やるせなさを感じます(池田小事件の宅間守と植松被告は、同様に人格障害が指摘されていますが、それは責任能力を否定するものではありません)。


作家の雨宮処凛氏は、以下のように述べています(太字引用者)。

自意識過剰で、目立ちたがり屋で、有名人や権力者が大好きで、そういう人を崇めればおそらく一体化できると感じていて、イルミナティカードなんかの都市伝説が好きで、カッコよくなりたくて、人生がうまくいってなくて何かで一発逆転したくて。そんな若者は、世界中に掃いて捨てるほどいる。が、何をどう間違ったのか、彼はトンデモない一線を踏み越えた。

”イルミナティカード”について、補足が必要でしょう。

1982年に米国のゲーム会社が発売した「イルミナティカード」は、未来の出来事を暗示する「予言のカード」と愛好家に信じられている。

 500種類余りのカードの一部は、実際に起きた事件や災害を的中させたと取りざたされ、秘密結社による陰謀論まで飛び交う。被告の植松も入れ込んだ一人だった。「ことし、横浜に原爆が落ちる」「9月7日が危ない」と妄信し、公判でも同じ発言を繰り返した。

 SF作家の山本弘は「世界にはびこる陰謀論をパロディーにした、ただのカードゲーム。数字は都合よく、いかようにもこじつけられる。フェイクの世界観にのめり込むと危険だ」と警告する。

 植松に自身を「選ばれし者」と曲解させ、襲撃を決意させたカードの数字がある。「13013」だ。

 「13」「0」「13」と分割すると、「B」「O」「B」と読み取れる。イラストのパイプをくわえた男が「BOB(ボブ)」。「伝説の指導者」という設定だ。

 植松はこの5桁を逆さから「3」「10」「31」と切り取り、「31」は加算して「4」と解読。語呂合わせで「さ」「と」「し」、つまり「聖(さとし)」に結びつけ、自らをボブと重ね合わせた。事件半年ほど前から、「自分は救世主」「革命を起こす」と周囲に触れ回り始める。
神奈川新聞
今回の裁判でわかったのは、植松被告は、このままでは人類社会は滅びるといった終末思想のようなものに捉われ、最終的に自分が救世主となって革命を起こすという想念に捉われていたということだ。その主観的な「世直し」の中心にあったのが、心失者と彼が呼んだ存在を安楽死させるという考えだった。


この事件に対する私の見解を、今一度、述べます。

結局、人間は生きているだけで、他の動物とは違う本源的な価値があるのだという命題に行き着きます。これは、ほとんど宗教の観念ですが、近代社会がそのような絶対命題を土台にしないと成立しないのも事実です。江戸時代の日本では、”切り捨て御免”が容認されていたのですから。

まとめると、植松被告の行動は、単に社会規範に反しているというだけでなく、人類の有史以来の叡智の結果である、近代社会に対する挑戦なのです。従って、このような犯行は、断じて容認することはできないのです。

これは、本源的な命題、もうちょっと砕いて言うと、社会原理なので、「なぜ、そうなのか?」という問いは、愚問、いや、もうちょっと謙虚な言い方をすると、ほとんど意義のない問いなのです。何事も「それを疑っちゃあ、おしまいよ」という原理・原則があります。そこに「なぜ?」という問いを立てるのは、哲学的かもしれませんが、そのような問いばかりをすると、社会が土台から総崩れします。

人間を二項対立で捉えることは、便利な反面、時に無要な対立と分断を生みます。「男/女」「健常者/障害者」「親/子供」などなど。植松被告が、社会にあまたある二項対立のうち、なぜ、障害者区分だけを憎悪したのかは、今もって、よくわかりません。
いくつか、そこに迫った面会記録がありますが(例えば、週刊文春2020年1月23日号)、その話題になると、被告は決まって、苛立ちを見せ、話題を変えようとします。

「そういうのは屁理屈。ホント勘弁してほしい」
「そんなことをいい出すと、もう話がかみ合わない。そういう問題はなしにしたい」
「事件のことは好きに書いてくれていいです」

等々。

この苛立ちの根元は何なんでしょう?当該障害者施設の劣悪な(?)労働環境に由来したものなのでしょうか。そりゃ、理想論だけでは語れない現実が現場にはありますし、綺麗事を言う人ほど、現実に何が起こっているかは、知らなかったりします。しかし、それと、大量殺人との間には、ギャップが大きすぎる。事件の計画性は、犯行の突発性を否定します。

ここからは私の直観ですが、被告は、自分の理屈が、根っこのところでは破綻していることに、無自覚的に気づいていたのかもしれません。だから、突っ込まれると反発心が湧いてくる。どうせ死刑になるのだから、裁判もめんどくさいので控訴しない。


テレビ朝日の速報を、貼っておきます。

植松被告は判決が言い渡された後に「最後に一つだけ」と言って手を上げて発言の機会を求めましたが、裁判長は認めませんでした。

この、被告が言いたかったこととは、何だったのでしょうか。興味半分ではありませんが、そこに事件の背景があったかもしれません。事件と関係のないことを話すのは認められないという、裁判長の判断だったのかもしれませんが、外からはどうだったのかはわかりません。

現在の日本の司法制度では、これ以上の追及は難しいです(そもそも、原因追求は、刑事裁判の主目的ではありません)。我々は、この未曾有の凄惨な事件から、何を教訓として学べば良いのでしょうか。正直、これといった結論を出せないもどかしさを覚えます。

【3.29追記】

植松被告は16日の判決公判で、閉廷が告げられた後に「最後に一つだけ」と発言を求めたが、裁判長に認められなかった。「世界平和に一歩近づくには、マリフアナ(大麻)が必要と言いたかった」といい、「大麻があれば、生きがいが生まれる」「大麻が吸える時は前のめりで吸っていただきたい」などと自説を展開した。
(出所:朝日新聞デジタル

◇◇◇
あなたの脱うつ社会復帰、最短3ヶ月で成功させます。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます!励みになります!
精神科キャリアカウンセラー。メンタル疾患からの復職を目指す方の、キャリア構築支援をしています。精神保健福祉士、国家資格キャリアコンサルタント・CDA、WLB認定コンサルタントなどのライセンスを保持。 サービス受付ページ→http://www.s-yam-gucci.jp