ミモザの日に思ったこと

昨日は、国際女性デーでした。

1904年3月8日にアメリカ・ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、1910年のコペンハーゲンでの国際社会主義会議にて「女性の政治的自由と平等のために戦う日」と提唱したことから始まりました。
その後、国連は1975年の国際婦人年において、3月8日を『国際女性デー(International Women’s Day)』と制定。
以後、これまでの前進を振り返り、変革を呼びかけ、国や社会の歴史上すばらしい役割を果たした一般の女性たちの勇気と決断を称える日として、世界各地でそれぞれの国の歴史と伝統に応じて、様々な働きかけが行われています。
(中略)
日本でも『国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA』を2017年から展開し、2025年までに47都道府県での開催を目標に全国に拡大しています。

だそうです。
ネットでもあまり報道がありませんでしたが、例えば、こんな記事がありました。

こんな番組もありました。あとで、チェックしよう。

TOKYO FM サンデースペシャル 国際女性デー特別番組 HAPPY WOMAN RADIO(関東圏内聴取無料)


こちらは、とても全部見る時間はないけど、一応、貼っておきます。

ところで。

私は、幼少期から、男らしくないと言われてきました。
子供の頃は、外で遊ぶよりおままごとの方が好きだったし
映画も、女性が観る映画の方が好きだったりしますし、
男にしては几帳面だとも言われます。
どうもねぇ、マッチョで力自慢の類の物は、あんまり好きじゃないんですよ。

こういうことを言うと、「お前も女性差別に加担している」と言われそうですが、”男性性”とか”女性性”とか言うのは、理念型モデルです。
モデルとは本質的なものだけを強調して抜き出し、あとは棄て去る作業です(小室直樹,2003)。
ですから、現実にそのまんま適用することは、適切ではありません。例えば、高校で着替える場所を男女で分けないとか、居酒屋で化粧室を男女で分けないとか、などなど。

その理念型モデルをそのまんま現実に当てはめてしまうから、こういう失笑千万なことになるのです。空気抵抗を無視して、ニュートンの運動方程式を、現実のクルマ設計に当てはめるようなものです。社会科学の基本が、わかっていない。

現実には、男性も女性も、”男性性”と”女性性”の両方を持っています。その割合は人によって違いますが、”全体傾向としては”、男性の方が”男性性”が強く、女性の方が”女性性”が強い。あくまで”全体傾向”ですから、それに当てはまらない人もたくさんいます。正規分布ですから、ばらつきがあります。ただ、それだけの話です。当てはまらないことが良いとか悪いとかいう、価値判断の話ではありません。

このように、組織の中で男女の割合が偏っているといいますが、母数がフィフティフィティでないのですから、割合が同じになるわけがありません。もし同じになったら、それは女性の方が男性より飛び抜けて優秀か、もしくは下駄を履かせているかのどちらかです。前者は、男性有能論の裏返しです。後者は、”アファーマティブ・アクション”とも言いますが、私は、女性差別の裏返しだと思います。

これを無理やり矯正しようとするから、「女の敵は女」みたいな、本来望ましくない対立が出来てしまいます(これは現象であって、”べき論”ではありません。念のため)。

日本のフェミニズムのパイオニアである、上野千鶴子氏は、こう述べています。

この発言自体が、ジェンダー区分に嵌ってしまっていることに、なぜ気づかないのでしょうか。こういう社会現象を、男・女で区切ること自体に疑問を呈しているはずじゃないのかよと思うのです。

LGBTの議論についても、触れておきます。
リベラリスト(≠和式リベラル!!)を自認する私は、同性婚もよしとすべきだと思っています。そんなん、当のカップルの自由じゃん。周りや社会の側があれこれ言うことではないでしょ(というか、そういう制約自体に、あまり興味がない。自分が独身だからかもしれない)。誰にも迷惑かけていないし。

ここから、本題。

女性は、まだまだ職場においては、マイノリティーであることが多いですね。

私は、”女性学”には興味がありませんが(フェミニズムは思想であって、学問ではないと思う)、マイノリティーがどう社会に適応していくか/いくべきかということには、関心があります。私の想起する”マイノリティー”とは、言わずもがな、ハンディキャップを持った人のことです。

マイノリティ差別がよくないからと言って、ハンディキャップを持った人を、健常者と一緒にそのまんま現実社会にぶち込むと、不都合が出てきてしまいます。”合理的配慮”が必要な理由が、そこにあるのです(合理的配慮については、こちらの記事を)。

これを踏まえた上で、このイラストを見てください。有名なイラストですね。見たことがあるかもしれません。

左が”平等”、右が”公正”(”正義”(Justice)とも)。

なるほど、わかりやすい。公正が、良いことのように見えます。そして、それを実現する手当てが、”(社会的)正義”だと。

でも、ちょっと待って欲しい。

野球観戦なら、この配慮は合理的と言えると思う。
でも、例えば、バレーボールの試合だったら?
平均身長の低いチームには、ハンディとして、1セット当たり5点を付けましょう、となったら、それは”公正”でしょうか?

別の例。
知的障害があるからといって、その人は、高校入試の学力検査を免除しましょう、となったら、どうでしょうか?

議論が分かれるとは思いますが、私は、これらは合理的配慮でも社会的正義でもないと思います。
なぜか?

バレーボールの試合では、身長も実力のうちなのですよ。
入試では、知的水準も、実力のうちなのですよ。
それらは、本人が努力して得たものではありませんが、だからといって、均して(ならして)良いものではないのです。それも本人の特性なのだから。

それらを考えると、以下の記事は、今までとちょっと違って見えるはずです。

女子は男子よりも料理が上手にできたほうがよい」と思う10歳女子 85%(10歳キラキラ白書 ワコール)

ジェンダーフリー、大いに結構です。
でも、現実社会はそんなに単純に出来ていないから、その理念型モデルをそのまま現実にぶっ込むと、見逃してしまうものがあります。
そりゃあ、一人前の大人だったら、男女問わず、自分の分の家事くらいできなければいけないと思いますし、料理もできた方がいいですよ。
ただ、それと、社会構造がどうあるべきか、どこを直したら良いかは、また別の話です。
例えば、子育て。パパとママは、同等ではあっても、同質ではないと私は思っています。やっぱり、生物学的な違いはあると思う。もちろん、これは、”全体傾向”であって、そうあるべきという話では決してないと思いますが。念のため。


本稿の本質ではありませんが、気になっていることを、最後に付け加えます。
伊藤詩織氏と山口敬之氏の民事訴訟で、片方に肩入れする報道は、よくないと思います。メディアは民事不介入であるべきだと思うのですが。刑事案件ではないのですから。高裁でひっくり返ったら、どう報道するの?

◇◇◇
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精神科キャリアカウンセラー。メンタル疾患からの復職を目指す方の、キャリア構築支援をしています。精神保健福祉士、国家資格キャリアコンサルタント・CDA、WLB認定コンサルタントなどのライセンスを保持。 サービス受付ページ→http://www.s-yam-gucci.jp