植松死刑囚の”社会正義”の綻びを、再び喝破する

先月号の文藝春秋に、

◎それでも「殺すことは社会のために必要」と彼は言った
植松聖<相模原45人殺傷>からの手紙 最首悟

という記事がありました。

有料記事ですが、Noteで全文を読むことができます。

長いですが、記事中での植松被告(現時点では死刑囚ですが、本稿では被告と書きます)の返事文を全文引用します。あなたは何を考えながらこれを読んでいるのか、自分自身に問いかける”メタ認知”をしながら、お読みいただければと思います(太字引用者)。

植松被告の返事文

国債(借金)を使い続け、生産能力の無い者を支援することはできませんが、どのような問題解決を考えていますか?
自分が糞尿を漏らし、ドロドロの飯を流され、ベット(ママ)に縛られる生活でも、周りに多大な迷惑をかけ続けても生きていたいと考えていますか?
最首さんは私のことを「現代が産んだ心の病」と主張されますが、それは最首さんも同様で、心失者と言われても家族として過ごしてきたのですから情が移るのも当然です。
最首さんの立場は本当に酷な位置にあると思いますが、それを受け入れることもできません。
人間として生きるためには、人間として死ぬ必要があります。
返事が遅くなり大変失礼致しました。
最首さんは「安楽死」ではなく「与死」と云ったり「心失者」はいないと主張されています。私は、はじめ「化け者」と呼んでいたのですが、それでは遺族を傷つけると配慮から考えた言葉で、それが気に入らないなら好きに呼んで貰ってかまいません。
先日、福祉の大学教授達と面会しましたが、本当のバカで呆れています。莫大な社会保障費について尋ねると、
「必要な経費だから借金ではない」
「お金を一番に考えるのが一番恐いよね」
など意味不明で会話になりません。(略)バカは言葉で説明しても理解できませんから、死ぬまでト呆けるつもりでしょうが、いい年こいてカマトトぶった奴等を見ると、本当に殺したくなります。
最首さんは、無理心中の原因が「心失者」であることを知っています。つまり、1日も早く心失者は抹殺しなくてはいけません。星子さんの世話だって大体は奥様に任せ押しつけていたと思います。
同情無しに生きられない者は、それが耐え難い屈辱でもあり、彼らは現実から逃げる為に「脳」が壊れています。社会を憎み権利ばかりを主張し、浅ましい嘘と詭弁でごまかし全く話は噛み合いません。
心失者を抹殺するに一番の問題は、理性と良心を持たない喋る心失者です。彼らは被害者でもある「加害者」と考えております。
乱文を失礼致しました。
誰も最首さんを責めないでしょうし、私も最首さんが悪いとは思いませんが、障害児の親として、大学の名誉教授として「できること、やるべきこと」があると思います。
日本は今、2週間に1度“介護殺人”が起きています。
不幸の多くは偶然ではなく、悪を野放しにした必然であり、正義とは、人々にふさわしいものを与えること、政府は共同体全体の幸福を最大にするため、あらゆる手段をとる必要があります。
「希望」とは尊厳死、安楽死を示す言葉かもしれません。(略)家族が亡なるのはもちろん悲しいことですが、明日を生きるため希望をもって死を選択したのではないでしょうか。
未来ある人間の時間を奪う介護は間違っております。
御手紙を拝見致しました。
最首さんのお考えは判りましたが、奥様はどのように考えているのでしょう。聞く必要もありませんが、今も大変な面倒を押しつけていると考えております。
「朱に交われば赤くなる」と云いますから、障害児の家族が悪いのではなく、生活する環境が悪いということです。
乱文乱筆、失礼致します。お体をどうぞ御自愛下さいませ。

これでは話が噛み合わないわ。

最首悟さんが植松被告に送った手紙の全文は、神奈川新聞で公開されています。そちらは、リンク先でお読みいただければと思います。

私が植松被告に送る形で20通近くの手紙を書き続けているのは、彼が考えたような生産性や社会的価値だけで測れないものの存在、価値を伝えたかったからです。

このやりとりを読んだ率直な感想を述べますと、「これでは話が噛み合わないわ」と思いました。
簡潔に植松被告の主張をまとめると、”理性と良心を持たない、脳が壊れている人間”は、抹殺するのが、共同体全体の幸福を最大にする”社会正義”だ、と主張しているのです。植松被告は、それを実行してしまう人間です。この強烈な思い込み(信条とでも言いましょうか)は、そう簡単には変わらないでしょう。そこに、”社会的価値で測れないもの”を持ち出しても、残念ながら、植松被告の信条には、擦りもしません。

カマトトぶる”という言葉の意味を改めて調べてみると、”知っていることも敢えて知らないかのように振る舞うこと”、とあります(実用日本語表現辞典より)。つまり、返事文で批判した、福祉の有識者については、「障害者は社会的不幸だと内心判っているにも関わらず、それを直視しない偽善者だ」と主張したいのでしょう。

ここに、支援する側と支援される側に分断され、それは固定的なものであるという、植松被告の世界観を汲み取ります。しかしながら、社会的互恵性を持ち出すまでもなく、人は、ある時は支援し、ある時は支援される側であり、それは多面的かつ流動的なものであります。それこそ、”いい年こいて”その関係性を理解しないのは、稚拙な印象を拭えません。

植松被告の言うところの、”共同体全体の幸福”って、何でしょう?推測するに、「”悪”を排除し、社会的費用を最小化すること」のように思えますが、肯定的な定義を持たない〈幸福〉を実現する〈社会正義〉に、如何程の価値があるでしょうか。私には賛同できません。

では、なぜそのような強烈な固定観念を持つようになったのでしょうか。

残念ながら、裁判でその過程が明らかになることはありませんでした。おそらくは、植松被告の生育環境にあるのでしょうが、ピンボケを承知の上で推測するなら、高齢者介護施設での”糞尿を漏らし、ドロドロの飯を流され、ベットに縛られる生活”に、生理的な嫌悪感を強烈に感じたことにあるのかも知れません。しかしながら、では、この人達が、植松被告の言うところの”心失者”なのかというと、多くの場合はそうではないと思います。それだけでは、説明がつきません。

手紙を送った最首さんは、こう推測します。

彼には何かに対して努力した痕跡がありませんが、権威を持ちたいという気持ちは強い。だからなのか、「偉い方」の言うことには従い、障害者のような「役に立たない」人は抹殺する。それが彼のルールなのです。

つまり、人間の社会的序列は社会的権威で付けられる、という信条なのかも知れません。よって、社会的権威の高い人間にとっては、社会的権威の最も低い”心失者”は”障害”でしかないので、抹殺すべき、というロジックでしょうか。
では、植松被告にとって、”社会”とは何を指しているのでしょうか?ピラミッドのような、階層的なものでしょうか?それは前近代の発想ですから、やはり稚拙だと言わざるを得ません。社会的権威に対する、強烈なコンプレックスが深層心理にあるのかも知れませんが、そこまではわかりません。

最後に、最首さんの推測を引用します。

おそらく、遺族の方々の話などを報道で見て、自分は「人間」を簡単に殺してしまったかもしれないということに薄々気づいているのだと思います。でも彼の中では、殺したのではなく、モノを捨てたのと同じということになっている。そこにしがみつくしかないのでしょう。

人間誰しも、「あんなやつ、死ねばいいのに」「あいつ、ムカつくから、ぶっ殺したい」と思うことはあるでしょう。しかしながら、それを実行に移すことはありません。それが規範意識なのか、それとも倫理観なのかはさておいて、植松被告はそれが消し飛んでしまっていますが、被害者を”人間”ではなく、”モノ”扱いしたと考えれば、一応の説明はつきます。

以上、この事件の核心に迫ることを試みてきましたが、全ては私の推測でしかないので、非常にやりきれない思いです。この未曾有の残虐事件から、何も確たる教訓が得られないのですから。

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精神科キャリアカウンセラー。メンタル疾患からの復職を目指す方の、キャリア構築支援をしています。精神保健福祉士、国家資格キャリアコンサルタント・CDA、WLB認定コンサルタントなどのライセンスを保持。 サービス受付ページ→http://www.s-yam-gucci.jp
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