障害者暴行の小山田圭吾氏に、芸術活動の資格はあるか

障害者暴行の小山田圭吾氏に、芸術活動の資格はあるか

【閲覧注意】以下では、「いじめ」の内容を一部ですが含みます※

東京五輪開会式の楽曲を担当するミュージシャンの小山田圭吾氏が、過去の雑誌インタビューで告白した学生時代のいじめについて、問題になっています。

インタビューの該当部分は、こちらの記事にあります。じきに削除されるかも知れませんが、一応、リンクを貼っておきます。この記事は2006年の記事なので、知っている人にとっては、「何を今更」だったのかも知れません。

「いじめ」という言葉を使うのはやめたほうがいい。

「いじめ」という言葉は、問題行為の本質をぼやけさせるので、適切な言葉ではないと、以前から私は考えています。

一般に「いじめ」と聞くと、日常的な蔑みや嫌がらせ行為などを連想するでしょう。さすがに、今日日、「いじめられる方にも問題がある」という意見は見なくなりましたが、「いじめ」の実例を見ると、暴行を含む虐待行為であったり、10万円単位のお金をせびり取ったりという話が珍しくありません。これは、暴行罪・恐喝罪です。犯罪行為です。それに手を染めた者が未成年であっても、犯罪であることに変わりはありません。小中高生は、大人が考えているより、はるかに判断能力があります。「いじめ」という一般名称を使うのは、問題行為の矮小化につながり、適切ではありません。犯罪と分類した方が適切でしょう。

その「いじめ」のごく一部を引用しましょう。

段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ〜ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
太字引用者)

これは「いじめ」と呼ぶのは適切ではありません。集団虐待です。”反応”がなくなったからと言って、どうして「部屋の側から見ていよう」という判断になるのでしょうか。死んでも構わないと思っていたからです。同じ人間として見ていないことの証左です。

障害についての小山田氏の認識

別の部分を引用します。

他だったら特殊学校にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。
タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。
「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?
「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ〜って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)
太字引用者)

学校の周辺を走っていることの何が「すごい」のか、全くわかりません。それは希少動物を見る目と何の違いもありません。人に対して向ける眼差しではありません。
障害に対する”無理解”という表現は適切ではありません。小山田氏の障害者観は、幼少期に確立しています。極めて侮蔑的なものですが。

障害者受け入れ教育の適切性

小山田氏の通学していた和光大学附属小学校・中学校・高校は、障害者の受け入れに積極的だという評判があるそうです(Wikipediaより)。

和光鶴川小学校では、学級に数名の枠でハンディキャップを持った児童を受け入れてきています。
社会の中には様々なハンディキャップを持った人たちがいます。それが社会として当たり前の姿ですが、学校という狭い社会では、切り離して生活しているところが多いのが実態です。本校では「学校での教育課程と発達過程の間に共有部分を有する」といういくつかの条件下での受け入れですが、健常児とハンディを持った子がともに生活することは、両者の子どもたちの発達に大きな力を果たすと考えています。それを私たちは「共同教育」と呼んでいます。
ハンディをもった子にとっては民主的な能力などの発達を促すこと、健常児については少数者・弱者の立場に立ってものを考えられる力をつけること、それは人間としての発達に大きな意味があることだと考えています。
学校ホームページより。太字引用者)

確かに、「弱者の立場に立ってものを考えて」います。集団暴行すれば抵抗できないので、面白がろうという見透かしですが。
小山田氏はこのようにも述べていました。

こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。
何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。

図書館を動物園とでも思っていたのでしょうか。成人しても、同じ人間として見てはいないのがよくわかるインタビューです。「図書室にたまる」というのは、日常的に、障害を持つ児童・生徒がこのような暴行を受けているからではないでしょうか。小山田氏の事例は氷山の一角と考えた方が適切でしょう。

このような事例を考えると、特定の障害のある児童・生徒を通常学級に入れることが本当に社会正義なのか、考え込んでしまいます。倫理観が未熟な場合の小中学生だと、暴行や言動が大人以上にエスカレートし、歯止めが効かないからです。単に障害のある児童・生徒を受け入れるだけで、全体の発達教育に資するという発想は安易かもしれません。

謝って済む問題ではない。

私が申し上げるまでもなく、思春期にこのような体験を受けることは、生涯にわたる人格形成で大きな影響を与えます。後から謝って、取り返しがつくものではないのです。小中学生というのは、大人が思っているよりはるかに残酷です。私も小学生時代に、とても”あだ名”とは呼べないような、ひどい呼び名を付けられていましたが、よくそんな呼び名を思いつくものだなと、大人になった今でも呆れるしかありません。

本稿で私は、「小山田氏は、東京五輪を辞退すべき」「IOC組織委員会は危機管理能力がないので、五輪は中止すべき」といった、政治的な主張をするつもりはございません。今更、何十年も前の思春期の過ちについて、断罪するのはおかしいのではないか、という意見もあります。私もどちらかと言うとそう思っていました。当該雑誌の本文を読むまでは。
これは、芸能生活を続けて良いかどうかというレベルの問題です。東京五輪については、いろいろなご意見があるでしょうが、この暴行問題はそれとは無関係に、小山田氏が芸術活動をする資格があるのかどうかを、問われているのだと思います。

本稿は以上です。
それではまた、次のコラムでお会いしましょう!

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