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謎の装置 「ノルウェイの森」という小説


#読書の秋2020   のための改稿



一度だけ読んだ。登場人物に全く感情移入できないままラストに至った。ストーリーは予想通りの展開だった。それなのに、ラストシーンで、得体のしれない、圧倒的な感情の揺さぶりが襲ってきて、涙が止まらなくなった。

なに、コレ?  ?????


私は村上春樹が結構好きだ。ハルキストではないと思うが、ほとんどの作品を買って読んでいる。特に長編小説は、何度も何度も、反芻するようにひっくりかえしもっくり返し読む。「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」などは、生涯ベスト小説の一つに入るくらい好きだ。短編小説は持っていても未読のものがある。随筆等はすべて読んだ。村上朝日堂シリーズは、たぶん出版された当時のリアルタイムで買っている。Wikipediaで作品一覧も確認した。

ただし、「恋愛小説」と言われるものを除いて。
つまり「スプートニクの恋人」と「国境の南、太陽の西」、そして「ノルウェイの森」は読んだことがなかった。十年ほど前までは。

↓ 写真は村上春樹が結構好きだという証拠。本棚の村上コーナー。
 自慢は右奥にちょっとだけ見える「少年カフカ」

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まず恋愛小説に興味がなかった。今もない。そして発表当時、「ノルウェイの森」に対するあまりの世間のもてはやしぶり、「フィーバーw」ぶりにドン引きしていた。
世の中はバブル真っただ中で、オシャレでトレンディーなファッションアイテムみたいに扱われていた気がする。(カタカナばっかり &トシガバレル)
別にバブルの雰囲気は嫌いじゃなかったし、流行に乗っかるのもやぶさかではないのだが、読書はとても大切な趣味だったので、やはりこだわりみたいなものがあったのだ。
「1Q84」の時も危うく同じへそ曲がりが発動しそうになったが、ちゃんと図書館で借りて読み、その後買った。読んでよかった。

まだ「スプートニクの恋人」と「国境の~」は読んでいないが、10年ほど前、長い間気になっていた「ノルウェイの森」にとうとう手を出してみた。いつかは必ず読もう、とも思っていた。すごく大きなきっかけがあったわけではなく、何となくすんなりそういう時期が来たという感じで。

そして、冒頭で書いたような現象が起きたのだ。

あまりにも訳が分からず、なんだか悔しい。でもすでに書いた通り主人公にも他の人にもに全く感情移入できなかったし、やっぱり悔しいwので、それ以来一度も本を開いていない。分析とか理由を追及したりは一切していない。この記事を書くためにもう一度読み返したり、本を開いて確認したりする気もない。書評なども避けまくっている。

だから、10年ほど前の怪しげな記憶で全くのうろ覚えのまま記事を書き進める。

村上小説の主人公は割とよく女の子と寝たりする。別に他の作品では全く嫌悪感もないし、特にひっかからない。読んで考えることや想像することがたくさんあるし、ストーリーを追うのも楽しい。
けれども「ノルウェイの森」だけは、もともと敬遠していたせいもあってか、全くダメだった。特に前半の主人公と周りの人々の行動すべてが。途中から出てきた(?)、最終的に主人公と恋仲になる女子大生だけが、嫌悪の対象ではなかった、と、思う。

でも彼女の人柄や何らかの行動に感動したわけではない。もちろん「僕」に訪れたハッピーエンドに、「よかったねー」などともらい泣きしたのでは断じてない。
やはり普通に「僕」の心がラストシーンで満たされうるおされていく、そのことと連動して私の心が動いたとしか思えない。
あたたかく降り注ぐ雨と電話ボックスのイメージがある(私のうっすらした記憶なので、自信がない。)その、あたたかく降り注ぐ雨が、私と「僕」の心をうるおし満たしていったとしか考えられない。

「僕」の心には、全く寄り添えなかった。感情移入なんか全然できなかったし、「僕」と同じような経験がないとは言わないが、作品の中で起こったこととは全く切り離していたつもりだった。読んでいて「僕」によって私の心が掘り返されたた覚えもない。
全くの他人事、別世界の出来事として読んでいた。

それなのに、あの小説は、確かに私の心をひたひたとあたたかい雨で満たし、うるおし、癒した。圧倒的な訳の分からない感動に見舞われてしまった。

よく村上さんは「損なわれる」という言葉を使う。確かに私の魂も色々なことで損なわれたり傷ついたりはしていた。人は誰しも生きていればそういった傷のようなものを抱えるものだから、傷は大きかったとは思うが私だけが特別だとも思わない。その傷は「僕」に起きた出来事で呼び起こされたりは全くしていないはずだった。
けれども「ノルウェイの森」を読むうちに、私の魂(大げさだけど)は知らぬ間に取り出されて治療されるための準備を整え、ラストシーンによって有無を言わさず、治癒薬を怒涛のように注ぎ込まれてしまったのだ。

こんな風に小説が作用するなんて!!!まさにブラックボックスの治癒装置。
もはや私にとって「ノルウェイの森」は恋愛小説なんかではない。「謎の装置」。村上小説、恐るべし!

もう一度書くが、その現象があまりに理不尽で納得がいかなかったし、訳が分からず悔しさたっぷりなので、それ以来一切「ノルウェイの森」を開いていない。

起きた出来事をきちんと分析したり理解したりしていないし、そのための再読精読もしていないから、その「癒し」は定着せず一過性のもので終わった。それ以来私の心の傷が消えていったなんてことは全くない。
ただ、圧倒的に心が揺さぶられたという経験だけが強く残っている。
ちゃんと読み返していれば、私の心はこの小説によって癒されたと、自覚を持って言えるようになっていたのだろうか。

でもやはり、これからもたぶん「ノルウェイの森」を読んだりしないと思う。
もう一度あんなことが起きたら、本当にイヤだし悔しい。そして、あの怒涛の感動と癒し・強い心の揺さぶりが今度は襲ってこなかったとしたら、それこそ本当に嫌だから。

それともここらでひとつ、読み返してみるべきだろうか?

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