「自分」というものが見つからないあなたへ No,1 小学校入学まで
あなたの一番古い記憶はなんでしょうか?
私の場合、姉の後ろ姿が思い出される。
それは近くのスーパーに、二つ上の姉と私だけで特売のたまごを買ってくるというミッション遂行中の記憶だ。たぶん4歳か5歳くらいの記憶だ。
私はこのミッションが大好きだった。
姉と私だけという非日常感、ミッション遂行というアドベンチャー感というものを幼いながらに感じていたんだと思う。それに好きなお菓子を一人一個まで買っていいという特典までついていた。
楽しくないわけがない。
母の教育方針として、「取りあえずやらせる」というものが根本原理であった。
母は私専用の小さい包丁を買ってくれた。(刃渡り10cmくらいで鞘がついていた)
その日から、みそ汁に豆腐を切って入れてみそを溶かすのは私の役目になった。最初に手のひらの上で豆腐を切った時の、包丁のひんやりした感触は今でも覚えている。
私が小学校に入学するまで、父の働く会社の社宅に住んでいた。
それはわりと広い空き地が併設された団地で、バッタを捕まえたり、膝をズタボロにしてやっと自転車の補助輪を外せたのもその空き地だった。
団地のご近所さんとも仲良くしていて、上の階の佐藤さん(仮名)宅にはカラオケセットがあり、たびたび私たち一家は遊びに行った。
この時は本当に毎日が楽しくて、幸せだった。
この社宅はA小学校の学区だったので、私もA小学校に入学した。
なぜこんな書き方をしたかというと、入学して間もなく転校することになるからで、それは確か一学期終わった時だったと記憶している。
父方の祖父母と同居するためというのが転校の理由だった。
転校に際して、友達にサヨナラの挨拶をした記憶が私には無い。
多分、小学校入りたてで明確なコミュニティができる前だったからなのだろう。そう考えると姉は相当なエネルギーを使って転校したんだろうなと、これを書きながら思った。
引っ越し先の新築一戸建ては、祖父母の土地に両親がローンを組んで建てた夢のマイホームだ。
前の社宅は大都会というわけでは無いがそこそこ街中に位置していた。引っ越した新居は周りを田んぼに囲まれ、最寄りのコンビニまで徒歩50分という紛れもなく田舎だった。ここが私の実家になった。
二学期から正式にB小学校に転校した。
この学校が遠かった。登校に片道40分弱かかる。
町内の小学生が朝決まった場所に集合して、いっしょに登校する。いわゆる集団登校なのだが、私が一年生だったとき小学生全員あわせて8人くらいだったと思う。小学校卒業までこの集団登校は続くわけだが、人数が減ることはあっても、これより増えることはなかった。
何が言いたいかというと、それくらいの田舎だったということだ。
詳細はあとで書こうと思うが、中学校も小学校の校庭を挟んだ隣にあり、同じく片道40分弱の道のりを歩くことになる。(なぜか自転車通学は禁止だった)
私は義務教育の9年間、毎日この道のりを歩いた。
当時は何も考えずにそういうもんだと思って登校していたが、9年間同じことを継続する難しさはあなたもわかると思う。
転校初日
人見知り全開の私は何とか自己紹介(名前をかろうじて言った)して、あとはよく覚えていないが、N君がひたすら私の顔を凝視してきていたのだけは鮮明に覚えている。
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