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「おふでさきの物語」 第十二章 その2

 では今から珍しい話を説いていこうと思います。でもきっと人々はなんおことか分からないことでしょう。しかし、この話がいかに分からないことばかりだとしても決して否定することのないよう木をつけてもらいたいのです。なぜならばこれからの話は神様の残念な気持ちをはらすことにもつながるからです。
 まずこれから先はたとえどのような難しい病であっても、息とてをどりで、全ての人々をたすけていくのです。ですから、たとえそれがどのように難しい病気であっても、決してなおらないと思ってはならないのです。今までというのは、まだその日が十来していなかったので、少々違ったことでも見逃してきました。しかし、これからはたとえどのように難しく思えるような病気であっても、すべて「よふきづとめ」で救けてゆくのです。ですからこれから人々がどのような自分の使命を果たそうとしても、心を神様が見極めてどのような働きもしていくのです。しかしそれと同時に、神様はこの残念な気持ちもどんどんと表していこうともうのです。この話はたとえどのようなものと人々が受け取ったとしても、すべて神様が直々に伝えているものですから、神様はどのような働きを人々の見せるかきっと想像できないことでしょう。これから先、たとえどのようなことが怒っても其処には神様の深い思惑があるのです。ですからそこに人間の浅はかな知恵が含まれているとは決して思ってはならないのです。神様はこれからどんなに急いで、想像も出来ないような働きをすることでしょう。今こうして話をしているのも、言葉こそ、人間の言葉ですが、その心はすべて神様の心なのです。ですからしっかりと聞いて欲しいのです。この言葉というものおは全て神様が借りていますが、その心は全て神様が貸しているものなのです。このことは非常に大きなことなのです。人々がたとえどのようなことを思おうとも、或いは恨もうとも、神様はどんなことをしても、この残念な気持ちをはらしていくのです。本当にこの言葉は神様の心なのです。決して人間の心など混ぜることは一切ないのです。ですから反対にいうと、どのように難しいことを考えたとしても、神様は人々の心をしっかりと受け止めたならば、まったく案じるようなこともないのです。神様の残念な気持ちさえしっかりとはらすことができたならば、世界中の人々はこの道の将来を楽しんでとおればよいのです。
 神様が人々の心の掃除を始めたならば、たとえどのような者でもそれを止めることはできないでしょう。この掃除とはいったどのようなものだと人々は思っているでしょうか。神様が世界中の人々の身体の中に入って働くのです。このはなしはいったいどこでおきる話だと思っているのでしょうか。この話はもちろん、どのように権力をもった人々に対してももちろん働くのです。このような話をすると不思議に思うような人もいるかもしれませんが、神様の説く事の言葉の意味をしっかりと思案をしなければなりません。神様がどのような言葉をといったとしても決して違うことはないのです。
そうして神様が世界中全ての人間の心をしっかりと澄ましたならば、どのようなことをするのか、きっと人々は想像もできないことでしょう。しかし、たとえどのようなことをするにしても、神様の心は世界中の人間を救けたい、ただそれだけなのです。世界中の全ての人々はしっかりと将来を見なければなりません。自ずと心の掃除ができていくのですから。やがて世界中の全ての人間の心をしっかりと掃除したならば、それから直ちに人々の守護をしていくのです。神様はこの道の進展を毎日急がせているのです。しかしこの神様の心を誰も理解できていないのです。この道に早々と引き寄せられたものは、たとえどのようなものであっても、だんだんと心が勇んでくるのです。この神様の心を説くのはいったい誰かというと、それは説いている人では決してなくて神様の心が説いているのです。
 神様はこの世界の真実を世界中の人々へしっかりと知らしたいので今日まで一日、一日と日を延ばして、どのような事もガマンしていました。
 この救済というのはいったいどうものかと人々はかんがえているでしょうか。それはたとえば伝染病が流行らないというように神様が働いていくことなのです。そうして作物にしても、いつもしっかりと豊作となる方法を教えていきたいと思うのです。そのような道を早く人々に教えようと思うのですが、世界中の人間たちの心がまったく神様の心を理解しようとしないのです。神様にとって世界中のどこに澄むものもまったく分け隔てはないのですから、世界中全ての人間がしっかりと考えなければならないのです。本当に世界中の人々が心から神様の心を理解して、この道について、そうして神様の心に背くことがなければならないのです。そうして、神様の心をしっかりと受け取って急いで人々をたすけてゆくことを願うのです。
このたすけというのを決して軽々しく考えてはなりません。これこそこの道のもっとも大切な土台となるのですから。このたすけをしっかりと人々に知らしめたならば、たとえどのように地位の高い人であっても、このたすけは決して人間のなせる業ではないのですから、神様の自由自在の働きに勝る者などなにもないのです。そうしたならば、どのように地位の高い者であっても、マネをすることすらできないでしょう。そのことをしっかりと考えてもらいたいのです。神様は世界中の人間に対して、病むことなく、死ぬことなく、老いて弱ることのない自由自在の守護をはやく見せようと願っているのですが、世界中の人間が、神様の心を疑ってどのようなことも世間一般の常識で考えられるものだと思っているからできないのです。しかし、この神様の心には決して人間の心などみじんもないのです。本当に神様が考えていることだけなのです。でもそのことを誰も心から分かっていないので、それが神様にとって一番残念なことなのです。
 この疑いを抱く世界中の全ての人々の心を、なんとかして澄み切った、素直な心へとかえる方法はないものでしょうか。世界中の人間かしっかりと神様の心を理解したならば、神様はすぐにでもなるほどという証拠を渡すことができるのですが、なかなかそうはなりません。今までは人々の言葉がたとえうわべだけで心の伴っていない言葉であったとしても、まだまだ人々の成人が遅いだけだと見過ごしていましたが、もうこれからは、心を伴わないウソの言葉は決して受け取ることはないのです。そうしてこれからは、ウソをいったら、その言ったものがウソになっていくのです。このことを人々は理解しているのでしょうか。神様にとってウソや追従は本当に耐えられないほどに嫌悪を覚えるものなのですから、やがて神様の働きも止まってしまうかもしれません。そうなるとやはり可愛そうなので、一日一日と日を延ばして、人々が真実の心になることを待っていたのです。
 人々がこの確かなる証拠を出したいという神様の心をいったいどのように思っているのでしょうか。この証拠はいったいどのようなものだとお考えでしょうか。世界中の人間を救ける証拠として、まず人々の手本となるべき者に試してから始めるのです。その証拠を出すのも、救済をするのもなにをするのも、すべて神様の心から行うのです。ですから、このようなことは決してだれも知らないようなことなのです。神様は本当に急いでいるのです。今という時間は、よそ見をする暇もないほどです、本当に急いで神様は証拠をだしたいのです。この証拠をみることができれば、世界中の人々は、それがたとえどのような者であっても、納得することでしょう。この世界のすべてが神様の言葉通りだと。神様の残念な気持ちは、いままでもずっと、口で説明できるほど軽々しい者ではないのです。そうして今まではその山のようにつもった残念な気持ちをずっと通り抜けて神様は過ごしてきたのです。しかし今回この残念な気持ちをしっかりと晴らしたことならば、きっとそのあとの将来はどのような病気であっても災難であってもすべて神様がしっかりと働いて救済していくのです。神様がしっかりとこの世界の根本、人類のふるさとである「ぢば」を世界中の人間に教えておいたことならば、それからは、神様はどのような救済も行うのです。ちょっとした言葉だけで全ての者が助かっていくのです。今までにも様々なことを神様は人々に教えてきました。しかし人々は未だにその教えの根本を知らないでいるのです。でかし世界中の人々はこの世界の根本本当の人類の元はじまりの話をしっかりと理解しなければならないのです。

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