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後悔の矛先は一体どこ?

こんにちは。
日中も涼しく感じられる季節になりましたね。
すごく好きです。この気候。
一生これでいいです。エゴイズム全開。

なんだか、令和に入ってから暗いニュースが多いなあ
と感じるのは私だけでしょうか。
いつの時代も、悲しいことに暗いニュースはあるけれど。令和に入ってから、特に。
芸能界の前線で活躍されていた方々が次から次へと不祥事を暴かれては、テレビから消えていく。
事件・事故で、犠牲となった人、巻き込まれた人、加害者となってしまった人が居る。

もちろん素敵なニュースもたくさんありました。

ただ結構、ひとつひとつのニュースがエグイと言いますか、明るいニュースに対して場違い感を感じてしまうほど、衝撃的なものばかりだった気がします。
これぜーんぶ、同じ人間の身の周りで起きた出来事なんですね。はあ、何たることか。

きっと、いや絶対に、詳細な何らかの事情があるはずだし
表に出ている情報と実際の事実が全然違うものだったりもするはず。何が本当か分からないですね。
何かあったんだな、ということくらいしか
私たちオーディエンスには分からない。分かり得ない。

冷たい言い方のように感じますが
第三者でしかない立場の人間が介入していい境界というのは、誰とでも簡単に繋がり、誰でも不特定多数に向けて発信できてしまう時代だからこそ一層、弁えておく必要があると思います。

それで、
これから私がフォーカスするのは、不祥事に関するニュースです。事故や事件、不測の事態によるものに対して言っているわけではありませんのでご了承ください。

不祥事で注目されてしまうのはやはり芸能人ですよね。もうこれは仕方ない。メディアに登場し、大衆に与える影響力が大きいから。
アナウンサーの方もよくご自身の職に対し
「言葉を多くの方に届けるお仕事」と言っている印象があります。
一般人である私が想像するに限界があるので分かったようなことは言えませんが、芸能人でいるのって
常に誰かに見られているという、かなりの激務だと感じます。

薬物所持、不倫、闇営業………
数々の不祥事が発覚するたび、当の本人は謝罪し芸能界から姿を消します。
違約金なんて言葉もよく聞きます。

反省して、でも、やっちまったことは仕方ない。と当の本人は心を入れ替えたくても、世間がそうはさせてくれない。過去のことにしたくても出来ない。過去のことにならない。
炎上、世間からのイメージとのギャップ、タレコミ、週刊誌と、様々な阻害要因が立ちはだかる。

後悔しても時すでに遅し。

不祥事を暴かれ謝罪する人たちは、
当たり前ですが、過去に自分が犯した過ちのことを謝罪しています。
今謝罪していることが、数年前の闇営業の事だったりするわけです。
つまり、暴かれた瞬間、謝罪している瞬間のその人は悪くない。悪いのは、その過ちを犯すに至る判断したその当時、その瞬間のその人なわけですよね。

ちょっと分かりにくいですが、もっと身近な事で言うと
先週課された宿題の期限が今日だったとして、今の今まで全く手を付けていなかった状況だとする。
ここで、今この瞬間の私は悪くないんです。
悪いのは、先週その宿題が課されてから、計画的に前もって手を付けなかった過去の自分なわけです。

あくまで持論なんですが。そう思いませんか?

ここで人間は自己嫌悪に陥る。なぜもっと前にやらなかったんだ、自分。
過去の自分を責めるわけです。いわゆる「後悔」です。
それで、過去の自分がやってこなかった宿題を、今この瞬間の私がやる羽目になる。
過去の自分が借金をしたなら、今この瞬間の私が返済する。過去の自分が罪を犯したなら、今この瞬間の私が償うことになる。

結局、当たり前ですが
尻拭いはいずれ、全部自分でしないといけない羽目になるわけです。
後悔の宛先がない。悪いのは過去の自分だから。
今この瞬間の私がいくら反省したところで、廻ってきたツケは清算しないとならないんですね。何年前のツケでも、です。

今この瞬間の私が絶好調で全部がうまくいっていても、そこで暴かれた瞬間、奈落の底。
相手との信頼関係で成り立っているこの社会で
一発で社会的弱者になりうるわけです。
芸能人は特にこの落ち具合が顕著で分かりやすいので例として挙げましたが、
人間として生きているなら誰しもがこの危険性を孕んでいると思います。

結局、何かを判断するのって
その時その瞬間の自分ですよね。
そこで判断を誤ってしまえばツケが廻ってくる。
矛先のない後悔。過去の自分が今の自分を潰す。こんなに悔しいことありますか。

語気強めでお送りしましたが
後悔って本当に悔しいです。一番悔しい。
だってどうしようもないんだもの。

こう考えていると、
「自分の言動に責任を持ちなさい」
の意味が、重要性が、改めて分かるような気がします。
頭ではきっと誰でも理解できます。一般常識だろ、くらいな感じで。
だけど、これが自分を守る最終手段なんですね。

ほんの軽い気持ちで、出来心で、便乗で、
相手の事情も知らない奴の心ない中身のない言葉が
相手を追い込み、自分の人生を自分で終わらせるという判断に至らしめる。指殺人。
自分が加害者になったと気付くのは犠牲が出てから、な奴らがいる。
誰しもが加害者になりうる。そんな時代。

何事も経験から学ぶとはいえ、
大きすぎる代償を生み出してしまうのが、今という時代ではないでしょうか。

判断を誤ることは誰にでもありますが
下したその判断が果たして本当に適切かどうかを考える時間は忙しくとも捻出すべきです。
その時間が、人間の人間らしい繊細さを維持するためにも重要なものになるのではないか。
心からそう思います。

後悔では何も償えない。誰も救えない。

締め括りは結局決まり文句のようなことしか言えないのが私のまだまだ未熟たる所以ですが
自分の言動に今一度責任を持つ。そのためにまず各々が、考える時間を持つことが本当に大切だと思うのです。

そんなわけで 地方大学生の一意見に過ぎませんが
今日も、この記事に目を通して頂いたことに心から感謝します。

私も、不特定多数の相手に発信できるツールを利用する者として。自分の考え方も大切にしつつも、
見られ方、受け取られ方というものを
知名度に関わらず、常に念頭においておくよう一層意識します。


それでは。
大切な全ての人たちが今日も幸せでありますように。
ありがとうございました。

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