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Give and Take

よくコミュニティへの参加は「ギブ・アンド・テイク(Give and Take)の精神で」と紹介されることが多いですが、コミュニティとうまく付き合っているユーザーやベンダーの社員は、コミュニティから何かを得ること、コミュニティに何かをさせることを目的としているテイカーはほとんどいなく、みなさん、コミュニティに対して自分が持っている何かを提供しようとするギバーであることが多いです。

以前の投稿でコミュニティへの理解が早い人と、そうでない人がいる、という話を書いたことがありますが、コミュニティへの理解について話が噛み合わない人のほとんどは、ユーザーコミュニティの説明を聞いて「それでどんなメリットがあるのか?」を明確にしたい人だと感じています。売上または案件の件数であったり、効率指標のROIであったり、いずれにせよ、何かを提供したとき見返りとしての結果や、この見返りを得るためには何を提供しなければならないか、いくらかかるかを明確にしたいタイプです。

このあたりの話をコミュニティの文脈でまとめているのが、ペンシルバニア大学の教授で、グーグルやゴールドマンサックスでコンサルティングも手掛けるアダム グラント教授が執筆した「GIVE & TAKE 与える人 こそ成功する時代」です。

この本ではギバー GIVER(他人に惜しみなく与える人)とテイカー TAKER(自分の利益を優先する人)とマッチャー MATCHER(損得バランスをとる人)のさまざまなケースを紹介して、モデル化を試みています。サブタイトルの「与える人こそが成功する時代」というのは自分はとても違和感を感じていて、本の中で「最後に成功する人」はもちろん本の文脈からGIVERなのですが、TAKERに搾取され、最後まで成功しない人も、またGIVERである、という例を出しているのです。

単純にGIVERが理想のロールモデルである、というわけではないようです。

この話、日本で育った人にとって、別の文脈でGIVERが成功する秘訣という話を聞いているかもしれません。「自利利他」って聞いたことありませんか?

もともとは仏教用語で、解釈も諸説あるのですが、以下、税理士・公認会計士の団体であるTKC全国会の初代会長の飯塚氏の話がよく引用されていると思います。

 大乗仏教の経論には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で私は、「自利とは利他をいう」(最澄伝教大師伝)と解するのが最も正しいと信ずる。
 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している。
 同様に「自利とは利他をいう」とは、「利他」のまっただ中で「自利」を覚知すること、すなわち「自利即利他」の意味である。他の説のごとく「自利と、利他と」といった並列の関係ではない。
 そう解すれば自利の「自」は、単に想念としての自己を指すものではないことが分かるだろう。それは己の主体、すなわち主人公である。
 また、利他の「他」もただ他者の意ではない。己の五体はもちろん、眼耳鼻舌身意の「意」さえ含む一切の客体をいう。
 世のため人のため、つまり会計人なら、職員や関与先、社会のために精進努力の生活に徹すること、それがそのまま自利すなわち本当の自分の喜びであり幸福なのだ。
 そのような心境に立ち至り、かかる本物の人物となって社会と大衆に奉仕することができれば、人は心からの生き甲斐を感じるはずである。
(『TKC会報』1998年新年号)

GIVE & TAKE というワードの危ういところは、何かを得るのであれば与えなければならない、という「バランス」に重きをおきそうになることだと感じています。自利利他の精神として「他の人のためになることが、自分のためでもある」ということが、実はこの書籍でいいたいことであり、仏教用語や東洋思想から離れたところで考察すると、書籍のような書き方になるのではないか、と思います。

コミュニティの説明が難しいなぁ、と思う相手に対しては「自利利他」で感触をつかんで、東洋思想や仏教の教えから離れたところにいるのであれば「GIVE & TAKE」で西洋的にファクトベースで説明する、という方法が良いかもしれません。

JAWS-UGはグローバルのAWSユーザーグループの中で他の国の人たちが羨むほど勉強会の回数や参加者数が多いのですが、この「自利利他」の精神の説明を改めて受けることなく(実践しているかどうかは別として)理解できる人が多いのも、ユーザーコミュニティ活動が活発な理由のひとつなのでしょう。

1781文字 60分

John Hain による Pixabay からの画像をお借りしました

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