自己紹介と生い立ち、今後の展望

はじめまして。

スナフキンと申します。現在は皮膚科医として勤務していますが、近い将来に海外の公衆衛生大学院に留学して臨床研究を学びたいと考えており、あわよくば医師以外へのキャリアチェンジも狙っています。

noteでは皮膚診療のエビデンスや、海外の公衆衛生大学院への準備について投稿させていただければと思います。

まずは生い立ちを書いていきます。


東京に生まれ、親に言われるまま受験戦争に揉まれ、医学部に入学。

両親は医療者ではなく、医学部を受験した理由は「人と話すのが好き」「人から直接感謝されるのが嬉しい」というポジティブなものもありますが、それより「理系だけど研究者になりたくないし、安定した職業がいい」といった消去法的な意味合いが大きかったように思います。

高校までは「自分の成績が上がって周りからの評価が変わったり、親が喜んでくれるのがうれしい」という快感が勉強のモチベーションになっていました。高校までは皆学業という意味では同じ一本の道を走っていて、その道で上位を目指すことだけを考えていればよかったのです。

ところが大学に入り、社会人が近づくにつれ、道は無限大にあって、そこに優劣はつけられない、という事実に気づき、「自分が何をやりたいのか」を考えなければならなくなりました。

そこで段々と「自分はある道を究めてトップに立ちたいのではなく、色々な道を寄り道したいのだ」と気づきました。と、こういう書き方をすれば聞こえは良いでしょうが、要は飽き性であり、悪く言えばADHD(注意欠如多動症)に近いのだと思います。

なので、運動部で部長を務めながら、4か国(アメリカ、カナダ、イギリス、タイ)に留学したり、医療系ビジネスサークルに所属したりして、色々な経験をしました。

そして医学部を6年で卒業し、医師免許を取得し、2年間の初期研修が始まりました。1-2カ月で色々な診療科をローテートしていくため、ADHDもどきの自分にはたまらなく楽しい2年間でしたが、その中でも国立保健医療科学院での2カ月の公衆衛生の研修は最高の経験でした。

公衆衛生というと、今話題になっているウイルス関連、保健所、厚生労働省、WHOなどが連想され、派手な臨床医学とは対照的なイメージがありましたが、その道で活躍されている先生方はとても話が上手く、キャリアも多岐に渡っており、自分の「あっちいったりこっちいったりする」理想のキャリアに近いと感じました(ある先生は自分のキャリアをADHD型キャリアとおっしゃっていて、これだ!と)。

ここで公衆衛生を志しました。正確には、公衆衛生を志した気でいました。


一方臨床医学では、専門を皮膚科に選択しました。その理由についてはまた今後投稿したいと思います。

ただ、日本では皮膚科で公衆衛生の道に進む人が多くなく、今までいたことあるのか?というレベルです。

こういう場合に「ブルーオーシャンだ、チャンス!」と捉えるか、「需要がないんだな」と捉えるかは難しいところです。ただ、世界を見渡せば皮膚疾患の臨床研究や疫学研究をしている研究者は散見されるため、ある程度需要はあると信じ、自分は皮膚疾患×公衆衛生の道に飛び込もうとしているわけです。


ただ、です。

改めてよく考えてみると、そもそも「研究者になりたくない」から医者になった訳ですし、飽き性かつADHDなので公衆衛生の道は数年で途切れるでしょう。私はきっと「公衆衛生」が好きなのではなく「ADHD型キャリア」にあこがれているだけなのです。

では、それでもなぜ、高い高い授業料を払い、七面倒くさい諸々の準備をし、貴重な1年という時間と、1年で稼げた給料を手放し、続けないことが分かっている公衆衛生の道の出発点である海外の公衆衛生大学院に行くのか。


自分なりには2つあります。

最終学歴の見栄えがよくなり、キャリアチェンジがしやすくなる。日本ではある程度知名度があっても世界の大学ランキングではまったく上位に入らない大学から、トップ校になるため、大学院卒業後に外資系企業などに就職も狙えると考えます(たぶん就職しても数年でやめて医業に戻りますが)。さらに、仮に今後開業などマーケティングを要するビジネスを始める際に、学歴は大きな武器になると考えています。

なんか分からないけど予想外の道を開くかもしれない。今公衆衛生大学院に行ったら「現在の皮膚科医を継続する」というキャリアの選択肢に加え、「公衆衛生の研究者」「サラリーマン」などのキャリアの選択肢が増える、というのは今の視座からわかることです。今私の知っていることなんかほんのちっぽけで、この狭い視野からは世界のほんの一部しか見えていないのでしょう。だから分からないけどやるのです。もちろん留学しても何のserendipityもなく終わるかもしれませんが、日本で同じ仕事をし続けるよりは可能性が広がるのは間違いないでしょう。


以上になります。長文を読んでいただいてありがとうございました。これを(有難くも)最後まで読んでくださった方は、私のことを「芯の通っていない人間」と思うかもしれないですが、私は「芯」とか「軸」とかいうかっこ良さを捨てて、他人に何を言われようが一貫性のない人生を歩んでいきたいと思っています。

終わりに、スナフキンという名前は私がスナフキンに似ているということで友人がつけてくれたニックネームです。飽き性なのでいつまで続くかわかりませんが、今後とも投稿して参りますので、よろしくお願いいたします。

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