来年はいい年になれ いい年の定義は猫が減らないことだ

2020年は、5匹の猫が減ってしまった。嘘みたいだ。

どの猫も、持病があったり、高齢だったりで、「いつその時が来ても仕方ない」と思っていた猫だったけれど、こんなに同じ年に逝かなくてもいいのに。ただ「年」なんていう単位も、人間が便宜的に使っているだけの区切りなので、同じ年に5匹減ってしまった、と嘆くのも、おかしなことなのかもしれない、とも思う……というか、そう強がっていないと、心が持たないのだ。

2月22日の猫の日に、当時我が家で最年長だった「くう」が亡くなった。19歳。この日は、今年6/24に上梓した『猫のいる家に帰りたい』(辰巳出版)の情報公開解禁日だった。

ちょっとオカルトめいたことを書くけれど、1月前半にくうがぐっと老け込んだときに、どういうわけか脳みそに「ああ、くうは単行本の情報解禁日である猫の日に亡くなるんだろうな」という考えが流れ込んできた。不謹慎なんだけど、妙な確信があった。だから、あまり驚きもせず、悲しいけれど、苦しくはなかった。前日までご飯を食べて、ほとんど苦しまず、絶対に忘れることのできない猫の日に亡くなったので、「見事だ」と思った。

その後3月に持病が悪化したちょう(推定8歳)が、4月にリンパ腫のがんで闘病していたわらび(14歳)が立て続けに亡くなって、悪夢のようだった。3月4月はほぼ毎日のように動物病院に行っていた。病院に行けるうちはまだいいのだ。できることがあるうちは。末期には、何もできなくなる。それが、とにかくつらい。

そんな中で、初めての商業出版となる単行本が6月に発売された。一言で言うと「救われた」。会社勤めをしている頃、仕事が辛くて心のバランスを崩しまくった僕が、こんなに仕事に支えられるとは。単行本があったから正気を保てた、と言ってもいい。

ありがたいことに、単行本は2刷、3刷と重版できて、少し落ち着いた頃。

猫エイズと猫白血病どちらも陽性で、僕の仕事部屋で隔離して暮らしていたぼう(推定8歳)の調子がガクンと悪くなった。ずっと通院が必要で、2週に一度程度だった通院が、週に一度、5日に一度、週に二度、とだんだん間隔が狭くなっていって、最終盤は全然食べられなくなってしまい、点滴と投薬のために毎日通院していたけれど、12月の半ばに力尽きてしまった。

保護したときからボロボロで、多分助からないから、と看取るだけのつもりで保護したのに、そこから体重も倍以上に増えて3年も一緒に過ごしてくれたのだから、よく頑張ってくれたのだ。

「今年はひどい年だ」と呆然としていたら、今度はくう亡き後、最年長のしぐれ(18歳10ヶ月)があっという間に逝ってしまった。クリスマスイブの夜に、だ。しぐれは、いつもマイペースで、天真爛漫で、まったく空気を読まない猫だったから、イブの夜に亡くなるのも、ちょっとしぐれらしい、と思った。

《いるだけで灯りみたいな猫だった 黄色い花を手向けてあげる》

《マイペースで空気を読めない猫らしくきちんとイブのよるに召される》

《クリスマスイブを選んで逝ったのだ 天使のような猫だったから》

当日まで自分でトイレにも行って、少しごはんも口にして、ほとんど苦しむこともなかった。ずっと闘病をしていたちょうやぼう、がんで苦しそうだったわらびを見てきたので、最期としては悪くなかったのかも、と無理やり思い込んでいる。それにしても、ただただうつろだ。

いま、我が家の最年長は「きり」(14歳)だ。次が「てん」(9歳)、最年少が「ふく」(8歳)。たった3匹になってしまった。(「えん」(0歳)は里親さん募集予定)

減ってしまったことが理由というわけでもないのだけれど、もう高齢であること、かなり耳が遠くなっていること、サンルームを独り占めしてしまうこと、他の外猫とあまり折り合いがよくないこと、僕にとてもなついていること……などを鑑みて、外猫のボス的存在「いわ」を家に入れることにした。現在、家猫修行2日めだけれど、今のところ騒いだり、外に出たがったり、僕らを困らせるようなことは何もしない。居心地よさそうに過ごしてくれている。

猫は、わからない。

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本当は、こんなこと書かなくてもいいのだろうけれど、聞かれてから答えるのも辛いので、文章にしました。

そんなそんな。