今夜は孤独について考える
タカーシーさんから課金レベルのお返事が来ました。
びっくりです。
私は第一回目のタカーシーさんの日記を読んで、次の日の朝、自分の日記を書いて投稿しました。
すると、何とその日のうちにタカーシーさんからのnoteが投稿されました。
なに⁉️ちょっと!交換日記ってゆーてるのにから。
そっか、これはSNS上の交換だからね。読んですぐその日のうちに書けるわけよ。リアル交換日記だったらこうはいかん。
書いて次の日渡して、早くともその次の日に返ってくるでしょ。
もうね、感激でね、これはまさに「愛」でしょ。愛しかないでしょ。
お忙しいと思いますよ、実際。
だってこれ、奥様の病院に付き添った先で、待合の途中に私の日記を読んで、その場でソッコー書いてくださって。iQOSを燻らせながら。愛についてのタカーシーさんの見識を惜しげもなく。待合の椅子に腰掛けて?タバコふかして?
・・・カッコ良すぎでしょ。
哲学者タカーシー氏の返信日記、正直申しまして半分ぐらいは理解できました。
これはもう私の頭のパープリンさを露呈することには成功だったと言えましょう。しかしながら肝心の「愛について」はハッキリ言ってモヤモヤしたままです。
ちょうど、昨日注文していた本が届きましてね。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を翻訳された鈴木晶先生の「フロムに学ぶ「愛する」ための心理学」という新書です。
ナイスタイミングでした。この本をAmazonで注文したのは5日ほど前だったんですが、その時はまさかタカーシーさんとこうして交換日記を始めようなどとは全く思ってもいなかったのです。それがあれよあれよという間にこういう運びとなり、そろそろ届くかなぁと思いながら待っている本のことが頭をよぎって、タカーシーさんに「愛とはなんぞや」などと不躾な質問をしてしまったわけです。
これも何かお導きなのでしょうか。昨日のタカーシーさんの返信noteを読んでからこの本を読み始め、今半分ほどのところまできましたが、タカーシーさんがおっしゃっていたことがとてもよくわかりました。
感想は最後まで読んでからと思いますが、フロムのいう「愛とは技術である」という意味もようやく理解できてきました。
私たち人間は自然から引き剥がされたことによって「本能が壊れてしまった」のですね。動物と本質的に違うところ。人間は自由と引き換えにたくさんの不自由を抱えてしまった気がします。
孤独を感じるのも人間ならではの感情だと知りました。
動物は本能で生きているから自然と一体化し、荒野で孤独に生きていても寂しいとは感じていない。
反対に人間は一人だと自分が孤独であると「意識」している。
その「孤独」や「孤立」から逃れるために人を愛するようになった、と。
なんて自分本位なのでしょう。自分のことしか考えていない。
孤独の寂しさや孤立の辛さに耐えられなくなった人間は、そこから脱出するために人とつるんだりお祭り騒ぎをしたり一つ所に集まって同調したりして孤独や孤立から逃れようとする。何だか滑稽ですね。
うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ。
そんな話をどこかで聞いたことがありますが、あれは嘘だったんですか?
人間と生活を共にするペットとしての動物は、人間の暮らしに同調することで本能を無くしてしまったからなのでしょうか?
しかし「孤独」って、そんなに悪いものだとは思わないんですよね、私は。
それは私が2回の結婚離婚を経験して、半世紀以上も長く生きてきたからなのかもしれませんが。
孤独だからこそ味わえる、人間の感情というのはとても尊いものだと思っています。孤独だからこそ味わえること。あぁ、自分は今、とても孤独だなと感じることで、人に対して想いを馳せれることってたくさんあります。
元気でいるだろうか、寂しくないだろうか、誰かに話を聞いて欲しいんじゃないかな?
そんな感情はたくさんの孤独を経験した今だからこそ、持つことができていると思っています。そしてそれは人としてよかったなと思うことができています。
タカーシーさんは「孤独」についてどんな感情を持っていらっしゃいますか?
フロムのいう孤独についても、鈴木先生の著書を読み終えたらもう少しハッキリとした答えが得られるかなと期待しています。
それでは続きを読みますね。
また明日。
*下のマガジンでアーカイブが読めます。よろしければ。
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