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赤ちゃんが選んでくれたことに恥じない自分になる

 思うことがあったので。
 コメントなどの代わりに、昨年の私の経験を記事として書かせていただこうと思います。
 かなりとりとめがなく、ご不快な思いをさせてしまうかもしれません。

 恐縮ですが、読んでいても大丈夫な方だけ続きを御覧ください。

 ***
 
 昨年の2月に、妊娠判定をもらい、3月に稽留流産の診断をされ、流産手術を行いました。

 妊娠の判定と診断をもらったのは、2月。
 その前の年の12月、不妊治療と仕事(主に同僚との関わり方)に悩み、仕事を辞める話を出し。
 辞める前の有給休暇をどのように消化するか、後任への引き継ぎをどのようにするかの調整をしだした時でした。
 ストレスに感じていたことから解放されると思ったところで、良い方向に転がったのかもしれません。
 
 妊娠検査薬の陽性反応が信じられなくて、判定後のさらに1週間後にもう一度使用したりとかは、今となっては笑い話です。
 (不妊治療が長いと、妊娠検査薬は最初から陰性反応しか出ないんじゃないだろうかとすら思ってしまうものです)

 病院で、胎嚢の写真をもらい。
 その1週間後、心拍確認ができ。
 初めて赤ちゃんの心臓の音を聞いた時には、ドキドキが止まりませんでした。
 これから、もっとこの音を聞いて、大きくなることを感じていけるといいと、願っていました。

 最初の心拍確認ができて、次の病院はその2週間後。
 3月頭までは不妊外来に通い経過を見て、その後は産科へ移動になるとの話をいただきました。

 つわりの程度は軽いものだったと思います。
 気持ち悪いと感じることはほとんどありませんでした。

 嬉しかったのと同時に、不妊治療の時とは違う、様々なことに頭を悩ませはじめました。
 
 会社に行く前に行っていた家事(簡単な掃除)が辛くて。
 通勤のモノレールがとてもとても苦痛でした。
 沖縄のモノレールは始発駅から終着駅までせいぜい30分程度。
 私の住んでいるところから職場までは10分もかからないくらいです。
 それでも、朝の通勤時間は満員となり、お腹を圧迫されないようにかばいながら過ごす時間は恐怖でした。

 道を歩いていて、私のお腹くらいまでの身長の子供が前から走ってくるのを見るとぶつからないかとヒヤヒヤしました。
 外に出るのが怖くなったのも事実ありました。

 仕事についても、悩み始めました。
 不妊治療に専念するために辞めることを考え、話をすすめていたものの。
 子供を授かることができたなら、続けた方が良いかもしれないとも考え始めました。
 安定期になるまでは周囲に話をするのは控えようとも思ったのですが、退職撤回するのなら、上司には話をしなければなりません。
 上司に相談し、ひとまずは退職を撤回する方向ですすめてもらうことにしました。

 そんな調整をしている最中、少量の出血を確認。
 病院に相談をするも、少量であれば心配ないので様子を見るようにと言われ、会社を休んで体調を見ながら病院までの日を待ち続け。

 ようやく訪れた診察の日である、2月27日。
 心拍がとても弱くなっていることを告げられました。
 生きていて数日とのこと。数日後に再度病院に訪れるようにと言われました。

 覚悟を決めながら、心のどこかで奇跡を願ったけれど、そんなことはなく。
 3月2日、心拍停止を告げられました。

 診断名は「稽留流産」。
 お腹の中に赤ちゃんは居るけれど、死んでしまっている状態の流産です。

 稽留流産の場合、自然に流産するのを待つか、流産手術を行うかの二択になります。

 私の場合は、血液型が「Rh- AB」であるため、万一自然に流産した場合の出血の状態によっては命にも関わることになるため、流産手術を行うことになりました。

 流産手術は3月6日。
 流産原因をつきとめるための染色体検査をするかどうかの話が出たため、検査に出すことに決めました。

 検査結果が出たのは4月。
 不妊治療を継続するため、専念するために退職撤回を取り下げ、3月末に退職した後のことです。

 流産の原因は、染色体異常。
 トミソリー15(15番目の染色体の数が3本という異常になっていたため)でした。
 通常、遺伝子は各番号に2本ずつが正常なのですが、異常が起こるとそれが1本や3本になり、その影響で流産になったり障害のある子供が生まれることになるのだそうです。
(ネットでの検索結果の情報によれば、トミソリー15の遺伝子の子供はほぼ10週以内に流産になるようです)

 3月・4月は、手術による身体の負荷や、子宮収縮(赤ちゃんが居なくなった後、子宮が元の大きさに戻ろうとする)の痛みなどの方が大きくて心がまったくついていっていなかったのですが。
 次の月あたりから、じわりじわりと心の痛みの方が大きくなり、気持ちが行ったり来たりしていました。

 染色体検査でわかることは、染色体異常有無もですが、性別もわかるのです。
 私の赤ちゃんは、女の子でした。
 生まれてこなかったけれど、この子には名前をつけたいと思い、旦那と相談して「咲良」と名付けました。
 エコー写真も、染色体検査結果の写真も、全部大切に手元に置いています。

 そして。
 その写真ともに。5月頃に、書店で手にとったこの本の言葉が心に刺さり、立ち読みで泣いてしまったので、購入して、写真と一緒に手元に置いています。

 印象的な箇所はたくさんあるのですが、抜粋については、この部分のみを。

 赤ちゃんは、お母さんのおなかに宿れたこと、ただそれだけで、うれしくてたまらないのです。


 ただ数週間だけで。元気に産んであげられなくて。
 それでも、私をお母さんとして選んで来てくれたこと。それが嬉しくてたまらないのだというのなら。
 私は、あなたがお母さんとして選んでくれたことに恥じない人間になろう。
 この本を読んで、そう、思いました。

 それでも、今年の10月頃などは、「元気に育っていたら今頃生まれてたかな」などと考えて、複雑な気持ちになることだってありました。
 不妊治療もまだ続いています。
 私の血液型の関係もあり、次に授かるだろう赤ちゃんは、血液型不適合の場合、対処も必要になってきますが。
 もう一度、体外受精に挑戦し、採卵や未受精含め、結果が駄目だった場合は次の道を進もうと決めている現在ですが。

 それでも、やっぱり変わらないのは、私をお母さんにしてくれた咲良への感謝です。

 ***

 自分の経験を踏まえて、流産を経験された方へ。
 直後の場合は、身体の回復が追いつかないと思います。どうかどうか、ご自身の体を一番に考えてくださいね。
 そして。
 折りに触れ、気持ちが行ったり来たりすることも多々あると思います。
 その時は、我慢せずに、ちゃんと泣いてくださいね。
 心が辛い時は身体も辛くなります。
 どうかどうか、ご自愛下さいね。

 この先進む道がどうあろうとも。
 その時感じた気持ちを、大切にしてくださいね。

 もちろん私も。
 あの時の気持ちを大切に、この先をちゃんと生きて歩いていこうと思います。

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