恋愛でもたらされる癒しと、本当に恋しているかどうかの見分け方

noteを始めてから、この分野についてもっと書きたいと私が思っているものの1つが、恋愛だ。
恋愛と限定せずとも、「人と人との関わり」全般に面白さを感じるのだが、特に恋愛は人間関係で体験する様々な要素のギュッと濃い「濃縮版」として例に挙げることができるだろう。

※この記事は最後まで無料公開しています。現時点の傾向として、有料記事ではよりスピリチュアルな観点から語る内容が多めです。

恋愛と愛の違いや定義は……となると話が複雑になるので、ここではまず、あなたなりに恋愛のことを思い浮かべてもらいたい。
もし、あなたが恋愛に興味がない人でも、それはかまわない。
恋愛「しなければならない」なんてことは全くない。自然にしていて、恋愛に気持ちが向かなかったり、重きが置かれないのなら、それが個性だということだ。あなた自身バランスが取れたあり方でいて、そこに恋愛という要素が入ってこないなら、それでいいのだ。恋愛「しなければならない」なんて考えて、無理をする必要はないからね。

それをふまえて、私自身について言えば、恋愛はしてきた方だ。
元々人が好きだし、未婚なのでその機会も多かった。

……と、ここで結婚について軽くふれておこう。
ご存知の通り、結婚というのは人間が定めた制度だ。家族という「チーム」を運営するにあたって都合がいいように考えられた、様々なルールが法律で定められている。もちろん、その内容は国や文化によって異なる。

ルールというのは、生活を便利にするために作られたはずだ。
ルールはあなたの心までもを縛るものじゃない。
つまり本来は、ルールによって私たちはお互いに恩恵を受けることが目的なのである。ルールに「使われる」のではなく、ルールが使う人に奉仕する。だからこそ、私たちは特定のルールに「合意」して暮らすわけだ。

すると当然、ルールというのは時代の移り変わりとともに見直される必要がある。ルールを用いる人々のあり方やニーズによって、変化しなければならない。

私は正直、家族制度は限界に差しかかっていると感じている。人それぞれの好みの形、暮らし方はあるものの、現状の枠組みから人々がはみ出し始めていることは明らかだ。枠組み自体を改めることで、現代あらわれてきている多くの問題が解決されると私は思っている。たとえば、今のような小単位の「家族」ではなく、より大きなチームとして子育てを行えたらどうだろう。この話題だけで長く語れるテーマになってしまうのでこれ以上は控えるが、まず形や制度が変わる前に私たちの意識変化が必要で、それは今、進行しているのだ。

恋愛と結婚、結婚後の恋愛について

話を恋愛に戻すと、私自身は未婚でも、既婚者の友人、知人から恋愛の話を聞くことはよくある。誰もが共通して思っていることは、「結婚した後も、誰かを好きになり、恋愛に発展することはある」ということだ。これまでも人生の中で色々な人を好きになってきたのだから、それが自然だろう。
ただ、実際に行動するかどうかという点では事情が違う。すでに結婚という契約のもと、パートナー(夫や妻)と、「合意」を結んでいるからだ。

先に書いた通り、法律で定められたルール通りではなくても、各家庭、各人同士が合意できていればどんな形も実現し得る。他者からどう見えようと、どう思われようと、当人たちが調和していればそれでいいのである。
でも、もし、誰かが誰かに秘密を作って、コミュニケーションに嘘を交えて何らかの関係を維持するのなら、当然その分の歪みが生じる。
これは恋愛や夫婦間に限らず、すべての人間関係でそうだ。

私は色々な恋をジャッジするつもりは一切ない。当人にしかわからない様々な気持ちや事情があるものである。
ただ伝えたいのは、あなたが他者に不誠実であるとき、それは本当はあなた自身の一部に背いているということなのだ。自分自身を苦しめ、不調和を起こしてしまう。
だから、恋愛の「形」自体に善し悪しや問題があるのじゃなくて、一人一人と「どう関わっているか」に本質があると思い出してもらいたい。

条件優位で相手を決めない

先に述べたように、家族制度そのものが変化していくだろうと予想しているとはいえ、当面はまだ、これまで通りの結婚という形を採用する人は多いと思う。それが合っている人もいるだろうし、私もこの先、そうする可能性はある。
すでに結婚している人たちの話は興味深く聞いていて、そこから学ぶことも多いのだけど、気づいたこととして「結婚と恋愛は別(結婚相手は恋愛と別の基準で選ぶべき)」という考えがある。そして私は、それに賛成しない。

そのような考えを持っている人の中にも、色々な価値観があるだろうから、一概にまとめて結論はできないけれども、私の経験上、結婚と恋愛に境目を設けることが歪みをもたらすように思えてならない。
時代が時代で、どうしても定められた人と結婚しなければならなかった場合は別として、自分で選べるなら、ずっと一緒にいたいと感じる人だから結婚した、その人が好きだから結婚した、それが自然だと思う。

これからの人生の夫として、妻として、適している人だ、あるいは子どもを持ちたい人は、子どもの父親、母親としてふさわしい相手だ――そんな風に相手を選ぶ場合があるようだ。
「家庭のメンバーとして、最適です」
「いいお父さん(お母さん)になると思います」
あなたがただただ相手を好きになった「その上で」、そんな風に感じたなら別にいいが、先にその条件が来てしまうと問題なのだ。そう見えた「一面」は、一面であって全てではないからだ。

私の周囲では、結婚後に配偶者以外の誰かと恋愛し行動にも移している人の百%が、結婚相手を「結婚にふさわしい人」と感じて選んだケースだった。振り返ると、配偶者に対し、「恋愛として惚れたというのとは違ってた」と、当人たちは言う。いわゆる「恋愛としてのおつきあい期間」は経ているのだが、すでに結婚を意識していたので、夫や妻として、または将来の子どもの父や母として都合良かった、ちょうどいいと思った、それが一番の動機だったというのだ。
その場合、結婚後も、その(期待した)役割を相手は果たしているのだが、相手に対する「惹かれる思い」が持続できず、恋に走ってしまう。他の人に目が向いてしまう。そんな話を聞くことがよくあった。

一方で、結婚するかしないかに関わらず、まず相手に惚れ抜いた結果として結婚した人は、結婚後に起こる夫婦間の色々な出来事の乗り越え方が違うな、と感じる。
その人たちとて、恋愛初期の思いを持ち続けているとは限らない。関係性は変化するし、思いのあり方も変わるだろう。それでも、だ。

両者にとって、結婚後に起きるトラブルの数、乗り越える事象のあるなしに違いがあるわけではないのだ。結婚は決して「ゴール」ではないから。
ただ、それらに直面したときの態度や解決の仕方に違いが出ている。

あなたを惹きつける魅力が、相手の特定の条件にではなく、相手そのものにあるのなら、それは様々な変化を経ても残り続けるだろう。
この点が私の言いたいことだ。

本当に恋愛しているのかどうか、これでわかる

つまり、当人がそのときは「恋愛」だと思っていても、条件や状況に心動かされていて、本当に相手自身に惚れているわけではないということがある。
それは、◆「白く光って見える人。運命の人と、純粋な恋愛について」の中でも述べた。

私も幾度か、その経験がある。そういうとき、ああ、間違えてしまった!と後から思うのだが、たぶん相手も同じように思ったことだろう。
その最中は、一生懸命自分を「鼓舞」するような気分になるのだ。進行している恋愛らしきものを盛り上げようとする。しかし、そんなときこそ注意が必要だ。

普通なら楽しいであろうシチュエーションがしっくり来ず、何となく気分が下がったり、この先のことを考えると暗澹としたり、躊躇が起こる。
相手やこの関係性の中での「いいところ」に注目し、ポジティブになろうと努める。でも、本当にワクワクしているかというと、していない。
会っている最中は楽しげに過ごしているのに、帰宅するとぐったりし、自分自身に戻るまでに時間がかかるような疲労がある。

何よりもわかりやすいのは「エネルギー」だ。
エネルギーと言われるとぴんとこない人は、「感覚」に注意するといい。

自分の周囲の空気がふわっと広がり、相手と交流するような感覚。体が楽になり、心は弾むようで、よろこびがあふれてくる。物理的にも相手の近くに寄り添ったり、ふれたりしたくなる。
これは恋をしているとき。
実際に、相手とのオーラが混じり合って融合しているのを、あなたは心地よく感じているのだ。

一方で、近くにいると体が固くなったり、居心地が悪かったり、みぞおちのあたりがそわそわと不快になったり、なぜか身を引いて距離を作りたくなったりするのは、相手を好きではないとき。
表面上、好感を持っていると錯覚していたとしても、何かが合っていないとあなたに告げている。相手のオーラと混じり合うことが、気持ちのいい体験ではないのだ。
これはあなたか相手か、どちらかのエネルギーが「悪い」と言いたいのではない。エネルギーに良い・悪いはない。
出会って関わっている時点で、お互いに引っかかり合うフックがあったわけだが、それを以後「どうしたいか」は選べる。あなたに望ましい感覚でないとわかったなら、気づいた時点で素直に自分の感覚に従い、離れることだ。

物理的な、五官で捉えられる違和感として表れることもある。外見や匂い、声、触れたときどう感じるか、など。あなたの思い描いてきた理想に正確に沿うかどうかではなく、「心地よいか否か」に注意する。シンプルだ。

これについて、よいお手本になるのは動物たちだろう。彼らはエネルギーにダイレクトに反応する。人間と違って、嘘をつく理由がないからだ。

本当の恋は癒しになる

本当に好きな人を見つけたとき、恋は癒しだ。
その人の存在があるだけで、勇気が出てくる。元気になる。
出会えたことに感謝する。
会えても会えなくても、その人に幸せでいてほしいし、その人が生きているこの星を愛さずにはいられない。

私は過去の恋愛の相手に対して、元気でね、Good luck! とは思うものの興味が一切なくなるのだが、ごくわずかな例外があって、相手の存在そのものに恋した場合、その人と出会えたことがいつまでも心に幸福をくれた。
その人が今どこにいて、どんな風に暮らしているかを実際に見ていなくても、何か幸せな「応援のエネルギー」が行き来している感覚が続くのだ。
その人たちは物理的にも海外など遠いところにいるので、より一層「地球のどこかで」互いに繋がっているという不思議な感じがする。

本当に恋したときは、その人と過ごした時間そのものが、大切な宝物として胸に残る。たとえば結婚などのわかりやすい「結末」が形になったわけではなくとも、心の中のあったかいスポットとして、生き続けるのだ。

それはもはや、「愛」と言っていいのだろうし、そういった恋愛を経験すると、だんだん恋することが愛と直結してくる。
私は冒頭に書いた通り恋愛をよくする方で(プライベートの活動は積極的に広げる方ではないのに、ちゃんと出会うんだよね)、今も恋しているが、昔味わった「エゴの思い込んでいる恋愛」がどんどん薄まっていっているのを感じる。
所有欲や独占欲のようなもの、相手にこうしてほしいとかああしてほしいとかの注文的な気持ち、二人の関係をこんな形にしたいという望み、それらがずいぶんと生じなくなってくるのだ。

ぼんぼりのような光と光があって、それが私たちひとりひとりの光。今は、その人と私の光に、ほのかに共鳴が起きた。目の前にあるその瞬間だけで、とてもありがたい。

★この記事の続編にあたるのは、こちら
「恋愛は、真の愛を思い出す呼び声」

★恋愛をスピリチュアルに眺めたい方に、こちらもおすすめ
「とってもシンプルな恋愛の法則」


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

15
スピリチュアルカウンセラー。ブログは https://beats-and-love.hatenablog.com