Extremely Ahead【取捨選択の実り】

取捨選択を繰り返して片付いたスペースに、ふさわしいものが入ってくる。

この1年ほどぎゅっと濃密になっていた「仕分け」の流れに乗って、あなたが自分の心にふさわしい選択を実行してきたのなら、今頃「Extremely aheadな感覚」でいるかもしれない。
Extremely ahead――変な英語だが、インスピレーションが伝えてきた語で、極めて前進し先へ行っている感覚、それにスピードアップや時短のイメージも含まれている。
ただしこれは、誰かや何かとの比較で「先を行っている」という意味ではなく、あくまで、あなたの内的な進歩や人生の進度においての「先」のこと。

ぽん、と現れたこの言葉とともに、言葉という「形」が内包している「形のない印象・情報」を私は受け取った。
極めて急展開が起きますよ、という知らせのように、その準備段階が済んだことを祝っているように、感じられた。

「大局的な視点と、流れを読むこと」の記事でお伝えした通り、予知というものはない。だが、私とエネルギー的に共鳴している人ならば、これから書く内容の具体的状況こそ違っていても、あなた自身と「起きていることの本質」を照らし合わせながら、読んでいただけるだろう。

人生のお片付け 【長年抱いていたのに、要らなかったもの!?】

わりと最近になって、「もしかしてこれ、要らなかったかー」と気づいて、愕然とした物事がある。
これまで長年、自分には必要だと信じて、いつもどこかで「いつかの実現」を意識していたのに、「違うんじゃない?」と気づいてしまったもの。

そうと自覚したならば、これまで漠然と思い描いてきた自分の人生像が引っくり返って、
「じゃ、私、どこ行くの?」
と、予想外の航路があることに驚く
羽目になるもの。

私の場合、「海外移住願望」がそれだ。
え? あなた海外に移住したかったの? と尋ねられれば、
「何が何でもそうしたいとは思っていない割に、常にそのチョイスが心の中にあり続けた」
と、説明したい。

それは、これまでわりと海外に縁のあった自分の人生を「経験したせいで」そうなったのではなく、生来ぼんやりと私の中にあった。
幼少期からだが、両親の影響などでは全くない。
独自に、ひとりでに、私の目は海外へ向いていたのだ。
逆に、そういう私だったから、海外との縁をその後色々と形にしていったのだろう(具体的行動のスタートは、あまり思い入れを持たずに流れで決めた高校留学だった)。

とはいえ、海外はあちこちに行ってます! という人ほど多くの場所に私は行ってないし、訪れた中で「住みたい」と思えたところは一ヵ所しかなく、自分が移住するならばきっとそこになるんだろうな、と考えていた。

移住前提なのは、自分が日本に骨を埋めるところを想像できなかったからだ。近い未来くらいなら「日本にいる私」を思い浮かべられるのだが、一生となると、ヴィジョンが途端に浮かばなくなる。
不思議なほどに、日本に居続ける自分への現実味はなかった。

ただ、そう感じる理由が明確でなく、日本で暮らすことへの積極的な拒絶にまでは至らなかったので、「どうしても日本を出たい!」と考えていたわけではなかった。
その一方で、常に「もしかしたら」外国へ移住する可能性を心に残し続けていた状態だ。

そんな発想を持たない人ならば仕入れないであろう、海外暮らしや移住についての知識を詳しく調べたり、実際に海外へ移住して生活している人たちの情報を見たり、聞いたりするのが好きだった。

けれどもそれは、私の「夢」なのだろうか?
そのようでもあるし、そうではないのかもしれないと、次第に感じ始めてはいた。

社会人になってから何度か、具体的に海外への長期滞在(半年以上から年単位)を計画したことがある。どんな準備をしたらいいかわかっていたのに、結局実行しなかった。
表層的には「そのときすぐに出られない」れっきとした理由があったのだが、それも含めて、私の「本気度」が薄かった表れだろう。

そのくせ日本に住みながら、心の奥底では、別の国へ行ったり来たり。
一ヵ所の拠点を持たなくても移動しながら仕事できることを意識してきたし(それは今でもそうなのだが)、いつ海外へ出てもいいように、との可能性は「地図上に記されている、まだ通ったことはないがいつか通るかもしれない道」として、ずっと残されていたのだ。

それが……だ。
ここでまさかの、先月のパソコン買い換えの話が絡んでくる。
「新PCを手放し、別のPCを購入した話【今の自分のエネルギーに揃えること】」

タイトルにも入れた通り「今の自分のエネルギーに揃える選択をし直す」話なのだけど、一見ごく物理的なその出来事が、私の自覚をサラッと促すことになった。
記事の最後の方に、「手もとに使えるパソコンがなくなった期間を経験してよかった点」というセクションがあるのだが、私は「あるのが当たり前」になっていた習慣をそのとき、一時停止したわけだ。

すると、ネットを通じて得ていた情報、毎日ではなくとも定期的に見ていたサイトなどの中で、何が今の自分にとって「もう要らないか」をはっきりと選別できてしまった。

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